本日から、生産性運動前に動労を中心に行われた機関助士反対闘争に関する国会審議について見ていこうと思います。
機関助士反対闘争が起こった背景には何があったのか、簡単に説明をしていきたいと思います。
機関助士反対闘争が起こった背景には、蒸気機関車の廃止も大きく関連してきます。
蒸気機関車時代であれば必須であった機関助士ですが、電機機関車となると機関助士の仕事は主に信号確認業務のみとなり、それまでの火夫〈ボイラーマン〉としての業務が無くなるわけで、電機機関車にも機関助士は乗務していたものの、当局としても合理化を図りたいと考えるようになります。
蒸気機関車時代であれば必須であった機関助士ですが、電機機関車となると機関助士の仕事は主に信号確認業務のみとなり、それまでの火夫〈ボイラーマン〉としての業務が無くなるわけで、電機機関車にも機関助士は乗務していたものの、当局としても合理化を図りたいと考えるようになります。
国鉄としては1967(昭和42〉年3月31日に各組合に5万人合理化として提案するのが最初であり、ここから動労の機関助士反対闘争がスタートするのでした。
当時の流れを弊サイト、国鉄があった時代から、抜粋してみたいと思います。
国鉄当局、国労・動労・新国労に対し第3次長期計画にもとづく2年間に5万人配転など合理案を提示 3/31国鉄当局、三労組に対し第三次長期計画のための近代化・合理化案を提示。国労・動労、「合理化」案に対し断固撤回を求めると抗議声明 3/31国鉄労組、当局提案の「合理化」に対し職場からの抵抗体制 の確立を指令 4/1
となっていますが、ここから、国労・動労の反合理化闘争は始まるわけですが、動労にしてみれば、その前年から始まった運転二科制度(高校卒業の採用職員を直接動力車乗務員として養成するもの)で、機関助士からすれば自分たちの機関士への枠が少なくなることを意味するわけで、これについても動労は闘争をしています。 さらに、ここに来て動力近代化の進展と、経営再建のための5万人合理化を打ち出してきたわけで、国労・動労は強く反発することとなりました。
特に、機関助士も多く抱える動労はこの闘いを通じてかなり強硬な運動を行うこととなり、後の鬼の動労と呼ばれる運動を展開することとなります。
国会審議の議事録に入りたかったのですが、あまりに前置きが長くなってしまったので、国会審議議事録は次回からとさせていただきます。
特に、機関助士も多く抱える動労はこの闘いを通じてかなり強硬な運動を行うこととなり、後の鬼の動労と呼ばれる運動を展開することとなります。
国会審議の議事録に入りたかったのですが、あまりに前置きが長くなってしまったので、国会審議議事録は次回からとさせていただきます。
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