お母さんは毎日、「いい子でいなさい。ママは魔法の望遠鏡でいつでも見ているから、悪いことをしたらすぐわかるのよ」と言って仕事に出かけて行った。『いい子でいよう』『悪いことはしちゃいけない』という現在に至るまでも存在する私の良心の根源だ。
叱られることは怖い。
呆れられて見捨てられることはもっと怖い。
だけど私に気付いて欲しい。
何かを選択する時にはいつだって「ママが見ていていい子だと言う」と思う方を選んできた。だけど、だけど、だけど、私がどんなに『いい子』でいてもお母さんは毎日「いい子でいなさい」と言った。私はまだ『お母さんの言ういい子』にはなれていないんだと思った。周りの大人はとっても良い事をした時と些細な悪い事をした時にしか家庭に連絡をしない。私たち姉妹の面倒をみてくれていた祖母は気まぐれに、私をあやすように、「えらい子ね」と褒めてくれた。それを聞いた祖父は何も言わずにご褒美にお菓子をくれた。けれど、朝と夜にしか会うことのないお母さんとお父さんは私が小さな「いい子」をどれだけ重ねても、そんな事を知る由もない。悪い事だけは叱ってくれたけれど。バランスのとれた家庭だなぁとも思う。
私はお母さんとお父さんに嫌われていると感じていた。叱られる時にはいつも「悪い子は川に捨てる」と言われ、「いい子ではない=悪い子の私はそのうち川に捨てられるんだ」という考えがいつでも頭の中にあった。だけど捨てられたくなかった。「いい子でいなくちゃ」と必死だった。
表彰されると、家族の皆が私を褒めてくれた。賞をとる度に賞状を見せて「がんばったでしょう」と心の中で訴えた。世間で認められ賞をとったことは認識してもらえたけれど、努力には気付いてもらえなかった。絵や習字の賞をとっても、そろばんの昇級証書を見せても、「才能がある」「姉と同じでセンスが良いんだ」「それでも姉に比べたら格下の賞じゃないか」、私が居残りして描いた絵もたくさん練習して書いた習字も先生に怒られて泣きながら勉強したそろばんも苦しくて腕を切りながら書いた詩も、作品すら見ず賞状だけを見て、誰かと比べて努力をセンスだとか才能だとかいう言葉で片付けられて。賞状をもらえば私は皆のいい子になれるんだと最初は思っていたけれど、認めてもらえるのは私自身ではなく賞状でしかなかった、いつだって。尚、不出来な私は姉より感性豊かな絵が描けず賞もギリギリのものばかりだった。大人たちからは「もっと頑張れ」と言われた。私はずっと頑張っているつもりなのに。ああ、私は本当は頑張れていないんだと素直に思っていた。「頑張る」というのは自己評価ではなく、良い結果を誰よりも多く残すことなんだろう。賞をとれない時に、世間体を気にする祖父から「賞状がないのではお前は話にならない。姉だけが自慢だ」と言われ、何も得られない、両親や祖父にとって私自身は何の価値もない人間なんだなって気付かされた。それでもどうにかして認めて欲しくて、『いい子』になりたくて、学校の勉強を頑張ってみた。成績は姉妹の中で一番をとった。だけど両親は「かおは姉が勉強しているのを近くで見ていたんだから出来て当たり前だ」と言った。そんなこと、ないのに。私は私の手で、私の頭を使って、内向的な性格ゆえ友達も居ない中、ひとりでがんばったのに。認めてもらえない。私は勉強でも『いい子』になれなかった。ごめんなさいって思っていた。
そんな時、文学や音楽、それと自傷行為に出会う。それからは絵は趣味として折り合いをつけ、勉強もしても意味ないと思ってしなくなる。死のうと思っていた。誰にも必要とされない私なんか居なくなればいい。居ても認めてもらえないのなら居なくても同じことだろう。私は悲しみという感情を自覚し、とらわれてしまう。孤独と悲しみがごちゃごちゃになって私に纏わりついていた。苦しくて、苦しくて、払拭したかった。死ぬしかないと思っていた。こんな世界から逃げ出して、私は自由になりたい。
今も生きて居るって知ったら、あの頃の自分はとても怒るだろう。そして絶望するだろう。
うまれた時から、私はこの世界が大嫌いだから。
生きててごめんね。