現実妄想ごっこ

ぼくが過ごす日々の
現実の妄想や妄想の現実を綴ります。

くぱぁ

2013-05-27 03:41:46 | Weblog

 


さっきお風呂で血とかはきれいにしたけど
クパァしてんのはどうしようもないから、
テープで縦に貼りつないで、上からまたテープとガーゼのせて、包帯ーるぐーるしたお。







一昨日はね、大切な友人とごはん食べたの。
近々死ぬこと(結果はなんにしても)と、それが成功して僕が居なくなったら、
高校の友達に「お世話になりました。ありがとう。」って伝えてね。って話をしたよ。


俺の飯が不味くなるから、出来ることならしないでくれ。と言われた。
なんかいろいろ説得しようとしてくれたよ。
 
うれしいし、あぁやっぱり僕幸はせだなって思った。



豊かな環境で、僕を大切にしてくれる家族、僕を思ってくれる友達、僕を好きになってくれた恋人たち。

あぁ、しあわせだ。


もういつ眠ったっていい。


充分に幸せを得たし、充分に世界を感じた。
これ以上は抱えきれない。重いよ。
それ以上に、落ちこぼしてしまうのが怖い。

もう生きなくていいの。 




ずっとね、苦しかったこと、ぜんぶ許されたんだ。


ぼくはもう、憎しみも後悔も失ってしまった。


これで「死んで楽になる」ことへの罪悪感もない。


死に時だ。




もういきなくていいの。

ねむりたいよ。
ねむりたい。


朝なんてこない、悪い夢もみない、確かな眠りに就きたい。







           

おしらせ

2013-05-24 03:38:07 | Weblog




もうすぐ死にます。


   
       

詳細は、書くかどうかわかんない。

でも、近いうちに死ぬのは決まり。


このブログも、どうするかな。


消すかも。




もうすぐ死にます。



     

じしょーこーい

2013-05-23 03:44:30 | Weblog


先週から何冊か、自傷行為に関する本を読んでいる。
学習心理学の授業で、随伴性行動の嫌子/出現による実験例で自傷癖のある少年への行動的介入を取り上げた際に、そもそもの自傷行為について少し触れた。「自傷行為は周囲の注意を引くことが痛みよりも勝る好子反応になりえるから起こる現象であり、他人が居ない環境では出現しないことがほとんである」というのを知り、しかし、私は人との関わりが薄れていくにつれて自傷が深刻化しているのに気付き、その「ほとんどの場合」以外を知りたくなったのがきっかけであった。


毎日、授業が終わった後に図書館が閉館するまで図書館でレポートを書いたりして過ごすのだが、息抜きに読み始めたら、やはり小6から身近に感じ、自分自身が現在進行形で抱えている問題であるので、どれも興味深く親しみを持って内容が迫ってくる。
なぜ自分が自傷行為をするのか、終りはあるのか、まだ答えは見つからないけれど、他人の研究や考察をみるのは痛くもあるが発見も多い。特に、「確かに、私もそうだ」と自覚がなかった感情や行動が見つかるのがおもしろい。



先日読み終えた、2006年に出版だれた『〝消えたい”症候群 -リストカットとオ-バ-ド-ズ生への処方箋を考える- /山本紀子』では、数人の自傷経験者から直接聞いた話が載っていて、論文のようにはっきりとした答えの出る類の書物ではなかったが、共感できる部分や関心しかところがたくさんあった。その中でも印象に残った部分をここに残しておこうと思う。


以下は『〝消えたい”症候群 -リストカットとオ-バ-ド-ズ生への処方箋を考える- /山本紀子』からの引用である。



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 理子は考えた。走り続けて、それでも息が切れて走れなくなるときが来るとしたら、怖い。理子は一日一日生きることが怖くなった。


 リストカット。そしてボーイフレンド。何かに依存しないと「落ち着かない」と理子は言う。ちょうどいい温度がわからない、とも訴えた。何かに頼らないと、精神のバランスが保てないと言いたかったようだ。


 自傷や自殺は、苦しみから逃れるための緊急手段だった。


 「切っちゃいけないと思うとよけい切りたくなる。楽になるから」
 葵は手首を切り刻んで傷ついた自分と向き合い、生きていることを確認して、血を流して、ほっとする。

 
 甘えられるとわかった人にはとことん甘えてしまう。距離の取り方がわからない。


 一方「死にたい」という直接的な表現をする人のそれは、消えたい人間のそれより大きい。根本にあるのは、見捨てられることへの恐れだ。


 思春期に悩み(特に家庭の)が解決できないと、落ち込みは長引きがちだ。20代後半になると、ますます回復しずらくなり、うっくつも深まる。


 大人にできることがあるとすれば、「いいよ」という安心のサインを小さいころから出し続けること。過剰に悩んでしまう人たちは、受容の言葉をかけてもらっていない。欲しかったレスポンスをもらったことがない。だから自信がない。


 自傷する子は自分が自分でないような非現実感をもちやすい。


 過食もリスカも、どちらも自分を守る手段。いやなだけだったら続かない。必要があって続けているうちに、依存になる。


 いまの子は、横並びに必死になっている。必要以上に仲間の動向を気にする。家で見捨てられ、友達づくりでも失敗してその場からはずれたら、居場所がなくなると思っているのかもしれない。


 『Cocco』(スイッチ・パブリック)より-「こっこは小さい時から『できる子』じゃなきゃならなかった。できない自分を許すことは、死ぬよりダメなことだった」



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以上が、私が本書を読みながら感心し書き写した部分である。

自傷することを「逃げ」や「救い」にしていること、始めるきっかけはとてもささいなことだったけれど、いつのまにか依存し生活の一部になってしまっていること、この本に記された人達はどこも自分とリンクしていた。家庭に問題がなかったにしても、ODで自殺をはからないにしても、この本の登場人物はどこか自分であった。
けれど、他人と共感できたからといって、この行為が世間に認められるわけでも、自分の中で完全に納得できるわけではない。それは十分わかっている。けれど、少しだけ、寂しさが和らいだような気がした。





そして、この本に記された何人かは、その後ODや自傷によって亡くなっていることをうけて、やはり、どうしても、うらやましいと思っていまう。私は「死」というものに対する憧れのようなものを捨てきれずにいるんだとはっきりした。

「死ぬために切ってるんじゃない」と、常習的なリストカッターたちのほとんどが言うと思う。私もそうだ。私の友人たちもそうだった。でもどこかで、「死に近づきたい」という気持ちがあって、リスカと死ぬことは全く別の次元に存在するんだけど、ごくたまに、不図、自傷と自殺がつながる瞬間がある。私以外の子たちも経験したことあるんじゃないかなぁと思う。

私は、リスカやアムカを始めた時、「死ぬのに近づく練習」と思って切っていた。「死のう」でも「死ぬ練習」でもなく「死に近づく練習」だったのだ。今も、「気持ちを自殺に近づけたい」と思って切ることがある。近づきたい。でもその場に立とうとはしない。現実から逃げて、「消えてしまいたい」の方が正解に近い言葉なのかもしれない。まだ、いまのところ。最近、生死については思うことがあるので、また別の記事でだらだらと書くと思う。



最初は、非日常を求めて、腕を切った。
その後は、仲間になりたくて、切った。
仲間でいなくてよくなって、寂しくて切った。
それからは、不安になると切るようになっていた。
切ると安心が得られた。
適応機制、一時的なものだってわかってるけど、もうやめられなかった。
手段がそれしかないと思っていた。
依存。



先週、初めて、切るためだけの刃物を購入してしまった。
今までは、工作で使っていた彫刻刀や文房具として使っていたカッターで切ってたけど、
大きいカッターの替刃だけ、「きりやすそうだな」って思って買っちゃった。
おうち帰ってきてから、少し、怖くなった。

でも切るのはやめられなくて、それ使って切ってる。
ちょっと切っただけで、刃が深くはいって、血がたくさん出る。
安心するし、死に向ける決心も固まっていくけれど、ちょっとこわい。


こわいから、薬をたくさん飲んでしまう。
はやくどうでもよくなろう、眠ってしまおう。
お酒と複数の精神薬や眠剤を一度に飲んでしまう。
ODというほどの量ではないけれど。



自分で何してるのかわからない。

なにがしたいのかわからない。


さみしい。

ぼく、さみしいの。


             

あふれる

2013-05-22 02:17:22 | Weblog


賽の目に切ると治りにくいの知ってる。




まだ手首の血が止まらない。


だからまだおふとんに入れない。


シーツを変えたばかりなの。


汚したくない。


汚い手首。


汚い腕。



たらたらと赤い血が、だらしなく腕を伝う。




いつまで、こんなことを続けるんだろう。





    

誰も得られない

2013-05-22 02:08:07 | Weblog





誰も私のものにはならない。
もうあの娘のものじゃない私。

さみしいよ。

こんな自由が欲しかったんじゃない。
わがままでごめん。

ねぇ
誰か僕にちょうだい。
誰か僕をちょうだい。
誰か僕を得て。

さみしいよう。
さみしいよう。





だれもいないひとりぼっち

こんな苦痛をみんな耐えているの?

こんな普通をみんな耐えているの?



僕が弱いだけなのかな。

出来損ないだものね。

欠陥品。

足りない部品はどこ。

私なりに、手に入れようとしてきたつもりだよ。
私なりに、補おうとしてきたよ。

でも何も埋まらない。

それどころか欠陥は増えるばかり。



全部、全部、無駄だったのかなぁ。




女の子の中で生きるために、

O脚気味だったのを内股に矯正して、
言葉づかいも女の子に合わせて、
ひらひらの服を選んで、
人の陰口を言って、
黙って話を聞いて頷いて、
否定する心を失くして、

人間らしく生きるために、

もうロボットって言われないように、
人の表情を真似て、
人の感情を真似て、
人の言動を真似て、
もうティッシュって言われないように、
無理に食べて太って、
でも無理で身体壊して、

吐かないように薬を飲んで、
頭痛で寝込まないように薬を飲んで、
眠れるように薬を飲んで、
起きれるように薬を飲んで、
不安になりすぎないように薬を飲んで、


全部全部くだらない。
無駄だったのかな。

その時々には必須だったけれど、
今考えると要らないものもたくさんあるね。

「おんなのこ」には必要だけど「女性」には要らない。

わたしは女の子のままでは居られないみたい。

もう、女の子では、居られないかもしれないの。





いやいやいや。



はやく死の?




ひとりぼっちの世界なんて、

私が居るかどうかすらわからない。




もう誰も私を愛してくれない。

嘘をつき続けられなかったから。

全部、真似っこの嘘っこだったって、バレちゃったもんね。


みんな、僕のこと嫌いなんでしょう。

私の前で笑って、私の見えないところで嘲笑ってたんでしょう。


みんなと同じ人間では居られない。
誰にも受け入れられない。

だから芸術家になるしかなかったのに。
私には才能も技術もなかった。
あーあ。
終わっちゃったね。




あぁあ。
こんな私は、誰にも許されない。



誰の脅威にもならず、真平らに生きてきた私は、
嘘がバレてからはどちらの派閥からも弾かれた。
そこでもうおしまい。

私の人間は、もう、おしまい。




それからもう5年も生きてきてしまった。


どうして。
どうして。



もう生きられないよ。


こんな寂しいところ、もう居たくない。


しのう、はやく。


誰も僕を愛してはくれないよ。


しのう、はやく。



誰にも要らない私は誰にも要らないよ。


しのう。







大きいカッターの替刃だけ買ってきた。
よく切れる。

切るたびに、本当はすこしだけ怖い。

本当はすこしだけ痛い。

慣れたらもっと深く切れるようになるよ。

ぼく、できるよ。



こわくないよ。
こわくないよ。



ぼく、ちゃんと死ねるよ。



11歳の僕、聴こえますか。
15歳の僕、聴こえますか。


かおる、ちゃんと夢叶えるから、みてて。
           



             

ねむるのこわい

2013-05-07 03:12:33 | Weblog



こわい夢みるの。

いつもの。




でも昨日はいつもと違う女の子だったよ。
約束した小学校の図工室で、約束の通りに、初めて手首切ったの。
すっごくいっぱい血が出て、怖くて、
相手はあの日みたいに怒って、あの日みたいに筋肉が痙攣して、
僕を床に押さえつけて、もっと痛がってよって。
そこから中学校の放課後の教室になって、思い出の再生。
にげたらこれさすから
いたがってなきながらていこうするかおちゃんがいちばんかわいいよ
こうやってわたしのすきにされるのがすきなんでしょ
ほら
もうなかないのもうていこうしないの
じゃあもういいよおもしろくないし
ばいばい
誰も居なくなった教室で、下着姿で泣くところまで再生して、目が覚めた。



朝起きて、気付いたら手首汚くて、
学校に行く前に包帯巻いたら少し近づけた気がした。
おそろいだね。

初めて自分の腕に包帯巻いた。
ちょっと泣いた。






泣きながら目が覚める。
頭が痛くて目が覚める。
心拍が変になって目が覚める。
呼吸が乱れて目が覚める。

ねむるのこわい。







現実では真夜中に電話しながら怖いねって言ってお互い腕を切ったの。
幼かったね、すぐに怖くなくなっちゃったのも、幼かったね。
あの時やめようよって言おうと思えたなら、
手首なんか切らずに生きたり死んだりできたのかな。
結婚してお母さんになって、今は幸せ?
ごめんね。





        

線を重ねる

2013-05-05 23:18:42 | Weblog


僕の手から人間は創れなかった。







ひらひらきれいなモンシロチョウに見立てて
アメリカシロヒトリの成虫を愛でる
そんな毎日。






両目に込めたいっぱいの力は
あったかい水と一緒に
あっけなく落ちていった
きっとキレイな水じゃない
これは そうね
昨日の夜
夢と一緒にこぼした
唾液的な消化液






さよならなんて
ききたくなくて
言いたくなくて
君の話が始まる前に泣き出した





流し合ってこぼした涙は
指と指の間で綺麗に膜を張る
息を吹き入れたら
丸になって飛んでいくのかしら
ぱちん





私を救う為に仕掛けたさよならは
予想外に君を傷つけて
考えもしなかった僕の崩壊を促した





ひとりにしないで
ひとりにしないで
ひとりにしないで




ひとりにしないで。

何が欲しいの?

2013-05-05 22:53:55 | Weblog


私はちゃんと与えられてる?





腕から汁出てくる。

体液。




自分の傷口を開くのはほとんど自分の指だ。
そもそもの傷をつけたのも自分の手だった。
誰かから傷付けられる毎日なら、こんなことしないのかな。
んなことねーか。
僕に傷付けられながら手首切ってたおんなのこをよく知ってる。



垣間見た僕の中身はすぐに血の奥に沈んだ。

ぷっくり

ぷっくり

たららー

流れ出る



なんでこんなに浅いんだろう。
もうすぐ夏だよ。
どうすんの。
ずっと、こんなこと繰り返すの。
切るの止めるのと傷を隠すのは、隠す方が楽だよね。
これからずっとそんなこと続けていくの
いつまでいつまでいつまで。
どこで終わりにすんの。
深いところに潜ったらこの生活は続かなくなるけど、
だからって終わりにできるってことなくて、
もっと明るいところ目指すっていっても、
この位置に帰ってこわれなかったらそれはずっと続いていくってことで、
そんなのどうしようもなく耐えられないだろうと思うのに、
今すぐ深いところに行って終わりにしないのはどうして。
いきたいの。しにたいの。
きえたいの。
でもそんなの無理で諦めるしかない。
しあわせになりたいんだろうな。
0になることは生命の幸せだと思う。
0になりたい。
放っておくだけで汚れてしまう。
0に戻りたい。
戻りたい。



この間、父と二人きりで話をした。僕は父が死に直面していた、父の人生の中で最も暗い時期につくられた精子でできた子だから、父の暗い部分を引き継いでるんじゃないかって。外見も性格も姉妹の誰よりも父に似ていると小さい頃から言われてきた。父から、似すぎてて気持ち悪いと言われたことがあった。見ていて嫌悪するほどだと言われた。自分の嫌な部分を体現している物を見るのは辛いだろうなと思う。僕は嫌われていても仕方が無かったんだ。自己に気付いた思春期以降、父との距離はひらくばかり。僕は自分の元になった主のような父に歳を追うごとに親近感というか愛情が増している。父は父が嫌いらしい。僕は僕が好きだ。だから僕は父が好きなのかもしれない。だから父は僕のことが嫌いなんだと思う。僕は戻りたいんだ。元に戻りたい。僕の元に戻りたい。最初よりも前に、かえりたい。0になりたい。本当は全部無かったことにしたい。僕の全部、最初から無かったことに。でもそれはもう無理だ。僕は生まれる前のことを少しだけ知ってる。今産まれて来なくても、その前のことも無しにしなきゃいけない。だけど僕に生まれる前、その前世の事はもう全部終わってることで、無かったことにはできない。今も僕が覚えてるってことは死んでも無しにはならないってことだ。そもそも僕が覚えているのは死んでからのことだから、死んだからって全部無くなるわけじゃないって知ってる。苦しいことだけはっきり残る。知ってる。死んだ記憶があるのに死ぬのは怖い。死んでしまいたい。死ぬことは最後の希望だ。最終的なぼくの人生の目標だ。自分で死ねたら一人前の人間になれるんじゃないだろうか。自立とはこの地から足を離し土になることだと思っている。あぁ、しにたい。一方的なさよならがしたい。全部、手離して。





命綱を解いてばいばい。