Borderママの「国境らへんの」ぼやき日記

危険な南の国境生活
北の国境で村民生活
現在デトロイト郊外で母子家庭

若いまま

2021-11-22 10:38:34 | 昔ばなし
だいっきらいな月曜日です

働かない受付は今週休むので、代わりに受付に鎮座(笑)

体調は復活!

午後は会社のxmasツリーの飾りでもしようかしら

さて、19日は17年前に亡くなった父ちゃんの誕生日でした

アメリカに移住して8ヶ月後の事

私は死に目にも葬儀にも間に合わなかったので

今でも居なくなった事が理解出来ていませんが。。。

絵に書いたような昭和1ケタの職人さん

[焦げメシは女の食うもんや]と大声で言っちゃう感じの人でした😅

出先の昼のいっぷくで、めぐり逢い美味しかったらしく

ある日私に[おい、赤めし作れ]と言ってきた

[あ、赤メシ?]なんじゃそれ?

気が短い父ちゃんからやっと聞き出すと

それはチキンライスらしい

家ではツマミ系のものしか食べないのに、外でそんなシャレたもん食べたんか。。。

当時高校生でしたが、働く母の代わりに夕飯は作っていたので

お申し付けのまま作ったなあ

アメリカに来てから、父の好きだった朝顔も毎年植え

誕生日も好きだった物を作ってお供え

で、今年はコレにした



チキンライス

日本のピーマンないのでシシトウ入れた(笑)

enjoy! 若いままの父ちゃん

18年目へ

2020-12-14 21:54:10 | 昔ばなし
今朝はちょっと冷えて、0度

風が強いので体感はー5度くらいかな?

さて、17年前の今日は

私と当時8ヶ月だった上の子がアメリカに上陸した日

スーツケース二つに、10kgのリュック

前には子供を抱き、満席の飛行機で

友人のいるサンフランシスコまで飲まず食わずで。。。

今でも母があの時の私の姿を思い出すと涙が出ると言う

と言うのも、前々日に子供が熱を出していたし

たった一人で乳幼児を連れてのフライト

元旦那はすでにオハイオで住んでたし

あの頃の私達には日本までで迎えに来る様な

経済的余裕はなかった

サンフランシスコで一泊して、翌日にオハイオへ

日本でデキ婚をした私達

元旦那の母には歓迎されてなかった

しかもオハイオの田舎の家族たちも、外人さんに

どう接していいのかわからずだったと思う

中学の頃から英語好きで、はじめての海外はワーホリ

バックパッカーで9カ国以上回った

でも、アメリカに住む予定はなかった

独身の時は守る物がなかったから、海外でも平気だった

でも小さな子供と医療に対する考えに大きな違いに

具合が悪くても直ぐに病院に行かない文化に

ものすごくストレスを感じた

夕方の夕陽を見ると涙が出たっけ

17年も経って、あの頃の自分より今の自分ははるかに強い

強くならざるを得なかったんだけどね

もう日本に住む予定はない

少しでも子供の近くに居てあげたいから

これからも縁あって住んでしまったアメリカで

今まで通り雑草の様に生きていくわ

昨日出てた虹




思い出の曲

2011-05-24 10:11:24 | 昔ばなし
Eric Clapton - Wonderful Tonight (Live) (Video Version)


ワタシが初めてクラプトンを聞いたのは19歳の時

当時付き合っていた「7歳年上の彼」が好きだった

服はイッセイ・ミヤケ、車はクラウン、大農家の長男


世間体を気にする相手の親には

高卒で職業が医療事務のワタシなど

認めてもらえる訳もなく、付き合いを反対されていた

デートの帰りに流れるこの曲が、妙にせつなく胸に響いた


4年以上付き合って、別れを決めたのは

「どうしても別れないからしょうがない、貰ってやる」

と言う、相手の母親の言葉

その時別れる辛さよりもその後の辛さを悟った


あの頃は若くて、ギターの良さも意味も分からなかったけど

年月を経て、色々な経験をしてやっとじっくりと聞けるようになった


今はそれぞれにそれぞれの人生を歩んでいる(と思う)

彼もこの曲を聴いて、ワタシを思い出すことがあるのかな?



この曲も大好きTears in heaven
曲が出来たいきさつは悲しいけど・・・

誕生日おめでとう。。。

2009-11-20 09:27:41 | 昔ばなし
今日11月19日は

5年前に亡くなった父の76回目の誕生日


生きていればまだ76歳で、好きなことも

もっとたくさん出来たのに


私の中では父の死はまだ受け入れられずにいます

どうしてかと言うと 葬儀に出席できなかったから


私がアメリカに永住する時

もうすでにガン末期だった父

アメリカに発つ私に母は

「これが最後と思って行きなさい」と言った


半年後に1歳2ヶ月のシオラーノを連れて

日本に帰ってまた会うことはできた

でもその3ヵ月後、とうとう父は旅立った


小さいシオラーノを連れて

しかもその当時経済的に無理のあった

私を気遣って父の死は私にすぐには知らされなかった


知らせを受けた時はそれからどう急いでも葬儀には間に合わなかった

でも、どうしても日本に帰りたかった私

シオラーノを若造に預け

急遽日本に戻った

そうでもしないと私の気は済まなかった


到着したのは葬儀が終わった夜

いきなり帰った私に母は驚いたが、安堵の表情だった


すぐに仏壇に向かい箱に収められた父に手を合わせた

この間は直接話せた父が、次に会った時は小さな箱になってた

さようならも言えなかった


天邪鬼で優しいくせに言葉が少なくて、誤解されやすかった父

職人で気難しくて酒飲みで、小さい時は苦手だった

でも子供が大好きで、孫達を本当に大事にした


みんなは今日の父の誕生日、覚えてるかな

生まれ変わったらまた会おうね

父と娘はもう勘弁して(別の形で)


でももう生まれ変わって会ってるのかも


とにかく誕生日おめでとう 父ちゃん

今夜は仏壇にお酒を供えてあげる