前回書いた『シュレディンガーの哲学する猫』の
実存主義の話から
芥川龍之介のことが気になって、
後期の作品や手紙などをちょくちょく読んでみてたのですが
友人に宛てた手紙に、
唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るからである。(青空文庫『或旧友へ送る手記』より抜粋)
とあって、
なんだか似たようなことを読んだ気がする、と思って
『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)かなぁ、と出してみた。
『八本脚の蝶』
二十五歳、自らの意志でこの世を去った女性編集者による約2年間の日記。誰よりも本を物語を言葉を愛した彼女の目に映る世界とは。(河出書房新社公式サイトより)
私が似ていると思ったのは
↓
結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。
明日がこないからです。
これが最後の夜だからです。
(二〇〇三年四月二六日(土)お別れ その一より抜粋)
書いてみるとあまり似ていないかな?
ただ、なんとなく私が同じことを思っただけかも。
最期に見る世界は綺麗なんだろうか、と。
ちなみにこの本を読むと
編集者だった二階堂奥歯さんの読書量に圧倒され、
感性に魅了され、交友関係に憧れます。
ただ、読み進めるにつれ
だんだんと日記に不穏な文章が増え、
聖書の記述が多くなっていく。
そしてもうすぐ誕生日を迎える2003年4月26日、
命を断つ前に5回にわたって残した文章は、
すごく胸にきます。
『八本脚の蝶』をめくりつつ考えるのは、
『シュレディンガーの哲学する猫』の中に出てくる
ジャン・ポール・サルトルの、
人間は自由の刑に処せられていると表現したい
(一部だけ抜粋しました)
と言う言葉のところ。
私は、
まだ自分で命を断とうと思うことはありませんが
何かがあって、そんな選択肢がもし浮かんだら
サルトルが教え子に言ったという
君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ。
を思い出そう、と。
誰に相談しようと思うかで未来がみえそう。
なんだかんだでほぼ初めて読んだ哲学の本、
いろいろ考えるきっかけになりました。
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最近ふわりは、
はるがいつも座っている椅子がお気に入り。
顔と手と足としっぽが同じところにあるのかわいい。
写真撮ったらちょっと起きちゃった。
辛く大変だったことと思います。
お姉さんが最期に見た景色も綺麗だったのですね…。
私はいまだに「死」はどこか遠いもののように
思ってしまいます。
でも私が見る最期の世界も綺麗だといいなぁ。