ぼたんくんとふわりちゃん

2010年10月17日、また猫と暮らしはじめました。

読書日記[41]たまに哲学(?)のあと

2025-01-06 23:46:56 | 読書
前回書いた『シュレディンガーの哲学する猫』の
実存主義の話から
芥川龍之介のことが気になって、
後期の作品や手紙などをちょくちょく読んでみてたのですが

友人に宛てた手紙に、

唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るからである。(青空文庫『或旧友へ送る手記』より抜粋)

とあって、
なんだか似たようなことを読んだ気がする、と思って

『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)かなぁ、と出してみた。



『八本脚の蝶』
二十五歳、自らの意志でこの世を去った女性編集者による約2年間の日記。誰よりも本を物語を言葉を愛した彼女の目に映る世界とは。(河出書房新社公式サイトより)



私が似ていると思ったのは
結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。
明日がこないからです。
これが最後の夜だからです。
(二〇〇三年四月二六日(土)お別れ その一より抜粋)



書いてみるとあまり似ていないかな?
ただ、なんとなく私が同じことを思っただけかも。
最期に見る世界は綺麗なんだろうか、と。

ちなみにこの本を読むと
編集者だった二階堂奥歯さんの読書量に圧倒され、
感性に魅了され、交友関係に憧れます。

ただ、読み進めるにつれ
だんだんと日記に不穏な文章が増え、
聖書の記述が多くなっていく。

そしてもうすぐ誕生日を迎える2003年4月26日、
命を断つ前に5回にわたって残した文章は、
すごく胸にきます。



『八本脚の蝶』をめくりつつ考えるのは、
『シュレディンガーの哲学する猫』の中に出てくる
ジャン・ポール・サルトルの、

人間は自由の刑に処せられていると表現したい
(一部だけ抜粋しました)

と言う言葉のところ。


私は、
まだ自分で命を断とうと思うことはありませんが
何かがあって、そんな選択肢がもし浮かんだら

サルトルが教え子に言ったという

君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ。

を思い出そう、と。
誰に相談しようと思うかで未来がみえそう。

なんだかんだでほぼ初めて読んだ哲学の本、
いろいろ考えるきっかけになりました。


*****


最近ふわりは、
はるがいつも座っている椅子がお気に入り。
顔と手と足としっぽが同じところにあるのかわいい。



写真撮ったらちょっと起きちゃった。


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2 コメント

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Unknown (ally)
2025-01-07 05:56:31
これが人生最後、と思うと、眺めも変わり、すべてが美しく見えるのかもしれませんね。そういえば、自殺ではありませんが亡くなった姉が末期(昏睡状態になる前)に2日間だけ元気になったときに一緒に病院の屋上に行ったんです。その時に「入院直後に何度か来たことがあるけど、ここってこんなに綺麗な眺めだったっけ…」と本当に清々しい表情で気持ちよさそうに呟いていたのを思い出しました。死を覚悟すると余計なバイヤスがなくなるのかもしれませんね…。なんかとても考えさせられます。
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>ally さんへ (みんと)
2025-01-07 23:31:17
大切なご家族を看取るのは、
辛く大変だったことと思います。
お姉さんが最期に見た景色も綺麗だったのですね…。

私はいまだに「死」はどこか遠いもののように
思ってしまいます。
でも私が見る最期の世界も綺麗だといいなぁ。
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