森の声

 雨粒が あちらこちらに飛んで 

 街燈にも月にも光る、綺麗な夜

 

眼差し

2011年03月30日 | Daily
ひとの視線の先にあるものというより
ひとが集中して視線を落とす様子そのものが好きで、
本をひらいて静かに文字を追っている人を見つけると
あぁ綺麗だなぁ、と眺めてしまう。

図書館で偶然隣りあったひとでも、
よく知ったひとでも、たとえば
待ち合わせに文庫などひらいてそんなふうに待たれていると、
陰からもうしばらく見ていようか、と思う(しないけど)。

あ、気持ち悪いかな、私(苦笑)。

静かな場所でも雑音の多いところでも
自分の世界をもつことができるひとの眼差しは真っ直ぐで
それは強いのでゆるがない、そして周囲に静けさの層ができている、
そうか、そういう空気がいいのにちがいない。 ←ないものねだり

春の空気漂う午後、
そんなことをぼわぼわと考えていると
K子さんと話がしたくなった。

灯りを落とした街で
真っ直ぐひとすじにもう次の季節の準備を始めている、
彼女の最初の印象も“眼差しの綺麗な人”だ。

夏には、積もる話をもって訪ねようか。

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『Love Letter』 [DVD]
 岩井俊二
 キングレコード

柏原崇の図書館での読書シーンが好きなのです。
こんなに綺麗な人がいるのかと思った、男子だけど。
そして、「失われた時を求めて」など
小道具本タイトルの意味に気付いたのはずいぶん後でした。
公開からもう16年になり、繰り返し観ていても、色褪せません。

『ラヴレター 』(角川文庫)
 岩井 俊二
 角川書店

原作もいいけれど、やはり映像の美しさがよいのです。
話そのものは少々韓国ドラマ的な部分もありますし(苦笑)。


迷子

2011年03月01日 | Daily
今の仕事に就いて知り合った同職の友人が
3月末で辞めて引っ越すとあっさりいうので驚いた。

もちろん前向きな進路変更であって
彼女らしい選択なのだけれども、
報告されたときは「置いて行かれたなぁ」と思った。

持っている資格や職歴が同じだというせいか
こだわりだとか抱える問題や疑問はよく似ていても、
彼女にはリアルに生きるエネルギーや
あらゆる選択肢から未来を組み立てる能力が備わっていて
不器用な一点集中型で、どこか夢見がちな私とは、最初から違った。

ぐずな私は
いつも潔い彼女が大好きだった。
彼女のスイスイと泳ぐような仕事ぶりが大好きだった。
この仕事はこういう人がすべきなのだろうと憧れてさえいた気もする。

きっと彼女は選択肢の中から迷わず新しい生活を選んで、
あっという間にそれを手にしたのだと思う。

彼女ならどこでもどんなふうにも、上手に泳ぐことができる。

友人や理解者が遠くに行ってしまうこの気持ちは
落ち込むとかさみしいだとかいうのとは違って
何も目印がない所で迷子になったときの気持ちに、少し似ている。





雪星花

2011年01月01日 | Daily
街が真白になった深夜、
年越し詣に行く先は、初夏に菩提樹が咲いたかのお寺でした。

除夜の鐘が聴こえるころには雲が割れ、
澄んだ夜空にいつもより高く昇った大きなオリオン座が

視線を前方にもどすと
菩提樹やもみじが雪の花を咲かせている。

 

灯りの色を映して、まるで満開の桜みたいでしょう?
一年を通して豊かな表情を見せてくれる場所ですが
夜の雪景色もまた瞬きを忘れるような美しさでした。

除夜の鐘を撞かせてもらって、
膨大な憂い迷いを置いて行こうと思ったのだけれども

「こら、そんなに置いてくな

仏さまのお怒りに触れたのでしょうか、
御神籤にいきなり「凶」をいただきました。
人生初の凶御籤が元旦にやってくるとは(苦笑)。 ←やや凹。

それでも、
凍り始めた雪をさくさくと踏みながら歩くのは
一歩一歩が耳にも楽しい。

歩くということは地に足をつけるということ、
重心を前にさえおけば
右足をつくと次は左足が出る(しかない)ようにできている。

スキップだとか、駆け足だとかするだけの勢いはなくても
今年は(今年も?)自然の流れに
素直に身を任せて丁寧に進みたいと思います。

ご存じの通りの迷子常習犯、行き先は怪しいものですが(^^ゞ

気づいてか気づかずか
最近はよく歩いていて、時々ぼんやり周りを眺めたりして
気持ちの向く先を探し続けているのかもしれないなぁ。

アブナイ時は呼び止めてくださいね。 ←なんせ凶ですから

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
好い一年になりますように。


ブスになるなかれ

2010年12月31日 | Daily
秋にダウンして以降、想定外に参っているのです。

完全に身体が回復していないせいか、
あらゆることが煩わしい。

注意力は散漫、思考は混沌として
話すのは億劫、聴覚過敏でイライラする。
そして「自分」を保つのがやっとなので
細かい気配りができないのです。

そんな状態で仕事をしているのだから
あちらこちらに迷惑を振り撒いていて
怠けているような感覚に罪悪感から抜け出せない。

本当に冬休みはありがたい。
無責任な沈黙のなんと楽なことか!
ひきこもりはこうやって生まれるのではないでしょうか(笑)。

…やばいぞ、メンタル。
…やばいぞ、社会人として。

この状態では職種的に罪だと気づく能力はまだ残っていて
今年度までにしようかなぁと考えたり
でもやっぱりこれが好きだなぁと思い直したり。

それでも人には恵まれて孤独でないのは幸い。
この混乱を打ち明けてみようかなぁと何度も思うのだけど
主観的な話というのは
話された方には鈍い疲れが残ることをよく知っていて(職業病)、
聞いて欲しい人=疲れて欲しくない人、というのも黄金式。
結局ぐぅと飲み込んで、また混沌の中に溺れています

…やばいぞ、メンタル。
…やばいぞ、人間として(笑)。

鏡を見てがっかりする、最近ブスだなぁって。
油断すると焦点がずれていて目に光がない。
このままじゃダメだ、“ブス”になってはいけない。

心が向かう『よきもの』を敏感にキャッチ&フォーカスすれば自ずと
生きる力や社会人としての博愛精神が戻ると思うのです。

「弱きものよ、汝ブスになるなかれ」

来年の基本目標の立派なキャッチコピーを準備して、
年越し詣に行ってまいります(笑)。
引きこもりにならずにすんでいるのは
こんなふうに
穏やかな気持ちで過ごす時間があるおかげでもあるのです。

よくない気持ちは今年のうちに全部置いてきてしまおう。
いくら神さま仏さまでもご迷惑でしょうけれども

さて、今年もお付き合いありがとうございました。
暖かくして、どうぞ、よいお年を



うれしきもの

2010年12月19日 | Daily
  晴れ渡る
   月の光に
  うれしくも
  行手の
   道の
  さやか
   なりけり

今年の夏、野宮神社でひいたおみくじをとても気に入って
枝に結わえられず持ち帰った。

  闇くて見えない道も月が差し初め
  明るくなる如く幸福次第に加わる

風景が浮かぶようできれいでしょう?
人生で一番のくじだった。
小吉だったけど(笑)

ここ数週間、ほんとうによくないことが続いて
すべて放り投げて逃亡したくなるという(実際過眠状態←ふて寝)
それはそれは数年ぶりのデプレッションぶりだったのだけれど
やっと回復してきたこの週末は
お天気も快晴、久しぶりの晴天の休日!

夕方には満月近い月も大きく出てきて、
ほぉぉ、と間抜けな声が出る。
そういえば、野宮御籤の印象は
あの暗い道に射す月明かりの風景に似ている、
お月見のときもこういう不完全な月で
でも透明でとても明るかったのだったなぁ。

ぽつりぽつりと月と夕焼けのあいだを歩いていたら、
モヤモヤした頭もようやくすっきり(したようなしないような)。
最近足りていなかったのは、こういう、
ダイレクトに脳を刺激する乾いた空気の匂いだったのかも。

ちなみに
神さまは「己の弱さに負けず勉学せよ」ともおっしゃっていたけど
夏からチャレンジ中のドイツ語は
まだ10月分の講座を行ったり来たり、ゆるゆる徘徊中。
「なにごともあせらず騒がずゆるゆる進め」とはいえ
いくらなんでもそろそろ見放されるかも(笑)

・・・アレ?
そもそもおみくじって神さまからの言葉なのか?(・・;

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低空飛行中、ずいぶんひとに甘えてしまった。
自分で上昇気流にのれるようにならないといけないのに、
気を緩めたらすぐこれだから、困ったものだ、やれやれ。



シックスセンス

2010年11月28日 | Daily
鋭いタイミングで連絡をしてくる友人がいる。
わたしが何か電波を飛ばしているのか
友人の第六感が著しく発達しているのか(笑)。

調子を崩してこっそり休養していると決まって連絡がくる。
(それも「竜馬伝を観てたら京都を思い出した」だとかそんな理由で)
驚きすぎて携帯を投げそうになるようなことが一度ではないのだから、
この“キュウカク(ロッカク?)”は本物なのだろう。
昔はそうでもなかったのに
人を癒す仕事をしているひとは、こういう感覚が磨がれていくのかなぁ?

とはいえ、“いかにも”という癒しオーラはない人物で、
むしろ我が道を飄々と生きているあっさりした人間だから
こちらも気を使う必要がなく力が抜ける、というふうなしくみ。

いや、そう見せているけれども
実際は分析上手なスマートさが他人を詮索する必要をなくしていて
そしておそらく「しらんぷり」が上手なのだと、思う。
人との距離感のハカリが絶妙なんだなぁ、これは昔からだけれども。

世の中がこういうタイプの人間だけでできていたなら
どんなに楽なんだろう(笑)。

ただ、友人がどういう人間だかとは別に
連絡の時期がなぜいつも鋭いのか、ということは
やっぱりさっぱり説明ができない。

わたしが何か電波を飛ばしているのか
友人の第六感が著しく発達したのか(笑)。


2010年10月03日 | Daily
手、たとえば、手のひらや指先には
そのひとがギュッと詰まっているような気がする。
他のどの体のパーツと比べても別格だと、思う。

たとえば知らない人でも
どこか懐かしいだとか
手や指、爪のかたちを見て思うことがあるでしょう?

ひとと手をつなぐというのは
いいものだなぁ、と思うのです。
たとえ指先が冷たくても
心が緩むと、ほんわかと暖まってくる。

強くいようと張りつめていても
どこかホッとできると、よかったなぁと思うものです。
たとえばそれで弱さを自覚したとしても
また頑張れる力が確かにあるのも同時に感じるはずで。

ひとを
心を
ほんわかとした温度から感じたり伝えたりというのは、
ほのぼのとおだやかになり、心地よいものです。

ところで、人の指先をみたときの感情は
遺伝子に刻み込まれた情報による感覚なのだとか。
怪しいものだけれど、信じてしまうくらいの説得力だなぁ。

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「ありがとう」って伝えたくて あなたを見つめるけど
繋がれた右手がまっすぐな思いを 不器用に伝えている

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ゲゲゲの曲を、いい作品だなぁと思ってまだ聞く毎日です。


スパイス

2009年05月06日 | Daily
『もし明日地球がなくなるとしたら、一番の心残りはこれだな』と、

ずっと思い続けていたことがあるのだけれども
ひょんなことからうっかり(?)実現してしまい
逆に拍子抜けしているというか、
さみしいような気もしている。不思議なものだ。

もちろんそれが全てではないけれど、なにか、ひとつでも
『叶わないけれど、実現すれば素敵なこと』があるというのは
感性を磨く、最良のスパイスだと思う。

あぁなったら、こうだったら、そうなるためには、あれがあれば…と
想像したり、憧れたりする気持ちがあるから
自分を成長させたり改善するために磨いたりできるものでしょう?

だから、さみしい、というか
叶うはうがないと油断していたぶん、
驚きの後、ちょっと腑抜けな毎日を送っている(苦笑)。
燃え尽き症候群に似た状態なのかもしれない。
目標というか、よりどころがあったはずの心の大切な場所に
ぽっかり穴があいているような…。

…なんて、とても抽象的な話だけれども。
嬉しくないわけではないのだけれども、複雑なのです、
勝手なイキモノだなぁ、人間って(苦笑)。

連休も終わって、リアルな波の押し寄せる日常がまた始まる。
木々のみずみずしい緑が気持ちいい季節、大好きな季節
このいい季節にのんびりしてられないし
スイッチ切り替えてまた頑張らないと。

もうすぐ、蛍も飛びはじめる。
落ち着いたら、今年は観に出かけてみようかなぁ。
ひとつひとつの小さい楽しみも、
それはそれで、素敵なスパイス、だし。

二度あること

2009年05月02日 | Daily
親友に、ものすごい剣幕で叱られた。
これで、二度目。
それも、同じ事で叱られた。
しかも、前回よりももっと叱られた。

5年前の夏にも、
やっぱり、こぼれるような大きな目でじっと見つめられ、
同じように真剣に叱られたんだった。


叱ってくれるのは、分かっていた。
叱って欲しかったから、会いたくなったのかも。


大人になると、叱られる事は少ない。
ハッと気付く、あのドキリとする感覚はもう昔のものになってしまう。
冷静に心から想ってくれる親友の存在は、本当にありがたいものだなぁ…。

なかなか一番大切な部分を変えることができないでいる自分に
自分でも嫌気がさしていたのだと思う。

そして
その通りだ、馬鹿だ大馬鹿だ、それは間違っている、と、
まっすぐこちらを見て彼女に言ってもらいたかったのだと、思う。

わかっちゃいるのだけれど。
わかっちゃいるなら
三度目はないように…と、思うのだけれど(^^;

2008年12月30日 | Daily
気がつけば、今年も終わりを迎えていて
その流れの速さに腰を抜かすほどの驚きです。

濃厚な毎日…といえばそうだったのかもしれないけれども
とても個人的な深い溝を覗き込む時間が多く
外向きに発信できることが少なかったのかも。

しばらく自分でも少しおかしなテンションだったし(苦笑)、
無理すると、いろんなところにひずみができるのだなぁと実感したりして。

大切なものを見送った後
今の気持ちはどう表現したらよいのか、
まだ探している途中ですが
それでいいのだと、思います。

ぽっかり穴が開いたような
それでいて
ようやく色褪せないものを手にした清清しさのような
でもそれは、もともと実はすでに手のひらの中にあって
わたしの時の流れのいいタイミングで
その時に応じて目に見えて顕われているのではないか、と。

大げさではなく、
今年ほど人に生かされている、と感じたことはありませんでした。
このところは、ようやく我に返り(苦笑)、
与えられたもの、与えられた分だけ、幸せに過ごしています(*^人^*)
感謝、感謝。

あたたかくして、どうぞよいお年をお迎えください(^^)