原発事故3.11 今日はあの日の1日前?

第二の福島はいつでも起こる。

がれき受入れ中止にあたって、ある市民の思い

2013-01-29 21:24:57 | 日記
がれき受入れ中止にあたって、ある市民の思い
北九州市のがれき受入れ中止にあたり、私に情報を提供をしてくださっているT.Sさんがブログ【院長の独り言】の1月9日記事にコメントを投稿されていました。
ご本人の承諾を得て転載します。

(ここから。)
小野先生、皆様お疲れです。
さて、ついに北九州市の汚染がれき受け入れが止まることになりました。本日付けの報道です。

「北九州の震災がれき焼却3月まで 宮城県方針、1年前倒し」
 宮城県は10日、昨年9月から北九州市に委託している東日本大震災で発生したがれきの焼却処理を、今年3月末で打ち切る方針を固めた。(以後省略。)
2013/01/10 11:23 【共同通信】

とりあえずは、良かったです。ちょっとホッとしています。
しかし三菱マテリアルなどの民間企業の瓦礫や焼却灰、下水汚泥などの受入れはまだ続くものと思われ汚染と健康被害はまだ終わらないでしょう特に黒崎や若松区の方々には災難が続きます
また、ここで瓦礫受入れを北九州市が止めたとしても今まで起きた健康被害に対する市長と北九州市、市議会議員らの責任は消せるものではありません。偏向報道に明け暮れたマスコミの責任も重大。

多くの市民の体内に入った放射性物質を含む化学物質が、今後様々な疾病を引き起こすかもしれません。
それにまず間違いなく北九州市内では瓦礫の有毒ガスにより、死者が出ていると推測しています。私や友人も感じていたことですが、とにかく昨年秋から救急車の出動が増えました。これはある総合病院に勤めている方も仰っていたので、まず間違いないでしょう。焼却開始直後からギブスや松葉杖の方を見ることも急増しました。
しかし市の統計資料を見てみると昨年と比較しても救急出動件数は大して増えていない。チェルノブイリ事故の時のソ連政府と同様、医療に関する北九州市の様々な公表データも改ざんされている疑いを持っています。市の消防局の職員自身、市民からの問い合わせに対し、「どんどん出動が増えています。」と教えてくれたのですから。
博多や下関の住民からも地元で救急出動が増えたと聞いています。超広域汚染です。

皇后崎清掃工場に近い私の会社でも、がれき焼却開始後、ご家族を亡くされる方がこれまで考えられないくらい多かったです。三菱化学のある社員の方も食べ物が通過できないほど扁桃腺が腫れて入院されました。

昨年秋から北九州市内で2.49マイクロ、1.54マイクロ、1.3マイクロなどとんでもない空間線量値が相次いで報告されました。それもすべて室内での計測です。
福島の瓦礫を焼いたのではないでしょうか。

最初に書いた共同通信の記事では、北九州市での焼却中止の理由として現地の可燃瓦礫の量が減ったことを挙げていますが、そんなことは今年の9月には分かっていたことです。石巻ブロックの木屑などほんの5万トンしかなかったのです。受け入れの前から北九州に持ち込む理由は破綻していたのです。受け入れ中止の本当の理由は別のことにあるのではないでしょうか。
とんでもないほどの健康被害が市内外に出ていることが、真の理由なのかもしれません。

北橋市長と市役所、市議会議員は多くの市民を殺したのかもしれません。健康被害を与えたのはもう間違いのないところです。
環境省にも瓦礫反対派の方々が11月に70名分の健康被害レポートを提出してくださっており、市役所で記者会見も開かれました。しかし、いつものごとく、どこのマスコミも報道してはくれませんでした。マスコミも見事に役所とグルでした。

北九州市が終わっても、大阪や富山、新潟での焼却が始まります。さらに、国は8,000ベクレル未満の汚染稲わらの受け入れ自治体を応募するそうです。もはや悪魔ですね。

何よりも私が北橋らを許せなかったのは、我々が納めた税金で私らの命より大事な子ども達の身体を傷付け、さらにその子どもらに「瓦礫で健康を損なうことはありません」という洗脳チラシを学校で何度も何度も配っては騙し続けたことです。

市長らは、このまま健康被害を隠匿したまま瓦礫処理を終わらせるつもりでしょう。でも我々は許しません。環境への影響も甚大でした。八幡東区から八幡西区にかけ街路樹のプラタナスは瀕死の状態。葉は10月にはボロボロに。市役所前の勝山公園の芝生はほぼ全滅しました。試験焼却でホットスポット化したらしい戸畑区天籟寺~東大谷では銀杏が先祖返りどころか、色付く前にほとんどの葉を落としました。
議員らも「我々が助けなければ石巻から何十年も瓦礫が消えないだ!」と市民を騙したあげく、僅か半年で受け入れ中止の有様。これを一体どう市民に説明するのか。きちんと総括させたいものです。

今後も健康被害の実態を少しでも明らかにし、市長や市役所、議員らに落とし前をつけさせたいと考えています。
覚悟しておいてもらいたいものです。
また、性懲りも無く北橋が汚染稲わらなどを受け入れないよう、さらには民間企業の受け入れにも目を光らせ続けたいと思います。怪しい大型トラックはいまだ多数市内を走っています。
小野先生、北九州に関する記事をたくさん書いてくださり本当に感謝しております。
長文、失礼しました。

何十万人もが避難訓練をしなければならないような、原発による電力は本末転倒だ

2013-01-29 21:00:14 | 日記


何十万人もが避難訓練をしなければならないような、原発による電力は本末転倒だ @かっち
掲載元: かっちの言い分 2013/01/26 21:07

島根県・鳥取県の6市が合同で、中国電力島根原発の事故を想定し、防災訓練を行ったという。この光景はTVでも放映されていた。広域30キロ圏、さらには50キロ圏を想定し、その地域の住民が、バスなどを仕立てて避難するという。

しかし、各市の数万人もいる住民を、他の市に避難させることの問題を指摘していた。またそれを受けて、どこかの大学の教授が出てきて、原発事故は大変なので、もっと自治体はまじめに防災計画を立てて実行しなければならないと偉そうに述べていた。

原発30キロ圏、合同訓練 島根・鳥取県と6市

中国電力島根原発(松江市)の事故を想定し、島根、鳥取両県と、原子力防災の重点区域である30キロ圏内の6市が26日、合同防災訓練を行った。両県の広域避難計画に基づき、30キロ圏外への住民避難訓練を初めて実施。6市の住民約800人> がバス計27台で移動した。

合同訓練は昨年2月にもあったが、自治体の初動対応が中心だった。今回は自治体職員や住民、陸上自衛隊、社会福祉施設、学校、病院など総勢約3700人が参加。広域避難計画の実効性や課題を確かめた。

こんな光景を見ていて、誰もおかしいとは思わないのか?高々電力を供給するために原発を使うだけで、これだけのリスクを負わなければならないことを不思議に思わないのか?これは究極の本末転倒と言わざるを得ない。

つまり、原子力を使えば電力が安くなると言って、一度事故が起これば、何十万人も避難しなければならない商品は、商用製品としてはあり得ない。これは正に、自民党が原発を始めた理由を軍事目的の一環と見ているからで、性懲りも無く、3.11を経験しても原発を推進するという。

こんな本末転倒の電力は使うべきではない。ドイツ国民が3.11の惨状を見て脱原発を選択し、多少高いが再生可能エネルギーによる電力を育てていることを見習うべきである。それが核被害を2度も受けている日本の矜持だろう。

またこれが、生活の党が訴えている政策である。

被爆作家・林京子さんの思い

2013-01-29 20:45:11 | 日記
原爆、原発へ対抗するために「人間信じたい」 被爆作家・林京子さんの思い
長崎で被爆した作家の林京子さん(82)。その体験をつづった作品「祭りの場」で1975年に芥川賞を受賞し、その後も被爆体験を抱えて生きることの意味を問い続けてきた。


「原爆と原発はイコール。人間と核とは共存できない」。そうした思いを作品を通じて発信してきた林さんの目にいま、福島原発事故とその後の日本社会はどう映っているのだろうか。 (出田阿生)


神奈川県逗子市の自宅に近いJR逗子駅前に現れた林さんの背は、すっと伸びていた。ジーンズにブーツ姿。赤で統一された首飾りやマニキュアの差し色が美しい。

「福島の事故が起きてから、一度はもう核のことは一切考えまいと思った。被爆者全体が裏切られたのだ、と知ったからです。もう国に何を言ってもダメだと…。これほどの落胆はなかった。(長崎に原爆が投下された)8月9日以上のショックだった」

被爆者たちは長年、残留放射線による内部被曝や低線量被曝の存在を無視する国に、原爆症認定の申請を却下され続けてきた。

ところが、福島原発事故の記者会見を見て、政府の担当者が「内部被曝」という言葉を使っていることに気づいた。つまり、国は内部被曝の被害を知っていて、原爆症認定を却下し続けてきたのだ─と気づかされた。

林さんが被爆したのは、長崎県立高等女学校の3年生のとき。勤労奉仕先だった長崎市内の三菱兵器工場で爆風に吹き飛ばされた。3日歩いて帰宅すると、手足の毛穴全てから黄色い膿が噴き出した。被曝の急性症状だった。

【少女たちもモップ状になって立っていた。肉の脂がしたたって、はちゅう類のように光った。小刻みに震えながら、いたかねえ、いたかねえとおたがいに訴えあっている】(「祭りの場」より)

◆詳細な被爆描写 カルテのつもり

自身の被爆体験を詳細に記した「祭りの場」は、カルテのつもりで書いたという。「わたくしは自分がモルモットになってもいいと思っている。死んだときは骨を砕いて調べてほしい」

奇跡的に生き延びた同級生たちは、30~40代になると次々と亡くなった。がんや甲状腺の病気が多かった。通院や入院が相次ぎ、一時は「病院で同窓会が開ける」と言い合うほどだった。

林さんが14歳まで暮らした中国・上海の同級生たちには、そんな年齢で若死にする人はいなかった。被爆の影響と考えるのは当然だった。

「原爆症が認定されれば、少なくとも死の間際に、自分の人生を嫌々にせよ、肯定できると思う。友人たちは却下、却下で影響を曖昧にされたまま、小さな子らを残して死んでいった」

林さん自身も、白血球の減少などの症状に苦しんだ。「体の中に時限爆弾がある」という恐怖は結婚して子供ができるとさらに切迫した。

原爆症の遺伝を恐れ、妊娠8カ月で医者に「勇気がありません。処理していただけますか」と頼んだ。しかし、紹介された大学病院の待合室に行くと、泣き叫ぶ幼児や懸命にあやす母親たちが大勢いた。

「ああ、この命を産むんだと思って、そのまま帰ってきた。帰ってきてよかった。息子には言ってないんですけれど…。やはり産まない選択をした人もたくさんいる」

出産直後、赤ん坊の体の薄赤い斑点を見て、思わず「先生、これは紫斑(被曝による皮下出血)ですか」と聞いた。息子が鼻血を出すたびに原爆症を疑い、病院に連れて行った。夫に恐怖をぶつけ続けた。「離婚するとき、夫に『君との結婚生活は被爆者との生活だった』と言われた。被害を周囲にばらまいているようなものですよね」

放射性物質がどれだけ人々の健康と命を脅かすか。作品を通じて、静かに訴え続けてきた。「私たち被爆者は、核時代のとば口に立たされた、新しい人種なのだと思う。わたくしは作品で、原爆と原発とは同じだと訴えてきたつもりでした」

人間は核をコントロールできない。科学の進歩に倫理が追いつかない─。福島原発事故での東京電力のテレビ会議映像を見て、がくぜんとした。水素爆発を防ぐため、自衛隊に建屋を破壊させる提案を「危険だ」と指摘された本店幹部が「どのみち吹っ飛ぶぜ」と捨て鉢な発言をしていた。

日本よりも世界の危機感の方が強いのでは、とも感じた。福島の事故から半年もしないうちに、ドイツでは林さんの短編「トリニティからトリニティへ」 と 「長い時間をかけた人間の経験」が緊急出版された。

「トリニティ…」は99年秋、米国・ニューメキシコ州の核実験場を訪れた体験を書いた作品。広島と長崎への投下直前、人類が初めて原爆実験をした場所だ。

◆初の原爆実験で まず自然犠牲に

そこは生き物が消えた世界だった。バッタ1匹飛ばず、空には鳥の影もない。最初に核の被害を受けたのは自分たち被爆者だと思っていたが、人間より先に焼き尽くされた自然や生き物を思い、涙があふれたという。

福島原発事故後、気力を失っていた林さんが前を向こうと思い直したきっかけは、昨年7月、東京・代々木公園で催された「さようなら原発10万人集会」に参加したことだった。

杖をついた同世代の老紳士は、入院先を抜け出してきたと話した。「最後に子どもたちに何かいいことを一つだけでも残したくて」と言った。

「核の問題を命の問題と捉えてやって来た人が大勢いた。ああ、核と人間の問題はここに落ちてきたと実感しました」

日本は今後、変われるのだろうか─。そう質問すると林さんは、米国の大学生に自らの被爆体験について講演したときのことを話し始めた。

話に聞き入る若者たちの青い目は、見る間に充血して赤くなった。最後に一人の男子学生が「林さん、世界はこれからどうなると思いますか」と質問した。

林さんは「政治家でもないし、分からない。でも、人間を信じます。あなた方を信じます」と答えたという。

全員が立ち上がって拍手をした。「彼らは何かを信じたかったんだと思います。そして、『自分自身を信じよう』と思ったのだと思います」

そして、こう付け加えた。「日本がこれからどうなるのか、分かりません。でも、全てを金銭に置き換えようとする今の『悪い平和』は変えたいですよね」


[デスクメモ]
林さんはぶれない。芸術選奨の新人賞に選ばれた際に「被爆者であるから国家の賞を受けられない」と拒んだ。人は死から逃れられない。だから、国家や神に自らを委ねがちだ。だが、彼女は「命一つあれば十分」と言い放つ。再び国家やカネの論理が頭をもたげてきたいま、彼女の存在は重い。(牧)

[はやし・きょうこ]
1930年、長崎市生まれ。三井物産に勤める父の転勤で、1歳になる前に中国・上海へ移住。14歳で帰国し、被爆した。53年、長男を出産。主な作品に「祭りの場」 「上海」(女流文学賞)「三界の家」(川端康成文学賞)「やすらかに今はねむり給え」(谷崎潤一郎賞)「長い時間をかけた人間の経験」(野間文学賞)など。

東電OB・蓮池さんの福島原発事件総括

2013-01-28 18:38:33 | 日記
暴走する悪徳エリートの所業
272425 東電OB・蓮池さんの福島原発事件総括~「原子力ムラは非常に恐ろしいところだ」
 
ET 13/01/22 PM09 【印刷用へ】
「ジャーナリスト同盟」通信 (リンクより、蓮池さんの発言部分を中心に紹介します。

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●東電OB・蓮池透の福島原発事件総括

蓮池透をご存知の方も多いだろう。
北朝拉致被害者家族連絡会の元副代表だ。

東京理科大学を卒業して東電に入社、原子力燃料リサイクル部部長を歴任、2009年に退社している。福島原発に5年半も勤務、3号機と4号機の面倒を見てきた御仁だ。そんな彼の講演録(2012年11月)が手に入ったので、その要旨を紹介したい。
筆者はこれまで腐敗した東電関係者の声を聞いたことが無い。首脳部・労組員含めて沈黙している。蓮池の、内側からの東電福島原発事件総括はそれなりに価値あるものと思いたい。

●変わらない腐敗した東電体質
それでも彼は、講演冒頭で現東電首脳部の姿勢については、こっぴどく批判した。「昔のような普通の電力会社に戻りたいという思いが非常に強い。未曾有の事故を起こした会社としてふさわしい態度なのか」と。

蓮池によると、東電では「炉心溶融・メルトダウンは100万年に1回の確率で起こるものと言われてきた」という。原子力ムラの安全神話は、ここから派生したものだろう。恐ろしく非科学的な世界が存在したことに驚きを禁じ得ない。おごりと官僚体質の東電だと決めつける東電OBの現状認識は正しい。

●メルトダウンと言わない首脳部
3・11から大分経った2カ月後に突然「メルトダウンだった」という報道がなされた。2か月も嘘を突いていた。ところが、なんと「東電では今も、この言葉を使っていない」というのである。事実を認めないのだ。「東電の事故調査報告書を見ても、メルトダウンと言う言葉は、人が言った言葉に限られている。東電は炉心損傷と言っている」と蓮池は内幕を明かした。

犯人は津波」が政府や東電の言い分なのだ。
「被害者は東電。責任は津波だ」というのが、東電の認識というのだ。
開いた口がふさがらない。

●司法・検察で犯人を
東電OBは「これは司法・検察の力を借りて調べてもらわないと。誰が責任を取るのか。いまだに処分された社員は一人もいない。非常にいかがなものか」と批判する。

●今も残る謎
「2号機の原子炉の格納容器の圧力が上がった。弁を開けようとするが、電気でも開かない、空気圧でも開かない、そうこうしている時に圧力が下がった。なぜ下がったのか、未だに不明だ。この時に福島事故で放出された放射性物質は約5分の1と言われている。これは今も謎だ」

こういう事実を庶民・民衆は知らない。2号機の水素爆発はいまだに謎なのだ。「私どもは建物が水素で爆発するとは全く考えていなかった」「格納容器の水素爆発は念頭にあったが、格納容器に溜まっているはずの水素が、外側の建物にどう漏れ出したのか、いまだに分かっていない」

当事者・専門家も分からない謎が、今も尾を引いている。それでいて、もう終わったという野田の収束宣言に対して彼は、本気で怒る。

●誰も見てない原子炉内
「2号機からの大量の放射性物質の放散と、それから建物の水素爆発は大きな謎だが、一番のポイントはメルトダウンしたといわれる原子炉の中を、誰も見ていない点だ」

重大な事実は「誰も原子炉内を見ていない」ことである。
燃料がどうなっているのか、どの程度溶けているのか、圧力容器を貫通しているのか、貫通なら、その下の格納容器のどの部分に落ちているのか。「全く分からない」と言い切る。

危機的状況を少しでも改善しようとして、東電とその下請けの作業員が毎日3000人規模で働いているのだと言う。
「1,2,3号機の原子炉の蓋がいつ開くのかと考えると、気が遠くなる。4号機の使用済み燃料プールにある燃料を2013年12月に取り出すと言っているが、一体どうなるのか。本当に気が遠くなる」

●再稼働は金もうけ
「お客目線が欠如している」と言って怒る蓮池だ。
「東電は自分たちの再生と存続に重きを置いて仕事をしている。普通の会社であれば、とっくに倒産しているのに」と言って古巣の体質を嘆く。
原発は安全だから安全、と繰り返してきた。噛み砕いて説明できない。本来は、潜在的な危険性を内包している原発、そのリスクを顕在化させない努力をしている、というべきだ」
「原発は国策で進められてきた。だから教科書にまでも。原発は非常にクリーンなエネルギー、コストが安いと。それからコストが上がってくると、今度はクリーンエネルギーだと」

なぜ再稼働なのか。
それは電力の不足からでは全くない。経営がその理由だと断言する東電OBである。再稼働は不要なのだ。現に停電で困っている日本人はいない。

●危うい検証
捜査が入らない巨大事故検証もいい加減だ。
「事故当時、混乱がひどくて住民非難を含めて説明がデタラメ。SPEEDIの装置が機能ゼロメルトダウンも2カ月後に公表。そのせいで国民の意識も少し違った」

各事故調査委員会の最終報告書を読んでないので知らなかったのだが、蓮池によると「原子炉の中を見たわけではない」と断りの言葉が載っているという。原子炉内が分からないのに最終報告に疑問を呈する。確かにそうだ。
事故調報告書をどう検証してゆくのか、責任は誰が?いまだにはっきりしていない、とも指摘する。以上のような蓮池の疑問を、現場を知らない専門家はどう主張しているのだろうか。

●増え続ける核のゴミ
蓮池は「原子力ムラの解体」を訴えている。
原子力ムラの既得権益を排除することだ、とも叫ぶ。「原子力ムラは非常に恐ろしいところだ」という彼の一言に頷くほかない。

原子力学会なるものが存在しているという。春と秋に大会を開く。そこで、ある研究員は「災い転じて福となす」と発言した。
聞いていた東電OBは腰を抜かしたという。確かに恐ろしい原子力ムラであろうか。それを国民は知らない

核のゴミに深刻な懸念を示す蓮池である。
使用済み燃料を再処理した後に出てくる、いわゆる死の灰」を核のゴミという。このゴミ捨て場にされそうになったのが、マリアナ海峡や南極、大気圏外。結局は地層に処分すると。しかし、10万年もの間どう管理するのか?不可能だ。

「核のゴミは円柱状の直径40センチ、高さ130センチのガラスに固める、しかし、このガラス固体物を埋めるところはない」のである。現在、これが1500本も青森の六ケ所村に貯蔵してある。
無知な村民を騙したのであろう。哀れだ。ここは中間貯蔵だ。
現在、使用済み燃料は6万体という。これを再処理してガラス固体物にすると、ざっと2万5000本になるのだという。これをどうするのか?方法はない。

「使用済み燃料を地下に埋めろ」という乱暴な意見があるらしい。
「こんな方法は誰も研究していない」という。
初めから不可能と分かっているからだ。