細菌戦の系譜!!

2024-02-21 13:26:11 | Weblog

●日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 

 

 

 

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

 

 

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 

 

IMAGINE9

解説

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

 

世界は、9条をえらび始めた。

ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。

―イギリス、30代・男性     

 
 
 

【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?

日本のパトリオット輸出 露外務省報道官が敵対行為と警告

『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住) 

この史料館を順路通りに歩いていくと、数々の遺影や、遺品のコーナーがあり、そこで写真を見たり、遺書・手紙の類(検閲を受けたもの)を読む人々も多いです。そして、出口へと向かう最後のコーナーでは、自衛隊戦闘機の操縦席とか、世界平和に貢献する自衛隊ポスターとか、自衛隊賛美のような内容のコーナーを通るという順路になっています。戦没者たちを自衛隊のためにまさに利用する行為は、戦没者たちを踏みにじり冒涜する行為だと思います(近年、展示の仕方や順路等の変更があったとしても、展示の根本思想は同じだと思います)。ですから、この史料館は、他の場所に移設(新設)し、平和祈念会館などの名前で、公的機関が管理すべきではないかと、思うに至りました。少なくとも、自衛隊敷地内に史料館を置いて、まるで戦没者たちが、彼らの持ち物でもあるかのように思い違いし、彼らを正当化するために、利用されてはならないと思います。一人ひとりの戦没者たちは、自衛隊から、解放されるべきです。
 
 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会

 
 
『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25
 

29、戦後がまだ終わっていないのだと分かりました。愚かな戦争のことをもっと人々が知り、起こさないないように終えるように祈っています。

でくのぼう 戦争とPTSD

 

 

 

 
 

「戦争のない世界」

「戦争のない世界」をめざす行動の道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。

「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を肯定したり、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。

「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現します。

いや、想像するに世界の10%の家々に白旗が掲げられたら世界は劇的に変わるでしょう。

それは遠い夢物語でしょうか。

ありえない事でしょうか。

戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。

 

 
祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
 
 
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日  黒井秋夫。
 
 

 

 

コメント
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