サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
言論の自由が欲しい!!
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
12月16日(土)
10,小学校で図書ボランティアをしています。先日、図書室の蔵書点検の際「はだしのゲン」を見つけ、借りてきて全読しました。小学生の頃は、8月6日が登校日で必ず原爆や平和について授業を受けましたが、その当時、図書室にあった「はだしのゲン」や「ひろしまのピカ」が怖くて怖くて、触ることもできませんでした。大人になり、子どもたちが、小学校で詳しく話を聞くこともないと知り、びっくりしていた中、見つけた「はだしのゲン」を初めて読み、私自身、知らないことが大変多く、我が子たちだけでも、知ってほしいと強く思っているところでした。このような活動をしていらっしゃるのを知れてよかったです。子どもたちも又連れてきます。
(30~50代、市内、たまたま来館して)
●三多摩平和交流会の感想
17、千葉君を救うために高校生達が作成した「無限の瞳」素晴らしいです。様々なことを教えられる貴重な映像に感動しました。成城高校では毎年上映されているとのこと。若者に伝え続けて頂きたいです。
高校生平和ゼミナールの活動には希望を感じました。こんな素晴らしい学生達が全国にいるんだと思うと元気が出ます。お世話役をしている津田先生の存在は、とても大きいと思います。感謝いたします。
(チラシ、70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。これをめぐる争点について述べます。
3 生物学的線量評価
原告側は、船員保険の申請段階で、船員の生物学的な線量評価を提出しました。
ビキニ海域から戻った直後の血液検査、リンパ球による染色体異常による線量評価、さらに歯のエナメル質の線量評価などです。
原告側の専門家は、外部被ばく線量としても500mSv程度、場合により、1000mSvを超えると主張しています。
これに対し、被告は、 自分たちの線量評価によれば、そんなことが起きないと言っています。
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●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
性ホルモン
男性ホルモンAndrosteron C19H30O2、卵胞ホルモン Esterin C18H22O2とを比較すると男性ホルモンに1原子の炭素が取れ、脱水作用を施すと卵胞ホルモンになるのである。黄体ホルモンはC21H30O2と言われ、尿中へは、卵胞ホルモンとなって現れると言う。極めて近い関係のものであると同時に又男性ホルモンとも又極めて近似の形のものであることが知られたと思う。且つ上記の化学的構造並びに組成は、未だ一般的に認められた訳ではないが、これらのものが近似のものであるという1個の事実がある。それは男子の尿中に女性ホルモンが相当多量に排出し、又女性の尿、特に月経時のそれには相当に多いということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
29年1月17日、天皇は白川に事件の調査を促した。2日後、天皇は田中に議会対策の方針をただした。2月2日、彼は再度田中に調査の進展について尋ねた。首相は、内閣としては張作霖事件の責任をとるつもりのないことをほのめかした。1カ月後の3月4日、牧野は秘書官長の岡部に、田中はもはや天皇の信任を失っており、天皇は次回の報告のとき彼を叱責するつもりだと西園寺に伝えるよう命じた。このとき田中はすでに、全陸軍が彼に対抗していること、自分が譲歩し、陸軍を窮地から救う以外にないことを悟っていた。その結果、内閣は事件を隠蔽し、行政問題として陸軍に扱わせることを決めた。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
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解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
第2次世界大戦の悪夢を経験したひとりとして、私は力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるベきだと思います。
―フィリピン、60代・男性
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
鹿屋海上自衛隊内にある「鹿屋航空基地史料館」は、自衛隊とは全く別の、戦争のコマとされて亡くなった(命令によって特攻に行かされ、現場から上層部に無謀な作戦であると意見しても、全く無視された中で、更に多くの若き兵士たちが犠牲者となった)戦没者たちの史料館なので、別の場所に移動し、公的機関管理の『平和祈念資料館』(もしくは「平和祈念会館」~鎮魂と平和=憲法九条を明確にして平和を発信する「庶民のための」資料館)にすればいいとの考えに、ようやく、数十年かけて、たどり着き、まとまってきました。場所は、どこでもいいでしょうが、例えば、(平成の大合併で鹿屋市に吸収された)串良町平和公園内(海軍串良航空基地跡~特攻で363名戦死)でもいいでしょうし、その場合、既に鹿屋市内にて活動している「平和ガイド」の方々も力を合わせていけるのではないでしょうか。
1,旧日本兵のPTSDの問題を直接聞いたのは初めてです。ベトナム帰還兵、イラク戦(自衛隊含む)、アフガン帰りのソ連兵などの話しは聞いていましたが、旧日本兵にもありうると漠然と思っていましたが、このことが明らかになったのが2018年、5年前とは驚きました。ヒロシマナガサキの被爆者やハンセン病の家族の証言も(明らかになるまで)時間がかかりましたが、やはり「加害のこと」を語るにはより口が重くなると思いました。PTSDの概念が理解され広まることも今集会の成立にプラスしたと思う。PS 私自身も、父の母へのDVがトラウマになってACになったと思います。
「戦争のない世界」
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。