サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
言論の自由が欲しい!!
言論の自由が欲しい!!
12月17日(日)
2、私は中国出身で。留学に来日し、卒業後日本で就職し、日本人と結婚しました。日中関係について、複雑な過去がありますが、歴史を忘れずに、友好関係を永遠に続けたいと思います。パネル展などを通じて、もっと多くの若い世代が歴史を知ってほしいです。本日の展示会の資料などを拝見させていただき、とても感無量です。私も日中の友好に何かできることがないかと考えています。みんなが平和で幸せな日々を過ごせることを心から願っています。
(30~50代、市内(散田町)、その他)
●三多摩平和交流会の感想
19、9/30 広島の若い方達の反核運動の具体的話が励まされました。
9/30 ビデオ―731部隊と現在の感染症(コロナ)との関係のビデオで、医師たちの悪業がよくわかりました。
10/1 PTSDの黒井さんの話=西東京の学童の子ども達に戦争の愚かさを話されてることに感動しました。
展示は全体が分かりやすく、よく作られ多くの人に見てもらいたいです。国分寺の中学生の絵とメッセージを出来たら冊子にして頂きたい。
(70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。これをめぐる争点について述べます。
5 海洋汚染と水産物の経口摂取
被告は、経口摂取による放射線量は最大で0.08m S vと主張しています。
また、内臓の線量に高いものもあるが、これは考慮しないとという対応です。
これに対して原告側は、農林省がビキニ海域に派遣し1954年の俊鶻丸による専門家調査の結果を示しました。
112、パネル展を横浜市以外でやってほしい。東京都内でやってほしい。世の流れが、別の方向に行っており、ムナシサを感じる。
渋谷駅(東横線)プラットホームまでイヤになる。横浜駅(東横線)から地上出口までエスカレータの連続イヤになる。3多摩(?)→横浜 交通費、時間がばかにならない。
パネル掲示が多くて、読むのが大変。絞ってほしい。
(70代、東京武蔵野市、チラシ)
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4、関東大震災時の朝鮮人虐殺は知っているつもりでしたが、特に「払い下げられた朝鮮人」において千葉県の地域で、地区ごとに地区の住民が朝鮮人を殺していたことを初めて知りました。自警団の虐殺。殺したのに、大した罪にならなかったこと?記録、名簿も大して残っていないこと。この映画を見て、余計東京都の小池知事の言動は許せません。ヘイトにつながるとのこと 納得。
(70代、横浜市内、Web・友人)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
上皮小体ホルモン
カルシウム代謝と重大関係を有するものでTetanieの療法に使用せらるるものにParathormon、Parathyroid Parathyroidinの如き製剤がある。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
ずっとのちになってから、昭和天皇は有名な 「独自録」の中で、田中が来て張作霖事件を「もみ消す」と言ったとき、怒った調子で辞任を求めたのは「若気のいたり」だったと述べている。彼は、自分もまたこの暗殺のもみ消しを望んだことは、都合よく忘れている。田中に何と言うべきか、側近と慎重に準備したことも、29年6月27日の彼の2度めの上奏は何も叱責の理由にならないことも忘れている。天皇にとってはこの上奏は、彼を叱責して田中内閣を倒すための口実にすぎなかった。そのため彼は、ふたりの将校が犯した基本的に軍事上の犯罪を罰する、大元帥としての憲法上の責任を回避したのである。