サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
言論の自由が欲しい!!
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
12月17日(日)
4、祖父が昔、生前に見たと話していたあの雲を見れて良かったです。“長崎”県、“広島”県と話すのがはばかれたのではないかと常に考えていました。孤児、弱者が結果被害をこうむり、辛苦を強いられたのはやはり酷です。どうか未来の子どもたちは世界で起こっている戦争を知りながらも、境なく、手をつなげられていることを祈ります。(20代以下、市内)
●三多摩平和交流会の感想
高橋悠太講演会での質問
2、日常、「この先はどうなってゆくんだろう」「私は年だからいいけれど、子どもや孫たちはどうなるんだ」と悲観的な考えしか浮かばなかったけれど、高橋さんの講演を聞いて、こんな具体的に動いて仲間を造り、行動を起こしている人がいてくれたんだと感激しました。意識を変えることが大事なことなんですね。
どんな育て方を親御さんがしたのか知りたいです。
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第4 最後に
被災から間もなく70年です。多くの船員がなくなりました。事実資料は、十分ではありません。原告としては、これから幡多ゼミのデータ、アメリカを含む情報公開による公開データ、最新の科学的知見とを照らし合わせながら、全体像を示すようにしたいと考えます。
しかし、被告は有識者による保険部報告により、そもそも線量が低いとしているので、この点についての原告の批判を行いました。
まずは、第5、第6準備書面(基礎とする報告論文を含む)に対する被告の反論を待ちたいと思います。
以上
114、日本はよくもまあ、こんな蛮行の歴史を持つ国なんだなあとアゼンとしました。
歴史に学んで、2度とこのような歴史を繰り返さないためにも、是非若い人に見てもらいたいと、つくづく思いました。
つまるところ、「国民がしっかりしない事には、国が過ちを犯してしまう」と痛感しました。
岸田政権もじわじわとおかしな道に行くような気がして不安に思いました。
(80代以上、磯子区、チラシ)
|
|
||
|
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
脳下垂体前葉ホルモン
これに関してはZondex、Aschheim等の熱心なる研究によって相当に明瞭になった。氏等によるにProlanA、B、胎盤よりでるものにTrophoblasthormonという名称を与えた。Aは卵胞の成熟、女性ホルモンの産生を促し、Bは卵胞の顆粒細胞を黄体細胞に変じ、Luteinの分泌を促し、卵胞の成熟を抑える作用があると言われている。非常に沢山の製剤がある。即製品には「プベローゲン」(友田)があり、外国品にはGlandul,Hypoplysol、Hypototal,Praehypophen,Anteron,Antuitrin,Hypophorin、Antegikandol,Praephyson,Hypophysin等々である。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
天皇は次のように述べている。
・・・・重臣「ブロック」と云ふ言葉を作り出し、内閣の倒(こ)けたは重臣達、宮中の陰謀だと触れ歩くに至った。
かくして作り出された重臣「ブロック」とか宮中の陰謀とか云ふ、いやな言葉や、これを間〔真〕に受けて恨を含む一種の空気が、かもし出された事は、後ゝ迄大きな災を残した。かの2・26事件もこの影響を受けた点が尠(すくな)くないのである。
この事件あって以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令(たとい)自分が反対の意見を持ってゐても裁可を与へる事に決心した。・・・・・・
田中に対しては、辞表を出さぬかといったのは、「ベトー」〔拒否権の行使〕を行ったのではなく、忠告をしたのであるけれ共、この時以来、閣議決定に対し、意見は云ふが、「ベトー」は云はぬ事にした。