サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
今語るべき日中戦争
原発活用の国策見直しを!!
●三多摩平和交流会の感想
18、貴重なパネル展示を多数見ることが出来まして、有難うございます。
ここまで、用意された皆様方の御苦労大変だった事と思います。展示内容も、戦争、空襲、被害状況、三多摩地区以外の広島原爆に関することや731部隊、又、PTSD、PFAS汚染問題、オスプレイ、又、高校生平和活動等幅広く扱っており、大変勉強になりました。これからも皆様方の御活躍応援致します。
(チラシ、70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。これをめぐる争点について述べます。
4 放射性微粒子による被ばく
内部被ばくについては、原爆の入市者の広島大学のデータをもとに、原爆で巻き上げられた誘導放射化物質の粉塵(放射性微粒子)の影響を推定し、これを長崎大学、カザフスタンなどの専門家などと協力して、世界で初めて放射性微粒子の影響を示唆する動物実験結果に基づいた意見を出しました。
その内容はICRPの評価では、100mSv程度の放射性マンガン微粒子の影響が、2000mSvの外部被曝線量よりも様々ないというものです。
111、やっとこちらに来る機会に恵まれました。ありがとうございました。
これから文京区シビックホールにて開催される「関東大震災中国人、朝鮮人虐殺」のイベントに向います。
いろんなことに参加していますが、お互いに見続けていきましょう。感謝です。
(70代、市外、-、ドイツと日本の戦後処理の違い、DVD上映)
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●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
性ホルモン
Zondekは男女共に身体内で先ず男性ホルモンを作り、これが脱水作用を受けると女性ホルモンになる。何かが多いか少ないかは、各性によって、特有であるというている。又上記の三性ホルモンは類脂体中のコレステリンC27H45O等に類似している組成並びに構造を有していることは興味が深い。
以上は性ホルモンの極最近の所見であるが、尚勿論完全に決定の域に達していない。今後益々新知見の加わるべき対象物であると信ずる。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
3月27日、陸相白川は内閣の決定を天皇に報告した。彼は、河本大佐と関東軍司令官村岡長太郎に罪があるが、事実を公表し、ふたりに殺人の責任を負わせて重く罰するのは、日本の利益にならないと述べた。以前はそうでなかった天皇も、この時点では、事件について国民に嘘をつき、関係者の処罰を単に行政処分に留めようとする陸軍の方針を了承した。こうしうて彼と牧野、鈴木は、陸軍の声望を傷つけまいとする白川や閣内のその同調者の側に立った。そうすることによって彼らは、無意識のうちに、中国における日本の権益を維持するためさらなる侵略を企む勢力をそそのかしたのである。