サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
言論の自由が欲しい!!
言論の自由が欲しい!!
人類最後の日まで残り時間は“1分30秒” 前例ない危険な状態に
原発活用の国策見直しを!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
12月17日(日)
5、日本の文化は事なかれ主義、臭い物にはフタをしろ、無責任からの脱却はできないのであろうか。問題提起と伝承を繰り返すだけでは何も変わらないのではないか?事実は事実として受け止め、次に生かせる教訓にまで落とし込まなければ、同じ事を次の世代でも繰り返すことになると思う。被害者意識ではなく、必要なのは当事者意識と考えます(30~50代、市外(狛江市)、看板)
●三多摩平和交流会の感想
1、戦争の知らない側面が見える。より細かく戦争というものを見ていくということは、戦争を正しく捉え、戦争を正しく恐れ、反対していくために重要なことだと感じます。また、これだけの方々が反戦の声を上げ続けることに勇気をもらいます。国の流れに抗えるような賢い市民として生きていけたらと思います。
多くの人と話をして、もっとこのような話のハードルを下げて、戦争反対が当たり前という流れの助けになったら良いなと思います。(知り合いから、20代)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第4 最後に
被災から間もなく70年です。多くの船員がなくなりました。事実資料は、十分ではありません。原告としては、これから幡多ゼミのデータ、アメリカを含む情報公開による公開データ、最新の科学的知見とを照らし合わせながら、全体像を示すようにしたいと考えます。
しかし、被告は有識者による保険部報告により、そもそも線量が低いとしているので、この点についての原告の批判を行いました。
まずは、第5、第6準備書面(基礎とする報告論文を含む)に対する被告の反論を待ちたいと思います。
以上
115、少し拝見しただけですが、今迄目にしたことがない資料や写真ばかりで、とても驚いたし、知らないことが多かったという事にも気が付きました。
学生の頃には、加害について、韓国の方々から聞いたり、考えていたことを久しぶりに思い出しました。
貴重な機会をどうもありがとうございました。
(50代、鎌倉、通りがかり)
|
|
||
|
7、歴史修正から歴史否定に行き着いた社会はまた再び虐殺へと向かう。映画と呉監督の話から深く感じられた。
私は若年の時から反戦闘争に取り組んだが、今の政府と日本社会の動向はまた再び戦争へと向かう 色が濃い。私は高齢ではあるが、自分ができること、戦争阻止へ向けてできることについて考え行動していこうと思う。(70代、横浜市内、チラシ)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
脳下垂体前葉ホルモン
これに関してはZondex、Aschheim等の熱心なる研究によって相当に明瞭になった。氏等によるにProlanA、B、胎盤よりでるものにTrophoblasthormonという名称を与えた。Aは卵胞の成熟、女性ホルモンの産生を促し、Bは卵胞の顆粒細胞を黄体細胞に変じ、Luteinの分泌を促し、卵胞の成熟を抑える作用があると言われている。非常に沢山の製剤がある。即製品には「プベローゲン」(友田)があり、外国品にはGlandul,Hypoplysol、Hypototal,Praehypophen,Anteron,Antuitrin,Hypophorin、Antegikandol,Praephyson,Hypophysin等々である。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
田中を首にしてから、天皇は政治に介入する場合、慎重に時期を選ぶようになった。しかし彼が時に応じて自制の度合いを加減したころから、事態はますます憲法を逸脱し、状況に流されるようになった。その上天皇は、彼の田中への仕打ちで政友会が憤懣やるかたないのを、わきまえていなかったようである。彼はまた、1929年以来、彼の治世につきまとった軍部と右翼の宮中攻撃が、彼と側近が積極的に政治に関与し、当然、天皇には内閣と別の意思があると信じることへの必然的な代価だとも認識していなかった。真の「立憲君主」でも、立憲君主制は内閣のすべての報告を承認する君主を求めているとは考えないだろう。しかし昭和天皇の立憲君主像は「矮小化されて」おり、衆議院を通じて示される国民の意思への配慮などはまったく眼中になかった。