サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
12月17日(日)
6、731部隊の事はウワサ程度しか知らず、ユーチューブなどでも詳しく知ることができなかったので、今回の展示会では私の知らないことを知れてよかったです。前々から戦争の事を知ることが好きな方で、広島や長崎の原爆資料館には、行ったことがあるのですが、それとはまた別の角度から戦争についての知識を持てて良かったと思いました。(20代以下、市内、ウェブ)
●三多摩平和交流会の感想
2、貴重なお話をありがとうございました。戦争は嫌だという思いがより強くなりました。しかし同時に無力感も覚えます。上官から命令が下れば、自分もそれがどんなに非道な命令であったとしても抗うことはできないだろうと思います。大半の人はそうではないかと悲観的な考え方ですがそう思います。ですからそういう命令が下る状況になってしまったらおしまいだ。そうなる前に、一応の平和の中にいると言える今のうちに、歴史を学び、戦争の痛い、悲しい、苦しいことだと感情を動かして理解していきたいと思います。ありがとうございました。(チラシ、30代)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第4 最後に
被災から間もなく70年です。多くの船員がなくなりました。事実資料は、十分ではありません。原告としては、これから幡多ゼミのデータ、アメリカを含む情報公開による公開データ、最新の科学的知見とを照らし合わせながら、全体像を示すようにしたいと考えます。
しかし、被告は有識者による保険部報告により、そもそも線量が低いとしているので、この点についての原告の批判を行いました。
まずは、第5、第6準備書面(基礎とする報告論文を含む)に対する被告の反論を待ちたいと思います。
以上
116、新しく知るもあり、良かったです。
(70代、東京、中帰連)
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8、朝鮮人を虐殺をしたのは日本人の恥。虐殺したのが、第一の殺人。これを隠蔽した当時の政府、軍、警察の行為は第2の殺人。現在、小池だけでなく、政府が虐殺を認めないのは、第3の殺人。今の政府の発言・対応を座視している一般の日本人の罪も重い。流言により、殺害した自警団、一般日本人の心理と通底しているのではないか?
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
脳下垂体後葉ホルモン
誰でもPituitrinを考えるのであるが、Kamm(1928)以来の研究によるとこのHormonには2種あり。1つは、子宮筋の収縮を促すもの(Crastin)と腸蠕動を強盛にし、利尿抑制作用を為すもの(Tonephin)の如きものが知られて来た。尚研究を進むべきものと思う。
学術集談会
去る5月17日(木)午後1時から本所講堂に於いて学術集談会催され、その演題は次の通りであった。
演題
1、実験的結核症に於ける基礎新陳代謝 続木正大君
2、近代高層建築の環境学的研究(続報) 宮本正治君
3、過敏症に関する実験的研究(続報)
「アセチュール・ヒョリン」「ショック」死について、及び過敏性「ショック」発来の機序に関する再検討
中村敬三君、千明三郎君
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
自分の総理大臣である田中を繰り返し批判し、最後には放逐することで、天皇は、政友会内閣は彼の統治下にはふさわしくないことを政界に示した。しかしもうひとつの保守政党で、1927年7月にその総裁浜口を首相の重責に任じた民政党に対しては、彼の対応はまったく異なっていた。
浜口は田中の失策に学んで、政策の実施以前に若い天皇にすべてを説明するよう心がけた。浜口の個人的価値観や、軍備・財政上の緊縮という政策目標は十分理解されるものだった。幣原を外相に呼び戻して中国民族主義との折り合いをつけ、中国と関税協定を結ぶことにも、この時期の宮中グループは賛成だった。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケーララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
―インド、50代・女性
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
この史料館を順路通りに歩いていくと、数々の遺影や、遺品のコーナーがあり、そこで写真を見たり、遺書・手紙の類(検閲を受けたもの)を読む人々も多いです。そして、出口へと向かう最後のコーナーでは、自衛隊戦闘機の操縦席とか、世界平和に貢献する自衛隊ポスターとか、自衛隊賛美のような内容のコーナーを通るという順路になっています。戦没者たちを自衛隊のためにまさに利用する行為は、戦没者たちを踏みにじり冒涜する行為だと思います(近年、展示の仕方や順路等の変更があったとしても、展示の根本思想は同じだと思います)。ですから、この史料館は、他の場所に移設(新設)し、平和祈念会館などの名前で、公的機関が管理すべきではないかと、思うに至りました。少なくとも、自衛隊敷地内に史料館を置いて、まるで戦没者たちが、彼らの持ち物でもあるかのように思い違いし、彼らを正当化するために、利用されてはならないと思います。一人ひとりの戦没者たちは、自衛隊から、解放されるべきです。
7,国のために戦った帰還兵が軍隊生活の思いは口に出さないで家庭は安心安全であるはずが思いもよらない事が世代を越えて300万人もいたという言う現実から今!!全国広がっていくことを確信持ちました。
今日は3世として、戦争体験を語り継ぎの場を作る者として、特高警察官の祖父から愛を受けずに育った父から暴力を受けた者として皆様のお話しを伺っておりました。復員兵のPTSDは声なき戦争の負の現実であり、その声を多くの人々と共有認知することが、負の歴史の繰り返しを止める行為になるような気がしています。
かつての戦争の総括がされないままのこの国に住む者として非常に示唆に富む内容でした。次回もぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。
「戦争のない世界」
私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。
しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。
そのことが民主主義の根本条件と思います