細菌戦の系譜!!

2024-02-26 09:58:05 | Weblog

●日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 

 

 

 

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

 

 

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 

 

IMAGINE9

解説

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

 

世界は、9条をえらび始めた。

平和を探る ことが人類の進化だと思います。

私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。

―アメリカ、40代・女性

 
 
 

【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?

日本のパトリオット輸出 露外務省報道官が敵対行為と警告

『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住) 

鹿児島県鹿屋市には戦中、海軍鹿屋航空基地がおかれていて、戦後は、海上自衛隊鹿屋基地になりました。その敷地内には、「鹿屋航空基地史料館」があります。主に特攻隊で出撃して戦死した人たち(908名)の遺影や、遺書、遺品などが展示されています。私の地元でもありますので、30年以上前の頃2回ほど、史料館の見学に行ったことがありますが、それ以後は一度も行っていません。

 
 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会

 
 
『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25
 

5,アジア太平洋戦争での具体的な侵略加害行為に対して法的な責任が問われたりしたことがない日本に果たして「戦後」を名乗る資格があるのだろうかと思います。戦争責任者が国民の象徴として不気味に国民の空気感を支配し常に軍備拡充に明け暮れ、マイノリティーを差別し、沖縄など地方を犠牲にしてきた現在の日本という国家にとって、戦争トラウマに苦しむ家族は当然の帰結なのではないでしょうか。しかし、勿論、私たちはこの情況に沈黙していていいはずがありません。日本政府が戦前戦後を通じていかに凶器の政策や教育を続けてきたかを明らかにし、自らの経験を語る口をも奪う悲惨な戦争トラウマ被害に対する加害責任を余すところなく国に追及すべきだと思います。

でくのぼう 戦争とPTSD

 
 

「戦争のない世界」

「戦争のない世界」をめざす行動の道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。

「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を肯定したり、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。

「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現します。

いや、想像するに世界の10%の家々に白旗が掲げられたら世界は劇的に変わるでしょう。

それは遠い夢物語でしょうか。

ありえない事でしょうか。

戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。

祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
 
 
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日  黒井秋夫。
 
 
コメント
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