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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅱ 日の丸染めて
(昨日の続き)特別車ダッヂブラザース
畳を敷いた広い部屋に、坊主刈りにされたマルタが手錠をかけられてごろごろしていた。中には、明らかに拷問の跡をを示す、殴られたアザや傷がある者もいた。私も残酷な拷問がなされていることは知っていた。マルタの多くは、すでに暗い運命を予測し、あきらめたように眼に力がなく、動作ものろのろとしていた。
マルタ運搬の特別車は2台あり、2台とも1932年型アメリカ・ゼネラルモーターズ社製の、ダッヂブラザースという左ハンドルで、4.5トンもする大きな車であった。この車は、トラックでいえば荷台の部分が、四方を鉄板でおおってある特別仕立てのものであり、この鉄板の上に国防色のシートを被せていた。また、シートにはセルロイド製の「窓」が縫い付けてあり、外から見ると普通のトラックにただシートがかけてあるように見え、ナンバープレートは、いつでも取り替えることができるようになっていた。これが731部隊得意の偽装であった。
鉄板の箱の中は、ふだんは真っ暗で、運転台のスイッチ1つで明かりがつくようになっており、また運転台からは内部がのぞかれるようになっていた。排気暖房で、鉄板の上に張った床板から暖をとる仕組みになっていたが、性能が悪く、近距離では暖まらなかった。床板の上には畳がしいてあった。 また、長距離輸送を考えて、この車の後部にはトイレがついていた。平房から実験場の安達(アンダ)までは約260キロほどあり、ちょうど長野から東京をぬけて、横浜へ行くぐらいの距離を走る勘定になった。
※マルタにされた人たちの待遇が分かる。かつての日本ではよく拷問が行なわれた。かれらも残酷な拷問にあったのだ。想像を絶する過酷なものだろう!!また、260キロも離れた実験場まで乗り心地の悪いトラックで運ばれたとは?そこで残酷な実験材料にされた!!余りにもむごいことである!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱漢祥(男、67歳)の証言
(昨日の続き)張老三は日本軍に捕まって行ってから、○府巷で両腕を2太刀斬られ、肩を1太刀斬られ、後頭部を3太刀斬られ、背中に1発当たりましたが、どこも急所ではなかったため、一遍には死なないで、自分の近くの人家まで這って行き、ちょうどよくその家の人が難民区からちょっと見に帰って来て、張老三を見つけたのでした。明くる朝早くに、その家の人が難民区へ行って彼の家の人に知らせ、彼のお兄さんが竹のベッドで鼓楼病院に担ぎ込みました。彼の家には付き添える人がいないので、私が布団を持って病院へ行き付き添いました。一週間して、張老三が死んだので、私は布団を持って家に帰りました。華僑路の角まで来たら、日本兵にぶつかり、彼らは銃剣で布団を刺し破り、私ともう1人を一緒に拘留しましたが、捕まっているのが100人近く、2人1組で並んでいて、日本軍が背後から機関銃で掃射しました。私は前に立っていて、日本軍が後ろに立っている人を掃射した時に、私は急いで腹這いになって、機関銃に撃たれず、死人のうずたかくなったのに混じっていて、夜になりやっと這い出して来ました。(明日に続く)
※ここでも日本刀による一般市民への殺傷事件と機関銃による集団虐殺がが起きている。南京で起こっていた日本軍に」よる一般的な虐殺のようだ!!恐いことです!!
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
MESSAGE(メッセージ)
環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。
人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。
あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。
ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅱ 日の丸染めて
(昨日の続き)特別車ダッヂブラザース
試用期間3ヶ月が終ると、雇員になり、念願の第3部運輸班に入ったのは、昭和16年のかなり暖かくなってからであった。ようやく、自動車関係に入れて喜んだが、これがまたなかなかの大変な仕事だった。
その仕事は、まず第3部部長江口中佐の送り迎え、診療部看護婦の通勤輸送、平房郵便局とハルピン郵便局間の郵送物の輸送、米・味噌を含む酒保品の輸送、それに通学バスの運転などであった。平房からハルピンの学校へ通う児童・学生は20人ほどいたが、これに便乗する家族もあった。
ところが、それより少したつと、私の任務は隊長車、平房本部消防車の運転、特別車での「マルタ」の輸送と重要なものとなり、毎日緊張の連続であった。部隊の中枢部にかかわる仕事なので、次第に731部隊の全貌をみつめることにもなっていった。
マルタの受領場所は3,4ヵ所あった。ハルピン駅の端にある憲兵隊分室、ハルピン特務機関、ハルピン憲兵隊本部とそしてもう一ヵ所は、ハルピン市内の石塀に囲まれたクリーム色の洋風2階建て建物の地下室であった。そこはなんとハルピン日本領事館なのだ。そして、その地下がマルタのたまり場であったことに、私はかなりショックを受けた。なぜなら、仮にも領事館といえば、戦争中といえども、日本外交の表玄関とも言うべき機関の建物なのだからだ。(明日に続く)
※ハルピン日本領事館の地下がマルタ(生体実験される人を731部隊ではマルタと呼んだ。)のたまり場とは!国を挙げて細菌兵器の開発を全面的に進めていたことがよく分かる!!大元帥昭和天皇ももちろん承認していただろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱漢祥(男、67歳)の証言
1937年には、家は科巷85号で、シャオピン焼きを生としていました。冬月11日に日本軍が南京を占領する前に、家中で難民区に入り、高家酒館に住まいました。冬月11日の日の午後3時頃、科巷に前にいた張老三というのが、その家は科巷でばら理髪店をやっていて、やはり高家酒館に住まうようになったのですが、それが自分の店を見に行くと私を誘いに来ました。華僑路に出たところで、張老三が日本兵に捕まって行きましたが、私はその機に乗じて急いで新街口の方へ逃げ、新街口銀行の入口まで逃げた時に、日本軍に見つかり、引きずられて行って馬車を御させられ、大行宮まで御して行った時に、日本兵がラオチュー(老酒)があるかと聞き、食堂を一軒教えると、その食堂に入っていったので、私は直ぐ逃げたのです。道々少なくない死体が見え、胃や腸が外に出てしまってるのがあったりで、とても大路は歩けず、小道を回り道し、避けては歩き歩いては身をかわしして夜になってやっと家に着きました。(明日に続く) (湯許が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
はじめに
戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)細菌生産者たちの恐怖
それらを見聞きしているうちに、これは大変な所に入ってしまった、という気持ちになったが、もう遅い、逃げられれっこないと私は観念した。ペスト米をつくるのも、みんな“お国のため”“陛下のため”と自分にいいふくめて仕事に励んだ。
だんだん仕事にも慣れてくると、機械好きの私は、もっと効率的な機械をつくることに熱中し、ペスト米をつくる回転器は、はじめベルトで廻していたのだが、うまくいかない。そこで私は、木製のギアをつくり、回転数を変えるようにした。音もでないし便利になったので、大変重宝がられ、考案発明制度で表彰を受けた。石井隊長から直々に金一封(当時の20円か30円だったと思うが)をもらった。(明日に続く)
※最初はとんでもないところに来てしまった。と思っていたが、逃げられないと分かると、その仕事を正当化しようと、“お国のため”“陛下ののため”になった。他の当時の日本兵も戦場でそのように正当化したのだろう。人を殺す兵器を作ることや人殺しをたくさんすることが“お国のため”“陛下のため”だったのだろう!!今思えば恐い世界である!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
董紹銀(男、66歳)の証言
日本軍は1937年の陰暦11月に南京を占領しました。日本軍は入って来るなり、放火して焼き、殺し、物をかすめました。その頃私は漢中門から中山路までが境となっている難民区に住まっていて、難民区の乾河沿でシャオピンやわら麦を造っていました。ある日、私たちシャオピンを造るのに酥油(牛羊の乳を煮て作った油)がなく、陳というのと、それに李というの(名前はもうはっきり覚えていない)と一緒に油を見つけに出かけ、、旧の王府園まで歩き、その時私たちコンロ1つと油を担いでいて、帰るのに十字路まで来た時に、日本兵と出逢い、一緒に捕まって背嚢を背負わされ、夜は小さな家に閉じ込められました。明くる日又とても重い物を背負わされ、ずっと六合まで行き、又ある四合院の小さな家に閉じ込められました。深夜になり、逃げたくて、みんなでちょっと相談し、壁が泥土の焼いてない煉瓦で出来ているので、私たち3人でほじくって孔を開け、這い出して、各自東へ逃げたり西へ走ったりしました。私は長江沿いにひとしきり走ったら。お爺さんが1人見えたので、その人に好く話をして、私が長江の向こう岸へ行けるよう手助けしてもらい、終いには城壁に沿って漢中門まで走って戻ったのです。(王文玉が記録)
※よく日本軍は一般の中国人に荷物を運ばせることなどをさせた。そして賃金は出さなかった。人夫として使われた後、解放されることもあったが、殺されることもあった。(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。
また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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俵さんからのメールです!!参考にしてください!!
俵義文です。
杉並の教科書採択日(12日)が近づきました。
地元では、扶桑社版をやめさせる、自由社版を使わせない、
という最後の最後まで奮闘しています。
杉並からの呼びかけを転載します。
●○「杉並の教育を考えるみんなの会」からのお知らせ○●
杉並区は、引き続き『つくる会』の歴史教科書を採択するの
ではないかと、全国から注目されています。
「神武天皇」で始まり、昭和天皇の「お言葉」とやらでしめて
いる教科書!明治憲法下でつくられていた「教育勅語」が、
日本人の背骨をつくったと、絶賛している教科書!
こんなまるで戦前のような教科書を、子どもたちに手渡すわけ
にはいきません。これは、大人の責任です!
8月12日、午後2時からの採択直前まで、「採択反対」の声を
上げ続けます。最後までがんばろう!
下記のとおり行動します。みなさ~ん! ぜひご参加ください。
※ちなみに「つくる会」の右翼の人たちも、戸別配布、街宣と
チラシをガンガン配っているようです。
それもですよ。「みんなの会」のチラシのレイアウトをそのまま
使って、中身だけを替えているのです。許しがたいことです。
<街宣予定>
*明日9日(日)→阿佐ヶ谷駅北口 午後4時~5時
* 10日(月)→地下鉄東高円寺 午後5時~6時
(田母神氏を呼んで「つくる会」がセシオンで
講演会を開きます。抗議のビラまきです。)
* 11日(火)→荻窪駅南口 午後5時か~6時
■採択当日
●8月12日(水)午後2時から~ 教育委員会で
教科書採択がおこなわれます。
※午後1時から杉並区庁舎内にて傍聴受付開始。
1時40分から傍聴者の抽選です。
●11時30分~12時40分まで、
杉並区庁舎前集会 <青梅街道側です>をやります。
みなさ~ん! 集ってください。
※炎天下で暑いです。帽子と飲料水を必ずご持参ください。
■採択終了後、報告集会を下記のとおりにおこないます。
時間:午後6時~8時30分
会場:杉並区立産業商工会館 3階ホール
<JR阿佐ヶ谷駅南口徒歩5分>
内容:
・傍聴者からの報告/参加者からの報告
・全国の情勢報告→石山久男さん
<子どもと教科書全国ネット21常任運営委員>
・決議文採択
主催:杉並の教育を考えるみんなの会
連絡先★090-1859-6656
●青木さんからメールです!!
2009 あいち平和のための戦争展
夏休み・お盆休みの時期に名古屋市内で4日間開催されます。
私は、中国山西省の性暴力事件、東北地方(偽「満州国」)の万人坑、
2007年の南京大虐殺新記念館開館などについて展示します。
御都合つけて是非御来場ください。
なお、私は主催者ではなく、一般参加NGOの立場です。
青木@愛知県
(以下、案内チラシより転載)
2009 あいち平和のための戦争展
とき 8月13日(木)~16日(日)
10:00~18:00 (最終日は15:00終了)
入場受付は終了30分前まで
ところ 名古屋市公会堂 4階ホール
名古屋市営地下鉄 鶴舞線「鶴舞駅」下車 徒歩2分
国鉄 中央線 「鶴舞駅」下車 徒歩1分
入場料 一般=500円
小中高校生以下、障がい者(介助者含む)=無料
一般展示 13日(木)~16日(日)
30~40の団体・NGOが参加し、
それぞれ、展示や解説などを終日行ないます。
特別展 13日(木)~16日(日)
ノモンハン事件70年
ノモンハン事件は1939年5月から9月にかけて、
満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生し た日ソ両軍の国境紛争です。
現地調査によって発見された貴重な資料などを展示します。
第五福竜丸展
核兵器の実験におけるビキニ被害の実相を展示する
「第五福竜丸展」を開催します。日本全国で3千万人の署名が
集まるきっかけとなった第五福竜丸が広めた核の恐怖とは
何かに迫ります。パネルによる展示と合わせて、
貴重な実物展示も計画しています。
中国研究員講演 14日(金)13:00~14:40
「吉林省遼源市にて第二次大戦期の連合軍高級将校捕虜所の発
見とその国際的影響について」
李君さん(中国吉林省遼源市文化財管理所・研究員)
講演(ピースステージ)
13日(木)
11:00 ノモンハン事件70周年講演会
~12:30 国際共同学術調査団団長を迎えての調査報告
12:50 オカリナ演奏を通じて平和を訴える
~13:30 オカリナ大地
14:00 講演会 イラク・アフガニスタン戦場からの話
~16:00 西谷文和さん
14日(金)
11:00 日本に小学校が消えたとき
~12:30 名古屋・学童疎開を記録する会
13:00 中国吉林省遼源市文化財管理所 講演会
~14:40 李君さん(研究員) 日中友好協会
15:00 戦時説法 戦争中、お坊さんたちが行なった
~16:00 戦意高揚のための布教活動を再現します。
真宗大谷派名古屋教区教化センター
15日(土)
11:00 映像で見る半田の戦災 -動員と空襲-
~12:30 半田空襲と戦争を記録する会
13:00 朗読「ちいちゃな田んぼ」より
~13:30 憲法改悪を許さない女たち
14:10 記録ビデオ上映とお話し 戦争って何だろう
~16:10 熱田空襲を記録する会
16日(日)
11:00 講演会 戦争体験
~12:00 杉山千佐子さん
12:20 朗読 平和へ
~12:50 かげぼうし
13:00 紙芝居とお話し ぞう列車の世界と子どもたち
~14:30 小出隆司さん
主催 09あいち平和のための戦争展実行委員会
名古屋市東区葵 1-22-26 民主会館内
電話 052-931-0070
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)細菌生産者たちの恐怖
何のためにこんな危険な作業をするのだろう、という疑問は絶えずあった。が、もちろん誰もそのことを口に出す者はいなかった。しかし、事実を見たり聞いたりしているうちに、次第に分かってきたことは、主として謀略・かく乱に使うのであろうということであった。
私たちのつくったペスト米は、“ネズミ作戦”と呼ばれる細菌戦に使われた。“ネズミ作戦”というのは、飛行機に5,6匹のネズミと、ペスト米を入れたかごを積んで、地上300メートルの低空飛行で、目的地である敵の糧秣庫や密集に、小さなパラシュート(1.5メートルぐらい)で落とす。すると蓋が割れて、ペスト米を食べたネズミが飛び出す。あとはネズミによってペスト菌が拡がり、敵を恐怖の混乱に陥らせるのである。容器は火を吹いて燃え上がり、証拠は残らない。その上、この燃え上がる火が敵に見えないように、作戦は明け方に行なわれる。平房の飛行場からは、連日飛行機が、南京・上海方面に飛び立っていったのだから、ペスト・ノミは相当使われたとみてよいであろう。(明日に続く)
※ペスト菌に汚染されたネズミとそのあとにはペスト・ノミなんともおぞましいものを兵器として使用したものだ!!こうしてペストをはやらし、それは自然に発生したと皇軍(大日本帝国軍)は言っていたのだろう。責任は日本にはないと言うのだろう。何とも卑劣極まる!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
李金友(男、68歳)の証言
私は李金友といい、今年68歳です。1937年には21歳で、興中門驢子行の劉学富の家で馬車を御すのを手伝っていましたが、日本軍が入ってきてから、私たちに強いて興中門を塞ぐのに土を運ばせました。土を運んでいる時に、私は張文亮が日本軍に撃ち殺されるのをこの眼で見ました。やがて私は老人何人かと一緒に難民区へ行ったのですが、私と劉万戸が米を抱えて歩いていて、海軍部の近くまで来たら、日本軍に見つかり、海軍部の後ろに追いやられ、その場で劉万戸が撃ち殺されました。それから日本軍は老人何人かを放ち、私は留めて衣服を洗わせたりの雑用に働かせました。その日のお昼に、私は水を担いで来るというのを口実に虎口(ここう)を逃れ出ました。(劉君が記録)
※何で殺されたのかがよく分からない?むやみに皇軍は庶民を殺したのか?気に食わないと殺す?
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。」
これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)細菌生産者たちの恐怖
こうした作業と並行して、一日のうち半分は衛生学の講義が一週間も続いた。中には、細菌学のようにかなりむずかしい科目もあり、最低でも現在の高校卒ぐらいの学力が必要で、私はなかなか理解できなかった。
また、寒天で培養しているシャーレの蓋を外した瞬間、雑菌がパッと増殖することも知り、大気の中に充満している菌も意識するようになった。「作業中は決してつばきを飲み込むな、はき出せ」と言われ、それまで平気で食べていたものを食べられないような恐怖を感じた。
作業中に転んで、細菌におかされて死んだ人もいた。それは私たちの班の責任者の、伊藤技手という陸軍軍医学校出の人だった。伊藤さんから私は、細菌学の基礎や取り扱いを教えてもらった。当時彼は、32、3歳の若さで奥さんと2人の子どもがいたが、奥さんの悲しみようといったら見ていられなかった。
私たちは飛行場の隅の草むらで薪を積み、トタンをかけて、遺体を火葬にした。同時に官舎や第4部関係の作業所・事務室などは大掃除と消毒が大々的に行なわれ、故人を偲んで感傷に浸っている余裕などなかった。兵器こそないが、まさしく戦場だったのだ。改めて、細菌生産は犠牲者が避けられない作業だと知らされた。
私の記憶によれば、731部隊全体2千人の中で、年間20名近くの者が細菌感染による犠牲者となっていたはずだ。細菌生産・細菌実験は、見えない悪魔との不断のたたかいだった。絶えざる緊張が必要であり、油断や手抜きは一切許されないのである。私たちは、次は自分の番かもしれないという恐怖に、いつもおどおどしながら、働き、暮らしていかねばならなかった。(明日に続く)
※細菌兵器を作る方も、それは緊張しておどおどするだろうが、被験者はそれ以上の苦しみを味わった。細菌兵器を作るほうはそれなりに、油断なく防御すれば生き残れるが、被験者は必ず苦しみながらうめきながら死んでいった。その苦しみは言語に絶するものがあっただろう。大日本帝国を作るために昔の日本はこのようなことに巨費を投じたのだ!!天皇の軍隊の正体!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
周興前(男、80歳)の証言
1937年には、家は五福巷34号で、父は周栄といいました。日本軍が南京を占領した時、父は年老いて難を避けには家を離れたがりませんでした。日本軍が家に闖入し、老人を捕まえ、ホアクーニャン(=若い娘)をと要求し、いないと言うと、日本軍は銃を振り上げて老人を虐殺したのです。老人は死んでからも目が大きく見開かれ、閉じられませんでした。
日本軍が南京を占領してから、その南京の統治を強化するためにと、中国人誰しもが「良民証」をもらいに行くようにさせました。良民証を貰っている時に行くのがちょっと遅れた人がいて、みんなの前でこん棒でぶち殺されました。私が貰いに行った時に一緒に来た人たちと何か話していたら、日本兵に見つかり、その場でこん棒で頭をなぐりに来たので、私は逃れ切れないと見て、ふんばって頭で受け止めるしかなく、そうやってぶち殺されなかったのです。今、年を取って、曇った日には頭が少し痛いです。
その頃、私は掃帚巷のこの街が日本軍に殺された中国人の転がったのでいっぱいで、歩こうにも足の踏み場が見つからない状態なのを眼にしました。(池○と高学奎が記録)
※○・・・日本の漢字に変換できない漢字
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)
・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)
・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)
・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)
・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
クリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)私の仕事は、ペスト米づくり
しかし、平房本部隊には第3部運輸班の総務部付分遣隊があるにもかかわらず、最初入れられたのは第4部細菌班であった。私の仕事は、なんとペスト米づくり、米にペスト菌をまぜる仕事であった。 まず、3時間ほど水に漬けた米をビール瓶に入れ、その中に、あらかじめシャーレの中の寒天で培養されたペスト菌を、ヘラですくって入れるのだが、これは専門家がやってくれた。新人者の私の仕事は、それを攪拌調合する仕事である。瓶をたくさん差し込んだ円筒形のものを、電気でガラガラ廻したり、止めたりして調節するのである。ペスト菌は眼に見えない上に強力な菌で、予防装備は大変なものであった。作業衣は、ゴムのつなぎ服をチャックで締め付け、それにゴム長靴・マスクなどをつけるものだから、作業が終ると汗でびしょぬれになった。(明日に続く)
※戦争に勝つことを目的にすると、手段を選ばなくなりますね。それがたとえ国際法に違反していても何でもやる。天皇の命令で建てられた施設内での出来事である。天皇の軍隊の実態である。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
張孝山(男、76歳)の証言
(昨日の続き)何日かして、日本軍が難民区に捜査に来ました。およそ手にたこができていたり、頭に帽子のあとがあるのは、みんな兵隊だったとみなされ、一斉に捕まって行き虐殺されたのです。私は漢中門外の河の岸から河の中まで、死体が山のように積まれ、血が河のように流れたのをこの眼で見たのです。私は手にずっと娘を抱いていたのと、妻もはらんでいたのとで、私は捕まりませんでした。
日本軍が入って来て13日目に、私は難民区から薪や穀類を見つけに家へ帰ろうとし、日本軍に捕まって行きました。明くる日、天秤を担がされ、ずっと江寧県の淳化鎮まで担いで行き、やっと放たれ家に帰ったのですが、私たち一緒に行った人夫8人は日本軍が出した通行証を1枚貰いました。私たち8人がこの眼で見たのは淳化鎮で、日本軍がもう1人の人夫を針金で電信柱にくくりつけ、ガソリンをかけ、火をつけて活きたまま焼き、その人がずっと叫びわめいているところでした。その人がまだ完全には死なずにいる時に、日本軍が私たちに縛ってあるのを緩めろと命じました。8人は結び目を解き、その人を医者の看板がかかっている家の戸口まで抱えて行き、医者に治療してもらおうとしましたが、日本軍が許さず、私たちを追い立てました。(許亜洲が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)
・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)
・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)
・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)
・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)私の仕事は、ペスト米づくり
私は小さい頃から機械いじりが好きだった。昭和10年、長野工業高校機械科を卒業し、「小妻清」という自動車の販売修理会社へ入社した。
私は県庁の知事専用車を修理することになった。当時の県庁車は、パッカードセダンで黒塗りの堂々たるものであったが、バッテリーが6ボルトという小さなもので、長野県のような寒冷地での冬など、しばしばエンジンがかからず、大変困ったものである。私はあれこれ考えて保温器を取り付けることを考案した。ラジエターとシリンダーをつなぐ管の中間にニクロム線を通し、エンジンが冷めないように工夫したのである。これだと零下8~10度の寒い朝も、一発で始動できる。私はこの考案で知事賞を受け、いささか得意になっていたが、この機械好きが731部隊に入るきっかけになったのだ。
つまり、私はそんなことを話したことから自動車関係の仕事をするということで、731部隊に入ったつもりだった。(明日に続く)
※人生思うようになかなか運ばないですね!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
張孝山(男、76歳)の証言
私は張孝山といい、男で、今年76歳、安徽省の合肥県東北郷草廟集田戸山張武村の者です。17歳の年に南京に来て布を織る技能を学びましたが、先生は周仁樹といい、堂子街の織布師匠です。修行が終っても自分では織機がないので、生活が維持できず、ゴム輪の人力車を牽くのに業種変更しました。1937年には、もう結婚し家庭を持っていて、家は堂子街で、妻は家庭婦人、その時既に3歳の娘が1人いました。
日本軍が南京に攻め込んで来た時、家の3人は難民区に引き移り、五台山小学校に住まいました。冬月21日の日だったと覚えていますが、私は前に買った国民党の古い軍服(その頃生活に困っていて、20銭はたいて古い軍服を買った)を持っていたので、安全でないと思い、手で娘を抱きながら、古い軍服を持って出て捨てました。捨てたと思ったら、銃声が大きく聞こえ、弾がいっぱい飛んで来たので、私は吃驚して子供を抱え、道の脇の防空壕に跳び込んだら、壕には既に2,30人いました。ほんのちょっとして、日本軍の革靴の音がしました。日本軍が壕の入口に現れ、手をあげて私たちに出て来いと命じました。私は真っ先に壕を出て、日本軍にお辞儀を1つしたら、日本軍は私が長い一重を着ていたのと、小さい子供を抱いているののとを見て、私には手を下しませんでした。ところが後から出てきた2人がついてなく、その2人は棉を打つ師匠だったと覚えていますが、短い一重を着てきて、陥落前に国民党の民兵訓練に参加していました。その2人が壕を出て思わず日本軍に軍隊式の敬礼をしてしまいました。それで日本軍は2人を兵隊だったと決め込み、すぐさま銃に付いた剣を振り上げて2人の下腹をもろに刺し、2人を殺したのです。それからはそのほかの人は殺さずに行ってしまいました。(明日に続く)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)
・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)
・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)
・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)
・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
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教科書採択!!
●俵さんからの情報です!!
俵義文です。
大田原市は7月8日の採択協議会で扶桑社版歴史教科書の採択を決め、
9日の教育委員会で扶桑社版公民教科書とともに採択を決めました。
この暴挙に対して抗議談話を出しましたのでお送りします。
【談話】大田原市教育委員会の扶桑社版歴史・公民教科書採択に
断固として抗議する
2009年7月9日 子どもと教科書全国ネット21事務局長・俵 義文
栃木県大田原市教育委員会は、7月9日、新しい歴史教科書をつくる会(「つくる会」)編集の扶桑社版歴史教科書、公民教科書を2005年につづいて再び採択した。私たちはこの暴挙に怒りを込めて抗議し、採択の撤回・やり直しを要求する。
大田原市教委は、歴史教科書の採択に際し扶桑社版と自由社版だけしか検討していない。教科書採択ではすべての教科書を対象に検討を行うことが義務付けられており、文科省の今年の採択にあたっての「通知」もそのこと求めている。大田原市教委の採択は不法であり、文科省「通知」にも違反するものである。
扶桑社版歴史教科書は、私たちがこれまでも繰り返し批判してきたように、極めて問題のある教科書である。この教科書は、日本の歴史を天皇中心のように描いている。また、日本の植民地支配や侵略戦争を正当化・美化し、日本の戦争の加害や被害をほとんど書いていない。戦争そのものを正当化し、日本国憲法を敵視している。歪曲した歴史を子どもたちに刷り込むことによって、子どもたちを「戦争をする国」の忠実な国民に育てることをねらいとするものである。
扶桑社版公民教科書は、日本国憲法を敵視し、憲法改悪を主張している。また、子どもの権利条約や女子差別撤廃条約、男女共同参画社会基本法などを無視し、子どもの権利や両性の平等を敵視するものである。さらに、自衛隊を前面に出す内容になっている。これは、国際貢献の名で自衛隊の海外派兵を積極的に推進し、子どもたちを戦争に動員する教育をめざすものである。
扶桑社版教科書は、内容上に重大な問題があるだけではない。私たちは、扶桑社版教科書に多くの間違いがあることを指摘してきたが、扶桑社はそれらをまったく訂正していない。2008年度の教科書検定において、文部科学省は扶桑社版歴史教科書と全く同じ記述をした自由社版教科書に対して、少なくとも8か所の誤りを指摘し、修正させている。文科省が2004年度の検定において見落としたと思われるこれらの誤りがそのまま記述されている。
大田原市教育委員会は、こうした多くの誤りのある教科書を今後さらに2年間、子どもたちに使わせることを決定したわけである。
加えて、「つくる会」は06年に分裂し、扶桑社版教科書の著作権をめぐって裁判で争うなどの抗争をつづけている。子どもや教育そっちのけで争いを続けている無責任な団体が編集した教科書を使いつづけることは、子どもたちの教育をかんがえても重大な問題である。
2005年に大田原市が扶桑社版教科書を採択したことに対し、この4年間、地元はもとより日本各地の市民や諸団体、韓国をはじめアジアの人びとや団体から、多くの抗議や批判が寄せられてきた。さらに、今回の採択にあたっても、地元、全国各地、アジアから、多くの人びとや団体が、扶桑社版の使用をやめること、自由社版を採択しないことを求める要請が多数寄せられた。しかし、大田原市教育委員会はこうした声を完全に無視して、再び扶桑社版の採択を強行した。
地域の教育に責任を負う教育委員会が、子どもや地域の教育のことを考慮しないで、政治的な判断のみで、こうした“非教育的”なことを平気で行った無責任な行為に対し、怒りを通り越してあきれかえる思いである。私たちはこの暴挙に対し、抗議するとともに、採択の撤回・やり直しを要求するものである。
以上。
俵義文です。
8月5日、大田区で採択が行われ、現採の継続が決まりました。
千葉県船橋市でも7月末に「つくる会」教科書は不採択になったようですが、
船橋市教育委員会は8月末まで公表しない方針です。
沖縄は全採択地区ともに不採択のようです。
まだまだ、これから多くの地区で採択が行われます。
いくつか「あぶない地区」の報告もきています。
これ以上「つくる会」教科書が採択されないように、各地域で最後まで活動しましょう。
8月7日
本日行われた各地の採択で、判明した地区を紹介します。
いずれも継続使用で、「つくる会」の自由社版も扶桑社版も不採択でした。
東京・青梅市 歴史 日本書籍新社 公民 東京書籍
東京・練馬区 歴史 教育出版 公民 東京書籍
東京・中野区 歴史 東京書籍 公民 教育出版
埼玉・川口市 歴史 東京書籍 公民 教育出版
各地の情報をお寄せ下さい。
8月8日
東京・町田市は8日に採択を行い、現採の継続が決まりました。
「つくる会」教科書は不採択でした。
東京・町田市 歴史 日本文教出版(大阪書籍) 公民 東京書籍
また、京都市の採択も終わり、現採の継続で「つくる会」教科書は不採択でした。
京都市第1 歴史 日本文教出版(大阪書籍) 公民 日本文教出版(大阪書籍)
京都市第2 歴史 日本文教出版(大阪書籍) 公民 日本文教出版(大阪書籍)
京都市第3 歴史 日本文教出版(大阪書籍) 公民 日本文教出版(大阪書籍)
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)秘密部隊第1日目
ハルピンを南に進むと、やがて杏の森に囲まれた花園小学校に出る。続いて天高くそびえる50メートルものハルピン忠霊塔を見る。あとは波のように起伏する平原を、5,60メートルの幅のある赤茶けた道をひた走る。コーリャン畑の向こうに、柳の木と土塀で囲まれた低い屋根の家々が見えてくる。「満人」の集落である。
やがて、「何人と言えども関東軍司令官の許可なくして立入りを禁ず」という立札が目に飛び込んでくる。ようやく小さい建物らしいものが見え、近づくとコンクリートづくりの白っぽい大きな建物である。建物のまわりには空堀りの上に2メートル程の土塀が築かれ、さらにその上に1.7メートルほどの鉄条網が張り巡らされ、、歩哨が見張っている。私はものすごく厳重に警備されているところだと緊張したことを覚えている。
出勤第1日目は隊内の見学で、第4部三谷班の三谷少佐という人が説明してくれた。電気を起こしている動力装置とか、水は鉄分が多いとか、また医学上の実験をしていることなどもこまごまと説明してくれた。しかし、問題のロ号棟の「マルタ小屋」は見せてくれなかったし、「マルタ」の話も全くなかった。(明日に続く)
※731部隊では、生体実験に使う中国人やロシア人などをマルタと呼んだ。多くは抗日戦争でスパイ容疑をかけられた人たちだ。本当にやっていたのかは分からない。庶民もいたのではないか?
※入隊初日の見学でもどんな施設か分からない?余計に不安になっただろう。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
李桂蘭(女、58歳)の証言
1937年には、家は六合県の紅星郷劉雲大隊でした。私はやっと12歳でした。
1938年の1月のある日、日本軍が村に来ました。村は一面の水の多い田で、裏に木の船が一隻あり、大人たちがみんな乗ったので、私たち子供も続いて船に乗り、逃げていこうとしました。日本軍が見つけ、船をこぎ寄せさせようとしましたが、船の上の大人たちは取り合わず、続けて前へとこいで行ったので、日本軍が発砲し、その場で2人撃ち殺されたのが、1人は李福財のお母さんで、1人が叔父さんで、そのほかの人たちもいろんな程度に傷しました。私は綿入れの服を着ていて、傷を受けたのも感ぜず、ずっと船室に隠れていましたが、やがて日本軍が行ってしまい、李福財のお爺さんが私たちの船を迎えてくれて帰って来たのです。帰ってから綿入れを脱いだら、右手の脇が弾に撃たれていて、その時も弾がまだ肉の中に入っていたのでした。後で水家湾の医者に行って取り出したのです。妹の李立英も手が弾に撃ち抜かれ、ももや腹も撃たれていました。今も私たち2人には傷痕が残っているのです。(宋良文と○家海が記録)
○・・・日本の漢字には変換できない漢字
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)
・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)
・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)
・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)
・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。