僧侶の本分は
ご先祖様を供養し、安らかに成仏させることです。
そのために葬儀をはじめ、各種法事で読経を行うなどして故人を弔います。
お寺によって、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗などさまざまな宗派があり、お経の内容や仏教に関する考え方も異なってきます。
法事が入っている日は葬儀社、または法事のある家庭を訪ね、お経をあげ説教をします。
お寺で法事がある場合も多くあります。
多くの人々が休暇をとるお盆やお彼岸の時期は1日に何軒も法事をまわるので休む暇がありません。
また、生前から人々が没後無事に成仏できるように法話や講演を行ったり、場合によっては相談を受けたりしています。
でもそうでしょうか?
もし僧侶が
故人のためにだけ、仕事をするのですか?
本来ブッタが言ったことはそういうことなんでしょうか?
そこを考えてみたいと思います。
僧侶の本分は
生前から人々が
没後
無事に成仏できるようにするだけの存在ですか?
没後ですか?
私はそう考えていません。
生前こそが浄土でなければ!
生きている間も幸せでなければ!
本当の極楽には 死後行けないのではないでしょうか?
そこが悟り、そして空なのではないでしょうか?
勉強を続けます。