ビナカの気まぐれ日記^^

日々の出会いを大切に・見て・聞いて笑ったこぼれ話

「フタバから遠く離れて」

2013-01-28 15:35:31 | ボランティア
昨日 加須市で行われた
ドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」の上映会へ行きました。

『その日、町は丸ごと引越しをした』
双葉町の1350名の方たちが、加須市の旧騎西高校で生活を始めてから
2年になろうとしています。

写真:2011/5/14
この日「一日も早くカエレますように」と千羽鶴を2つお届けしました。
この折り紙は、震災の翌日朝9時に購入し1人で折りました。
余震が続き不安で怖くてしょうがない時にも
「みんなガンバレ 頑張れミンナ」と心の中でつぶやきながら折ると、
なぜか気持ちが落ち着いたのです。この後秋に1つお届けし、
今も折っているのですが、なかなか進みません。



写真:2011/10/8
この日から、埼玉コープさんの炊き出し応援隊に加わりました。

ドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」は舩橋監督が、
事実をありのまま伝えようと、この避難所に暮らす人たちと
信頼関係を築いて映像を撮り続けたものです。

避難所の校舎や部屋の中、引越しした家族の様子、一時帰宅の様子、
避難しないで牛と運命を共にすると頑張った牧場の方.....

1人の女性が「他の被災地の映像は流れるけど、双葉の映像は無い。
入れないんだから無いんだよ。」「帰りたい」と

避難所にいた父と息子
「家は津波で土台だけになり、母親を探したが見つからず、翌日探し
始めたら町から出るように言われ、探すことが出来なかった。
あの時に探していたら、生きていたかもしれない。原発が無ければ
見つけることが出来たかもしれない」
お母さんは数ヵ月後に家から3キロの所で見つかったそうです。

町は時間が止まってしまっているので瓦礫のまま、牧場の牛たちも
頑張ったけど、水や食料が無くなり牛舎の中で折り重なるように
白骨化していました。牧場主さん「一番むごい死に方だ」と。

驚いたのは、
震災後初めて行われた「・・・会議」
全国の原発を持つ市町村の長、各電力会社、政府関係者etc
最初の挨拶が民主・海江田、お決まりの短い言葉を発し公務の為
お供をぞろぞろ連れ退席。次は民主・細野、また短い挨拶で退場。
2人が出て行き、トップで発言したのが双葉町長、全く進まない
現状を訴えたのに。
私は「あんたら2人が聴くべき事で、何のために来たんだ?」と
涙が出ました。

その町長も先日辞職しましたが、この避難所には今も150名
くらい(?)の方が生活しています。
10年? 20年? 30年? いつ帰れる日が来るのか?

私も微力ながら応援続けます。


コメント (4)
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