
5月1日から3日まで神戸の旧居留地を中心に関西旅行を楽しみました。
今回は格安の旅なので、飛行機を利用、
羽田-伊丹、そこから阪急電車を使って三宮に向かいました。
三宮に着いてすぐに異人館のある北野に行きました。
2年前にお世話になった、神戸のNPO法人KOBE観光ガイドボランティアの幹事Aさんを
訪ねるためです。
でも、ゴールデンウィーク中はボランティアガイドのみなさんは各種イベントで大忙し。
その中でも中心的な働きをされているAさん。
今回は残念ながらガイドをお願いすることができませんでしたが、
お忙しい中、時間を取ってくださり、居留地歩きのポイントを教えてくださいました。

下記の写真はInfiorata KOBE KITANOZAKA の様子。
『インフォラータ』はイタリア語で『花を敷きつめる』という意味だそうです。

その後、北野の異人館を回りました。



もともと、北野は山の斜面にたくさんの畑地があり、
国の重要文化財である「風見鶏の家」のある場所は沼地だったということです。
(ガイドさんのお話だと、風見鶏の家を建てたトーマスさんは大金持ちだったので、
金に糸目をつけず、開墾、家の土台を作ったのだそうです)
1868年(慶応3年)の神戸開港の際に、港近くに外国人のための居留地が作られました。
当時、居留地の建物は1階が事務所、2階が住居となっているところが多かったそうですが、
職住が一緒になっている使い勝手の悪さがあったようです。
また、外国人の増加による居留地内での住宅地不足も起こっていました。
しかし、明治政府は諸外国との条約上、居留地を広げることは治外法権区域の拡大を意味するため、
居留地の拡大を認めず、範囲を区切って日本人との雑居を許しました。
神戸港を一望できる山の手の高台が新たな住宅地として認められ、
それが北野の異人館の始まりとなったそうです。
その後、山の手から居留地の仕事場まで約2キロほど、現在の『トアロード』を通って
通勤するというライフスタイルが外国人たちに定着したようです。
さて、写真の風見鶏の家ですが、ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマスの邸宅で
同じくドイツ人の建築家ゲオルグ・デ・ラランデが設計し、明治42年頃に完成させた家です。
どっしりとした石積みの基礎のある家で、重厚な雰囲気があります。
また、その名の通り尖塔には風見鶏がついています。
風見鶏は風向きを知らせるだけでなく、警戒心の強い雄鶏として、魔除けの意味が
あるといいます。

トーマス邸はその後、中国人の学生たちの寮になります。
寮には寮監がいて、きちんと管理をしていたとのことで、比較的状態良く残っていたそうです。
100年も経っているいる家にはいろいろなエピソードがありそうですね。
家に歴史あり、です。
しかし、
最盛時、200軒ほどあった異人館は戦争を経て激減、現在では30棟あまりになってしまいました。
異人館の保守・保存にはとてもお金がかかるそうです。
ですから、現在は多くの異人館が入場料を取って館内を開放しています。
あるいは神戸市の管轄に入って、無料公開されている家もあります。
北野の周辺は
若い女性やカップルが目立つので、ちょっぴり原宿っぽい感じもしないでもありませんが、
異人館はちょっとロマンチックな感じもしますから、当然かもしれませんね。
さて、5月1日は午後、神戸に入ったこともあり、異人館のみで見学は終了。
神戸に来たら行く、というおいしいお魚を食べさせるお店で夕食をとり、ホテルに戻りました。




5月2日は明石・舞子公園
神戸旧居留地です。