富士急行線、1001号編成の引退が発表されました。
近年の1001号編成は、京王5000系時代のリバイバルカラーに塗られ、注目を集めていました。2024年12月15日に引退をするそうです。
京王5000系は、私にとって幾度となくお世話になった車両です。引退の報を聞いて、河口湖までお名残乗車してきました。
多くの地方私鉄に譲渡され、様々なデザインをまとった5000系ですが、やはりアイボリーカラーには特別な思いがあります。
私が幼少の頃、ドアが片開きの電車は古い電車、ドアが両開きの電車は新しい電車という認識でしたので、5000系は古い電車というイメージが強かったです。運用は各停ばかりでしたが、土曜日ダイヤ(日曜ダイヤだったかも)の朝には下りの快速運用がありました。一度だけ乗車をしましたが、最高速度105Km/hで軽快に駅を通過していました。
学生時代は、京王沿線に学校があったので、授業が終わると5000系で新宿のヨドバシへ遊びに行ったのを思い出します。
着席しながら前面展望が出来る、運転台の後ろが特等席でした。
当時の名残を残す運転台。
日立のマスコンは、京王時代から使われているようです。ブレーキは、いわゆる電直車。1001号車が引退すると、富士急行で残るは富士登山電車1205号編成だけになります。昔ながらの運転台もなかなか見かけなくなりました。
台車はFS510。
もともとは営団地下鉄日比谷線3000系の台車です。京王線の線路幅は1372mmであり、そのままでは1067mmの鉄道には譲渡できません。そこで台車を調達する必要がありました。FS510は、このような使われ方を度々しており、一畑電気鉄道に譲渡された京王5000系や、富山地方鉄道に譲渡された京阪3000系、日立電鉄に譲渡された営団2000系などで活用されました。長野電鉄には営団3000系そのものが譲渡されましたし、特急車2000系の台車をFS510に振り替えたりもしています。しかしながら、一畑は引退が始まりましたし、富山はその後台車を交換しました。日立はそのものが存在しませんし、長野も運用は終了しています。岳南はまだ見られそうですが、FS510の活躍も先が見えてきたような気がします。
色々と語ってしまいましたが、あっさりと姿を消してしまった後続の京王6000系と比べ、18m車体で地方でも使いやすかったであろう京王5000系は、令和の時代になっても活躍を続けてくれました。1001号編成の引退は残念ですが、形あるもの世代交代は致し方ありません。これまでの活躍を称えたいと思います。
これまでお疲れ様でした。最後まで力走してください。