さて、連続して黎明期のCRPGのザックリとした歴史を語ってきたわけだけれども。
1980年辺りまで、アメリカのパソコンでは「一見ローグっぽい」ゲームがこれまで紹介した2本(Beneath Apple ManorとTemple of Apshai)以外にも色々出てたらしい。大まかな特徴としては
- 見下ろし型2Dゲーム
- 迷路踏破ゲーム
- 自キャラがD&Dっぽいステータスを持つ
- キャラは一人のみ
と言う辺りだ。
Temple of Apshaiなんかは「コマンド入力する為の時間制限」なんかもあって、実はアクション指向になってるし、要はこの時点でゼルダのように「アクション制」に傾きつつもあったんだよな。
そしてこういう種類のゲームがある程度、売れたかどうかはさておき、エピゴーネンが何種類か出てきてた模様だ。
ところが、1981年に入って状況が一変する。そう、UltimaとWizardryの登場だ。
ある意味、Ultimaは、ゲームスタイル的に言うと、Apple IIでBeneath Apple Manorで始まった「2Dでの迷路踏破ゲーム」のスタイルを迷路以外にも広げたゲームだと言えるだろう。言わば「CRPGで始まったCRPGのスタイル」を突き詰めて出来たように見え、前にも書いたが、実際のトコこのゲームは、言われる程D&D及びAD&Dの影響は受けていない。「全く違ったシステム」になっている。
しかしより市場にインパクトを与えたのはWizardryの方だろう。1974年に発売されたD&Dは1977年にAD&Dと言う「上級者版」が発売された事もあって、こっちにド直球で影響を与えられてるのもそうだが(※1)、それ以前に、「大学でメインフレームでしか遊ばれてなかった」ゲーム(※2)を、ダウングレード版とは言え、一人で遊べるように改造して売り出した事。ここで初めて広く一般に(当時は自覚されなかったにせよ)、メインフレームで育ったCRPG文化が紹介されたわけだ。
なお、この2本で初めて日本にも「アメリカではRPGと言うジャンルのゲームが売れてるらしい」と言う情報が入って来た模様だ。ただし、それがどんなゲームなのか、ってのを実際プレイした人は殆どいなかっただろう(笑)。
実は日本でも、日立ベーシックマスター(1978年)を皮切りに、NEC PC-8001(1979年)、SHARP MZ-80K2(1980年)、とパソコン自体はアメリカとほぼ同時期に登場してはいるんだ(※3)。
ただ、こう書けば怒られるかもしれんけど(笑)、少なくとも今でも遊べる「伝説的なソフト」ってのは残ってないと思う。
いや、事情は元々アメリカでも同じだったんだけど、アメリカの場合は「メインフレームでゲームを作っては遊んでた人達がいて」、メインフレーム向けに書かれたソフトをパソコンに移植した人が続出して、結果(誤認にせよ)「パソコンらしいゲーム」ってのが一挙に広まったわけだ(※4)。
一方、そういう意味では日本では「メインフレーム文化」ってのがまず無かったわけだよ。メインフレームは「お硬く」「マジメに使わなきゃならないモノ」ってぇんで、そもそもそこ出自のゲームがない。だから「自分で一から作らなアカン」わけで、そうなるとモデルとするのはアーケードゲームしかなかった。でもそれを再現するには当時のパソコンの能力では・・・ってのがあったわけだよな。
んでまずそういう背景があったわけだけど、例えばWizardry。日本語で遊べるようになるには1985年まで待たなアカンかったわけ。Ultimaも日本で初めて紹介されたのはスタークラフトによるUltima IIの移植が最初なんだけど、これも1985年だ。
つまり、1985年以前だと、日本では「アメリカではRPGってジャンルのゲームが売れてるらしい」って情報が入ってきても、「それが具体的にどんなゲームなのか」は殆どの人が知らんかったわけだ。
そして、当時だと「実際にRPGをプレイする」には米国製のPCを持ってなきゃなんない。日本だと当時のApple IIの販売価格は35万円以上。モニタも買うと70万以上したんじゃねーの(笑)?こんな高額な機械を買って遊べるヤツなんてほぼいねぇんだよ(笑)。まぁ、例によって贅沢税の関係もあるんだけど価格性能比が悪すぎる(※5)。よっぽどの好事家じゃないと買って遊ぼうとか思わないだろ(※6)。
従って、国産PCでのRPGは、なんつーの、「The Black Onyx」(1984年)が出るまで・・・いや、出てからも、か、ドラクエIが出るまで、「又聞き」状態で、何だか良く分からん「意地悪で」「つまらん」クソゲーばっか出てた、って事になるわけだ(※7)。
本筋に戻ろう。
Wizardryの完成度の高さ故か、実はこの後、「RPGの名を名乗る」米国製のCRPGのその殆どがWizardryスタイルを真似たモノとなり、この「様式」が90年代に入るくらいまで続くんだ。
いや、意外とUltimaスタイルの「2D見下ろし型」のRPGって、米国製では無いワケじゃあないんだけど、本流じゃなくなっていくんだよな(※8)。一方、日本ではこっちのスタイルの方が「ドラクエのお陰で」主流になってくんだけど。
いずれにせよ、ある意味、1981年のWizardryのヒットによって、途端にBeneath Apple Manorから始まった「2D見下ろし型で一人でダンジョンに潜るゲーム」ってのが「古臭いスタイル」になっちまったわけだ。
前回書いた通り、Dunjonquestはシリーズとして続いて、「クラシック」って事で80年代を通してそこそこ売れはする。
ただし、「RPGの新作」とすると、Wizardryっぽい方が、少なくとも「マニアウケはする」って雰囲気になっちまったわけだよな、ある意味(※9)。
さて、そんな中で、「2D見下ろし型ダンジョン一人旅」型ゲームの最後っ屁って言えるのがここで紹介しようとしてるTelengardだ。これはWizardryとUltimaが登場した1年後の1982年に発売されている。
「登場するのがもうちょっと早かったら」何とかなったかもしれんが、ならんかったかもしれん(笑)。
ちと解説しよう。
CRPGがPLATOと言うメインフレーム文化圏で主に始まった、と言う話を書いたが。
あまり派手に目立ってはいないが、当然「それ以外でも無いわけでもなかった」んだ。別のメインフレームだよな。
大体、(多分)PLATOは高いわけで、全米の大学がPLATOを導入出来たわけじゃない。当然そうじゃない大学もあるわけで。
例えばWizardryの作者、アンドリュー・グリーンバーグとロバート・ウッドヘッドの2人ってコーネル大学の学生だったんだぞ?コーネル大学知らない?
アイビー・リーグの一つで日本で言うと旧帝国大(東大とか京大とか)の学生みてぇなモンだ。私立だけど(※10)。
つまりだな、彼らは実はアメリカではエリートで、そんな彼らが通ってた大学は資金力があるんだよ。
当然全米の大学が全部そんな大学ばっかなワケじゃあねぇ、って事だな。
さて、Telengardの作者、Daniel Lawrence氏。アメリカインディアナ州の公立大学の一つである、Purdue Universityの学生だったわけだが。
この大学ではPDP-10と言うメインフレームを導入していた。
銘機PDP-10。コンピュータ・サイエンスの歴史では良く見る名前だ。Digital Equipment Corporation(DEC)と言う、元MITの人達によって立ち上げられた会社で作られていた。なお、DECは後に、IBM-PCコンパチメーカーのCompaqに買収され、そのCompaqも後にHewlett Packardに買収される。ちなみに、現在のWindowsの基礎であるWindows NTの基本設計者はDECでOSの開発をやってたDave Cutlerって人で、DECは無くなってしまったが、その血筋は今現在もMicrosoftに残っている。また、Dave Cutler氏はMicrosoft XBOXのシリーズの開発にも関わっている。
このDaniel Lawrence氏もD&Dのファンだった模様で、このPDP-10上でBASICで書き上げたD&DクローンをDNDと言う・・・いや、PLATOにもDnDとかdndとか名付けられたゲームがあったが、それとは別物だ。いや、当時はそんなんばっかだったんだって(笑)。
さて、1977年に制作されたこのゲーム。DEC社の目に留まり、一種のフリーゲームとして暫くDEC社のミニコンのおまけとして流布されてたらしい。
そんな中で、Daniel Lawrence氏。パソコンを買って(彼はCommodore PETを購入したらしい)、自作のゲーム、DNDのソースコードを弄り倒して改良しまくってたらしい。
ついでに同ソースコードをこれまた趣味でApple II+、TRS-80、そしてやっと出て来た遅れてきた男、1979年生まれのATARI 400/800等に移植する・・・この人相当マニアなのかね(笑)。黎明期のパソコンでも、大体の人って「会社を作って」必要に駆られて移植するんだけど、この人って商業化の目処が立ってないのに何か、そういう「コンピュータオタク中のコンピュータオタク」だったのかもしれん(笑)。全部持ってたのかしら(笑)。
ATARI 800。そもそも、ATARIはスティーヴ・ジョブスがいた会社で、ウォズニアックがApple IIを作ってた最中、元々ジョブスはATARIに「こういう製品の企画があるんだ」と持ち込んだらしいが、ATARIは拒否。また、ウォズニアックも自身が勤めていたHewlett Packardに試作品を見せたがHPも興味を持たなかったので、Appleと言う会社を作る事にしたわけだが。ATARIはコンピュータビジネスに参入するより、1977年に発表したATARI 2600と言うコンソールビジネスに注力しようとしてて、「パソコンの可能性」ってのは端から考えてなかったわけだが、Apple IIが成功し、TRS-80やCommodore PETの成功を見て「ヤベこりゃヤベ」ってぇんで、急遽パソコンビジネスに参入したらしい。ちなみに、Apple II、Commodore PET、ATARI 2600、ATARI 400/800共全部MOS 6502と言う後にファミコンに使われるCPUを使っていて、日本で有名なZ80と言うインテルチップのクローンを使ってたのはTRS-80だけ、だった。この4機種の中では、Commodore 64が出るまではATARI 400/800の画像が一番良く、それは画像処理用カスタムチップのお陰だ。ATARIの製品が、恐らく米国産のパソコンでは初めて特殊な画像チップを使ったモノだろう(こういう発想が出たのはATARI 2600の経験から、だろう)。それは、後のCommodore Amigaで驚異的なカスタムチップをデザインするJay Minorの手に拠るモノだ。
んでまぁ、詳細は分からんのだけど、トーシロが作ったゲームを披露する大会みたいなのがあったのかね。そこにボードゲームメーカーのアバロン・ヒルがやってきて、Daniel Lawrence氏の自作ゲームを見たわけだ。で、「ウチで出版したい」となった。
こうしてCommodore 64やIBM-PC版を含んで広くリリースされる事となったのが、このゲーム、Telengard、ってわけ。
いいね、夢がある話だ(笑)。っつーか「夢があった」って言うべきか(笑)。
さて、このTelengardってゲーム。レトロRPGを調べると名前は割合見かけるんだけど、生憎「性交成功作」って評ではないんだよな。
一つの理由としては上にも書いたけど、商業的には「Wizardry以降」に出た、って事。
Wizardryで「本格的なRPG」にかなり近づいた辺りだし、また、Ultimaが「世界を放浪する」スタイルを提示しちゃったんで1982年の段階ではもう古臭かった。
でも、趣味たぁ言え、開発に時間をかけただけあって、今まで見たPLATOの2Dダンジョンハックモノや、Beneath Apple Manor、それとTemple of Apshaiに比べると「余計D&Dスタイル」に見えるこたぁ見えるんだ。
まずキャラ作成。
5秒毎くらい?3d6のステータスが出まくって、気に入ったステータスになった時にリターンを叩いて「そのキャラで行く」事が出来る。
ステータス(アトリビュート)を見りゃ分かるけど、モロD&Dだ。
まぁ、Wizardryが出た後だからそこまで新味はないが、2Dでのダンジョンハックモノとすれば「やっとD&Dに限りなく近い」ゲームが出た、ってカンジ。
そして、Temple of Apshaiと違って、このゲームもローグライクだ。つまり、ダンジョンは「自動生成」される。
ところが、このゲーム、色々と欠点がある。
まず、WizardryやましてやBeneath Apple Manorとかに比べてもグラフィックがショボい。
そしてとにかくゲームバランスが悪いんだ。1階に下りただけですんげぇ強敵に強襲されてすぐ死ぬ、って事もザラ。しかもTemple of Apshai以上に「リアルタイムに寄っている」。急いでコマンド打たないと何もせんままに殺される、ってのもザラなんだよな。
このゲームバランスの悪さのクセになんと階層は50階層もある、と言う(笑)。冗談だろ、って言うような状態なんだ(しかもTemple of Apshaiで言う「Room数」は全部で200万だとよ・笑)。
モンスター数は全部で20種類くらいなんだけど、本当にランダムで現れるみたいなんだよな。だから1階でも強敵に会えばオシマイだ。
ちなみに自キャラはAD&Dで言うトコのFigiter/Mage設定になっている。「使える魔法は31種類もあります!」と言う気合の入れようなんだけど、ほぼリアルタイム戦闘なのに、んなもん選んでる暇があるか、と言う(笑)。
何だろ、アイディアはいいけどね・・・とか言うアレなんだよ(笑)。
そしてこのゲームの最大の問題。「何故に50階層もあるダンジョンに潜らなアカンのか」明確な目的がサッパリ無い、と言う事。変人が主人公なのか(笑)?
いや、以前Oublietteの項でも書いたけど、実はメインフレーム系のCRPGの場合、ダンジョンに潜る目的ってのがハッキリしないんだ。
ホント、黎明期のメインフレームのCRPGだとそれで良かったのかもしんないけど、パソコンがある程度普及して、ゲームで遊ぶ人口がそれなりにいた場合、「自キャラを強くするだけ」とか「宝箱を開けて金稼ぐだけ」って目的とも言えない目的って魅力がねぇんだよ。分かる?
Beneath Apple Manorもそうだったんだけど、Wizardryの何が優秀だったのか、っつーと、言い訳程度でも冒険の目的を提示したトコにあるんだわ。Beneath Apple Manorだと「金のリンゴを探せ」、Wizardryだと「ワードナを倒せ」だろ?その単純なミッションがあるか、ないか、で大違いなんだよな。
Telengardはぶっちゃけ、Beneath Apple Manor、そしてWizardryやUlimaよりも(商業的には)後に出たにも関わらず、全く冒険の目的がない。全く冒険の目的が無いクセに1階で強敵に会えば無情にも屠られるわけだ(笑)。
「何だこのゲーム?」ってなるだろ(笑)?
人間には頑張る為の理由、つまりモティベーションが必要なんだけど、Telengardには、商業的には後発のクセに、それが欠けてるんだ。
なお、後に出たIBM-PC版はグラフィックは良くはなってる。
この版は全面的にC言語で書き直されてるそうだ。1985年の時点でC言語を使ったプログラムになってる、ってのはかなり珍しいと思う。
もっともC言語になってるからプレイしやすい、とかは全く関係ねぇけどな(笑)。
ちなみに、実はこのゲーム、恐らく洋ゲーRPGとしては初めて日本のPCに移植されたブツかもしんない。
1984年にNEC PC-8801/PC-9801用ゲームとしてリリースされた記録があるんだな。
まとまった情報は見つからなかったんだけど、どうやら(セガの親会社として有名だった)CSKが販売したらしい。開発は、これまた全く分からん、木屋通商って会社が行ったらしい。
詳しい情報が全く分からんので、どんな移植作になってたんだかサッパリ分からん。んで多分売れてない(笑)。
断片的な情報に依ると「クソゲー」の一言で切り捨てられてたみたい(笑)。まぁ、当時は「クソゲー」って単語は無かったろうが。
いずれにせよ、一体誰が、何の目的でこのゲームをPC-8801/9801用に移植しよう、って考えたんだろう(笑)。だって何だかんだ言っても、米国での評判も必ずしも高くなかったんだからさ。
いや、スタークラフトが1985年以降、色々と米国産RPGを日本のPCに移植する前に「挑戦」した事自体はエラいけどさ(笑)。何でこれだったんだろ(笑)。
なお、実はフリーのクローンゲームも存在してる。
興味のある人はどうぞ。Windows対応版だ。
とまぁ、黎明期のCRPGの発展とその歴史に付いては、一応この項で終わりとしよう。
これ以降だと殆どが、そこそこレトロゲームを知ってる人だと「知ってる作品」になるだろうからだ。
また、これも言うと怒られるかもしれないけど、基本的にドラクエ以前の国産PC用RPGって取り上げる価値がぶっちゃけねぇ、って思ってるんだよね。
どれもこれも「クソゲー」の一言で終わるだろうから、だ。書く価値がない。
少なくとも「RPGの根幹」を勘違いして作ってるゲーム、ばっかなんで、やっぱり日本の「マトモで」「本格的な」CRPGってドラクエ以降にしか存在せんと思ってる。
※1: とは言っても、D&Dの「ドワーフやエルフが職業」と言うスタイルから「種族は種族、職業は職業」と言うスタイルに切り替えたのは、ひょっとしたら当時の状況から言うとAD&DよりPLATO上のCRPGの方が早かったかもしんない。
こだわる人は「種族が職業になってるっておかしくね?」って気づくだろうし、気づく人こそ、言わばマニアだからだ。
※2: 繰り返すが、Wizardryに多大な影響を与えた・・・と言うよりパクリのネタ元になってるのは、PLATO上のMoria及びOublietteだ。
※3: 当時の日本の「パソコン御三家」には実は富士通は含まれていない。富士通はむしろ後発で、1981年のFM-8で初参戦する。
と言うのも富士通自体がメインフレームがメイン事業で、性質的には米国IBMに似通った会社だったから、だ。
後に御三家から日立が凋落し、目出度く富士通が御三家の一つの位置となる。
※4: 初期のアメリカでバカ売れしたパソコンゲーム、と思われている、例えばSTARTREKやいつぞや書いたHunt the Wumpsなんかも全て元々ミニコンで動いていたゲームだ。また、これも書いたが、Zorkなんかのテキストアドベンチャーゲームも出自はやっぱりメインフレームだ。
STARTREK。80年代の日本のマイコンショップでデモとして良く使われていた。オリジナルはHewlett Packard製のメインフレームでBASICで書かれ、動いていたゲームだ。
実は意外と「PC生まれのゲームジャンル」ってのはそんなに無く、片方がメインフレーム文化の流入、もう一つはアーケードゲームに対する憧憬、が初期の(アメリカの)PC用ゲームビジネスを支えていた。
※5: ちなみに、発表当時のApple IIは米国では本体価格が$1,298、って辺りで、同じ年に発売されたTRS-80($399)、Commodore PET($795)に比べるとかなり高い。他機種の2倍から3倍、と言う価格だ。カラーだったけれども。
実際問題、日本ではピンと来ないけど、この3機種の中では当時アメリカで一番売れたのは値段が一番安いTRS-80で(モニタ込みで買っても$600しない)、そして「ソフトウェアビジネス」が盛んで、一番デカイ市場を形成したのもTRS-80だった。
そして、1982年に高性能なのに低価格なCommodore 64($595)が登場し、Apple IIに比べるとメチャクチャ綺麗なカラーで大ヒットする。そして単一パソコンとして売れた数で言うとCommodore 64が今現在でもダントツの世界一でいまだ記録は破られていない。
銘機Commodore 64。価格性能比では当時ダントツで、いわゆるアタリショックの引き金の一つと言われている(低価格・高性能なんで、コンソールゲーマーがC64に大量に移動した為)。なお、実はこの機械、日本人グループが中心になって設計してるんで、ある意味日本製だ。
いずれにせよ、意外とApple社は、Apple IIでさえ、シェアのトップは取れてはいなかった、と言う事だ。
※6: この好事家のウチの2人が、ドラクエを作った堀井雄二と中村光一だったわけだ。
結果、当時の「RPGを良く知らずに見様見真似で作ってみました」国産PC用RPGを作った人々とは、最初から立脚点が違っていた、と思われる。
※7: そしてそもそも、本家本元のD&Dが日本で出版されたのも1985年だ。
言い換えると、日本のPC黎明期の「RPGらしきモノ」は、テーブルトップのD&Dさえ知らずに「何だか分からんけどアメリカで流行ってるらしいんで作ってみました」程度のゲームばっかだった、と言う事だ。
CRPGも知らず、TRPGも知らずに作った、と言う殆どの黎明期の「国産PC用RPG」が、今も遊べるだけの「強度」を持っていない、って言うのはこういう理由に拠る。
ウソだと思うならProjectEGGで買って試してみればいい(笑)。絶対にアタマに来てぶん投げる事間違いねぇから(笑)。
※8: SSIのPhantasie、Questron、Wizard's Crownなんかはこの「例外」の方だろう。
※9: うん、あくまで「マニア向け」だ。
日本のTRPGプレイヤーは「米国ではRPGは常識」と言いたがるが、んなこたぁない。
当時のPCユーザーの尖った層とTRPGプレイヤーの層がある程度かぶっていただけ、で、コンソールビジネスを含む「全範囲で」RPGが認知されて支持されていたのか、と言うと、実はんなこたぁない。
現に、アメリカではプレイステーションでFF VIIが出るまで、RPGと言うジャンルは「苦戦するのが」当然だった。やっぱ圧倒的にアクションだったり、1st Person Shooterだったり、スポーツゲームを好むのがアメリカ人なんだわ。
つまり、当時のアメリカの「PC上のRPGブーム」と言うのは、あくまでPCでゲームをやる「ちょっと尖ってる」層に受け入れられただけに過ぎない。そしてそのマーケット規模は、やっぱりNintendoが形成した市場規模よか遥かに小さかったのが事実、だ。
結局、3Dダンジョンが受け入れられたのは、何だかんだ言ってマスマーケット向けではなかった事、それとアメリカ人の「リアル指向」に合致したんだろう。
(あとは、描画領域が狭いんで、当時のPCのスペック的には実装がラクだった、って事もあるだろう)
なお、Final Fantasy VIIの性交成功以降だと、むしろアメリカ制作のRPGでも3D系は減ったような気がする。気がするだけだが。
※10: THE世界大学ランキング(2023年)では20位、QS世界大学ランキング(2023年)でも20位。ちなみに東大が前者で39位、後者で23位なんで、コーネル大学の方が東大より格上だと言う事が分かるだろう。
Wizardryは、言っちゃえば、「東大出身者よりアタマがいい」連中が作ったゲームなんだ(笑)。