見出し画像

Retro-gaming and so on

ラスター・ブラスター

個人的には全然ピンボールゲームが好きなわけではないが(下手だから・笑)、あまり日本じゃメジャーではない、ビデオゲームでのピンボールの歴史をちと調べてみた。

「ピンボール」と言う名称が定着したのが1930年代(※1)、現代みたいな「フリッパーで玉を弾く」ゲームとして一応の完成を見たのが1940年代から(※2)、みたいだが(※3)、そこから遅れる事30年前後、ビデオゲームとしてのピンボールが現れる。当然この頃はまだパソコンなんざない(1970年代初頭)。
一応、記録的には「世界最初のビデオピンボールゲーム」は1973年のTV Pingameって事になってるらしいが・・・・・・。


これは果たしてピンボールなのだろうか
一見ブロック崩しに見えるが、そもそもブロック崩しがまだ登場していない
せいぜい好意的に見ても、メカトロのピンボール「以前の」ゲームにしか見えない。
これ、実の事言うと、1970年代初頭、まだ「あれこれ一気に」プログラムで実現するのが難しかった、って事なんだよな。物理法則に則ってピンボールをコンピュータ上で「再現する」ってのはスペック的にはまだキツかったわけだ(※4)。
そして、こういう黎明期のアーケードビデオゲームの中で、ナムコがジービー(1978)/ボムビー(1979)/キューティーQ(1979)と言うブロック崩し+ピンボール、なんてアーケードゲームを出すわけだ。全く知らんけどよ



キューティーQ。プレイステーションのナムコミュージアム vol.2に収録されている。

とまぁ、この辺辺りまではビデオゲームで物理的なピンボールを再現するのは「難しい」、あるいは、アーケードゲーム観点だと「必要なかった」かのどっちかだった、っつーわけだ。
昔も今も変わらず、マニアだったら業務用筐体を買ったりするわけだし。物理的な「ピンボール」を電子的に「再現する」っつーのは色んな意味で非現実的だったんだな。

そんな中でビル・バッジと言う天才プログラマが現れる。いくら何でもApple IIの低スペックで物理法則に従ったピンボールゲームを作るのはムリゲーだろ、と思われる中でそれをやっちまった。当然Apple IIでは大ヒットゲームとなる。1981年にリリースされた、恐らく史上初の「パソコン用電子ピンボールシミュレータ」を「ラスター・ブラスター」と言う。



一応、このデザインはウィリアムズ(現・SG)、と言うメーカーのヒット作、ファイアーパワー(1980年)と言う物理的なモデルを意識したらしい。





うん、まぁ、Apple IIなんで、パーツの色やら何やらだいぶ端折ってはいるけれど、大枠のデザインは踏襲している。っつーか確かにパクリだ。

とまぁ、この「ラスター・ブラスター」がキッカケとなって、「ビデオゲームのピンボール」と言うジャンルが確立するのである・・・・・・ぶっちゃけ、日本人にはあまりピンと来ないけど、毛唐はピンボール大好きで、このテのリアルなシミュレータが大好きなんだ。・・・ゲーセン行って大量のコイン使ってやるのもアレだし、マニアみたいにアナログなデカい筐体買うわけにもイカンし、と言うと、ビデオゲームとして遊べる「リアルなピンボールゲーム」ってのは連中には嬉しいし、確固たる市場があっちにはある、ってこったな。
そういう市場を開拓した「ラスター・ブラスター」ってのはすげぇゲームなんだよ。・・・・・・日本人にはイマイチピンとこねぇけどな(謎



※1: これ以前にはピンボールの原型と言えるゲームは、18世紀〜19世紀頃からあったらしいが、名称も違うし、遊び方も違う、ってんで殆ど「前史」と言って良い。

※2: 実は面白いことに、「ピンボールをピンボールたらしめている」アクション要素であるフリッパーが、一番最後に付け加えられた模様だ。それまでのピンボールは横倒しされたパチンコみたいなモノだった。
と言う事は意外と、日本の「パチンコ」と言うのはピンボールとルーツを共有してるのかもしんない。いや、これ以上はメンドくせぇから調べねぇけどよ(笑)。

※3: オリジナルのドラクエのクリエータ達、堀井雄二、中村光一、すぎやまこういちの三人が大好きだった、と言うゲーム「ビンゴ」(あるいはビンゴ・ピンボールと呼ばれる)は系統から言うと、どうやらフリッパーが登場するピンボール「以前のゲーム」(祖先)から枝分かれしたゲームの一種らしい。


※4: この頃の業務用ビデオゲームはまだ「CPUの導入」まで行ってなかった。CPUを導入して「プログラミングで」ゲームを作るようになるのは、それこそ1978年のスペース・インベーダー登場前後、からだ。この頃、やっとCPUの価格が落ちてきた(と言うか、インテルに対抗して戦略的に低価格互換路線を敷いたザイログのZ80(1976年)や、同様な方針でモトローラの6800の低価格互換路線を敷いたモステクノロジーの6502(1975年)が出たのがこの前後だ)ので、これを利用したアーケードビデオゲームが登場してきたのだ。
それまでのアーケードビデオゲームは電子回路を一々組んでいたので、そんなに複雑なゲームはそれこそ作れなかったのだ。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「Apple II」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事