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Retro-gaming and so on

Ultima V

クラシックRPGでWizと双璧を成す、と言われたRPGがUltimaだ。
ドラクエの片親、とも言える。
話に拠ると、プログラマの中村光一はWizファンで、シナリオライターの堀井雄二がUltimaファンだった模様。
その2人の趣味が合わさって、ドラクエが産まれたわけだが(※1)、全般的にはUltimaの影響の方が大きかったんじゃないか、と思われる。

同じCRPGとは言ってもWizardryは明らかにAD&Dの影響が色濃いが、反面Ultimaはそれほどでもないと思う。
そして、それがドラクエを経由して、少なくとも日本のCRPGに影響を与えたのは事実だ。
特に大きいのがキャラのパラメータだ。
元々、AD&Dなんかのパラメータは6面体ダイス3個で決定するパターンが多い。従って、最大値は18で、基本的にその数を超える事がないんだ(後にボーナスと言う概念が出てはくるが)。
ところがUltimaはそうじゃない。DQを経由して見られる、パラメータの最大値が100、と言う形式は恐らくUltimaにはじまったと思う。



そしてFFを経由して最大値が255になったり、あるいはそれを突破したインフレ気味の設定とかになっていって、もはやこの辺はTRPGのシステムとは乖離したような状況になる。
全ての諸悪の根源はUltimaだ(笑)。

ドラクエの慧眼はホント凄い。戦闘をWizardryからパクった、ってのは凄く正しい。
っつーか、基本、Ultimaの戦闘はつまらんのだ(笑)。タクティカル・コンバットが好きな僕でさえそう思う。ファイアーエムブレムとか好きな人でも嫌うだろう。
何がダメか、って、少なくともUltima IV辺りまで、ターン内で一歩動いたらそれ以上何も出来ないんだ。


移動能力がないタクティカルコンバットなんて面白いわけがない。
結果、敵と動線を合わせて、遠距離攻撃、と言う割に地味な作戦しか立てようがないんだ。

UltimaはI〜VまではApple IIが原作だった。しかし、VI(1990年)で初めてIBM-PC(MS-DOS)がターゲットとなる。
それまで(1980年代を通じて)はIBM-PCコンパチ機はゲーマーには評価が低いマシンだったが、1990年頃になると今のグラフィックスの基礎となるVGA(640x480)がほぼ標準となっていて、ゲーミングキャパビリティが上がっていた。そこで満を持して脱Apple IIで開発されたUltimaがVIになるわけ。
これで画面がそれまでのショボさから脱却する事となる。
ところで日本では、最初に紹介されたのはUltima II(1985年)だった。販売したのは洋ゲー移植専門会社みたいになってたスタークラフト。実はこの辺、北米ではUltimaの権利が販売会社で分かれてて(IはCalifornia Pacific、IIはSierra Online、III以降がOrigin Systems)、それもあって単発契約っぽい契約だったんだろう。
この後、Origin Systemsが1980年代後半に各社に分散してた権利を纏めてUltima I と Ultima IIを「リメイク」する。より高速化したバージョンをリリースするわけだ(※2)。それと前後して日本ではポニーキャニオンがUltimaシリーズの権利を取り、スタークラフトがUltimaシリーズから退場する事となる。

正直、UltimaのI(1981年)とII(1982年)は今やって面白い、とかやる価値があるのか、と言うのは疑問だ。そもそも、これら2本のゲームはパーティプレイじゃなくってソロプレイなんだ。DQ Iが2本連続で出たようなモンだ。
ところがWizardry(1981年)は最初からパーティプレイだった。
Ultimaがパーティプレイを導入したのはWizardryに遅れて2年、Ultima IIIが初めて、となる。
ポニーキャニオンがファミコン用にUltima IとUltima IIを無視してIIIから移植した(1987年)のは正しかったんだ。ドラクエに対抗して「本当のCRPG」をリリースするなら、最低でもIIIじゃなきゃ意味がなかったんだ。
まぁ、結果フザケたようなショボい移植(※3)になっちまったわけだが(謎

 

そして正直言うと、この移植が日本における大衆的な意味での「ウルティマ」の印象を決定付けたと言っても過言ではないだろう。
要するにクソゲーのイメージが付いたのはこのバージョンのせいだ。

この、ファミコン版エクソダスの失敗により、コンソール市場ではUltimaのブランドイメージは最悪となり、続編「聖者への道」はファミコンに移植された割に、評判は芳しくなかった。こっちは実はかなり改良されてて遊びやすくなってるんだが。
噂を知ってるかもしれないが、このゲーム、ラスボスがいない。延々と自らを鍛えるゲームとなっていて、前3作から路線を変更した最初のUltimaとなる。
実は僕が唯一クリアしたUltimaがこのファミコン版IVだ。これは面白いからオススメだ。



しかし、アバタール(悟った者)を目指すにせよ、このゲームは一筋縄ではいかない。
何がキツいか、と言うと、このゲーム、ドラクエで言うトコの「ルーラ」がない。
遠距離移動には「ムーンゲート」なるモノを使うのだが、2つある月(この世界には月が2つある)の満ち欠けがある決まったパターンにならないと目的地へと飛べないのだ。その「移動のやりづらさ」がこのゲームを難しくしてる(そもそもパーティメンバーを探すのが、DQ IIより難しい)。
ハッキリ言って、先にも書いたけど、このゲームは一見オーソドックスなRPG的ファンタジーではあるが、実際問題AD&DなんかのTRPGの影響はシステム的に見るとほぼ無いんだ。その辺がWizとは大違いで、そしてWizより圧倒的に複雑な部分でもある。そしてその「ギミックてんこ盛り」のシステムは、言っちゃえばロード・ブリティッシュ(※4)の「性格の悪さ」を表してると思う(笑)。とにかく、攻略本(あるいは今だったら攻略サイト)ナシではフツーに解けない難易度のゲームなんだ(※5)。
まぁ、フツーにファミコンキッズが「ドラクエみたいなゲームをプレイしたい!」と思って手を出したら、パソコン版よか難易度が下がってるにせよ、まず解けないゲームだと言って良いだろう。黎明期のPCのRPGの難易度がそのまま横たわってるようなゲームではあるんだ。

そしてファミコン版でIVがリリースされた後、舞台はスーファミへ移り、VIから移植がスタートする(※6)。どういうわけかポッカリとVだけが抜け落ちてるわけだな。
しかし、実はそれは日本国内だけ、の話。どういうわけか、北米ではウルティマ Vは家庭用コンソール、ハッキリ言えば北米版ファミコン(NES)に移植されている(1991年)。



これ、実は北米でもポニーキャニオンから販売されている(※7)。つまり、やる気になればファミコンでもリリース出来たのに敢えてしてないんだ。
しかも原作のPC版(1988年)はこれだ。




つまり、原作はUltima I〜IVの流れを組んだグラフィックスなのに、NES版はVIのグラフィックスのクオリティに寄せている。
もちろん、原作から3年の月日が経ってるから、ってのはあるが、それにしても好移植の範疇に入るんじゃないか。
よって、入手可能なら(かつ英語が読める、と言う前提はあるが)、NES版Ultima Vはオススメ出来る範疇にあると思う。NES版であるが故、カートリッジの数もそこそこ出てるんじゃないか。
返す返すも、日本でリリースされなかったのは残念ではあるが。

なお、X68000の実機を持ってる人なら、X68000でもUltima IV〜VIはどーゆーわけかリリースされてるので、そっちを探してプレイしてみてもいいかもしんない。これなら連続で遊べるしね。・・・もっとも「X68000ならではのグラフィックス・クオリティ」なんつーのは期待は出来ないが。

 








※1: 漫画「ドラゴンクエストへの道」には如何にもプロデューサーの千田幸信が企画を立ち上げたように描かれているが実際は、企画自体は堀井雄二と中村光一のタッグで立ち上げ、千田幸信に「止められた」と言った方が正しいらしい(まずは「ポートピア連続殺人事件」を作成させたのは事実らしいが)。
そしてドラクエの企画自体には実は少年ジャンプでの鳥山明の編集だった、現・白泉社社長の鳥嶋和彦の助力の方がむしろ大きかったようだ(そもそも、漫画家を「囲い込む」少年ジャンプの契約と戦略上、フツーならジャンプ漫画家に協力を頼むのは不可能だ => 鳥嶋和彦が最初から企画に関わってないと成せない)。そして実は鳥嶋和彦自身が当時、ゲームマニアだったのだ。
また、WizardryとUltimaだけではなく、ドラクエに影響を与えた第三のRPGに、日本未発売の「クエストロン」の存在がある。

※2: UltimaのCalifornia Pacific版、Ultima IIのSierra Online版の両者はBASICで書かれていた。後のOrigin SystemsのUltima Trilogyに含まれたUltima I、Ultima IIはアセンブリ言語で書き直されていて、それも合わせてCalifornia Pacific版とSierra Online版と権利が抵触してないようになっている。つまり「事実上新作」で、副題を付けた事で法律上「別のゲーム」になったわけだ(笑)。
なお、ポニーキャニオン版のUltima I/Ultima IIはこの「アセンブリを使ったOrigin Systems版を元にした為」、いわゆるローカライズ移植作業が必要になり、Pascalを用いたWizardryと違って、一からPC-9801用に組み直さないとならなかった。
なお、ポニーキャニオンに権利が移る前のスタークラフト製のPC-8801版もBASICで動いていて、こちらの移植作業はポニーキャニオン版より易しかったんじゃないか。
(Applesoft BASIC => N88 BASICと言う移植の為、一から組み上げる必要はない)

※3: ちなみにWizのファミコン版移植を担当したゲームスタジオの遠藤雅伸氏によると、ウルティマ「恐怖のエクソダス」の移植担当だったニュートピアプランニングはゲームスタジオの近所の会社で、ほぼ同時期に移植作業を行っていたらしい。
ニュートピアプランニングはPC-9801版のUltimaの移植担当も担っていて、突然ファミコン版をやらされたワケではない。ファミコン版で急遽移植担当になったゲームスタジオとは違う経緯で、PC版も結果良く知ってたのである(Wizは、販売はアスキーで同じだがPC版はフォア・チューンと言う別のメーカーが担っていて、またロバート・ウッドヘッドの述懐ではオリジナルのソースコードを流用したので殆どプログラムは担当していない)。
つまり、エクソダスの「出来の悪さ」には2つ原因があって、ファミコンのスペックを良く知らずに原作に忠実に移植しようとしたテクニカルな部分と、あとはポニーキャニオンの余計な横槍(監修に秋元康を据えるとか・笑)が不幸にも重なった結果だ、と言う事だ。

※4: この世界唯一の王様の名で、また、作者のアダ名である。本名リチャード・ギャリオット。
幼い頃、イギリスで過ごした事があるリチャード君はイギリス訛りの英語を喋ってて、それもあって少年期のアダ名が「ブリティッシュ」だったわけだ。
このアダ名を気に入ったリチャード少年は、Ultima内に自ら王様として登場して「ロード・ブリティッシュ」を名乗るわけだ。

※5: 他にも、レベルを上げるには大量の金が必要だったり、あるいは体に焼印を押さなきゃなんなかったり(HPがゴッソリ減る)、酷いギミックが多い(笑)。これに比べたら、WizはDQよりは難しいがそこまで理不尽さはない、と言うのが分かるだろう。Ultimaこそがいわゆる「洋ゲー」で、無茶振りだらけのゲームなのだ。
従って、PC黎明期のRPGブームの一旦を担った作品ではあるが、どっちかと言うと作者の趣味丸出しのゲームで、かつ、米国の類似ゲームと比べるとTRPGの影響は実は殆ど見られないくらいである。
少なくとも、リチャード・ギャリオットは、Wizardryの作者のロバート・ウッドヘッドやアンドリュー・グリーンバーグ程TRPGにのめり込んではいなかったんじゃないか(プログラマとしてのデビューが高校生時だったんで、年齢がWizの作者達より明らかに下で、大学生を中心としてブームが起きていたD&Dの影響範囲にギリギリ掠らなかった可能性がある)。
そしてIVからはプレイヤーの「性格判断」で自キャラ作成、と言う手段になり、パラメータの振り分けも消失し、ますますスタンダードな「TRPG的なキャラ設定」から乖離していく。
この辺の「自由な設計」はむしろ日本のJRPGの発展に近く、後者の「TRPGを知らない奴らのCRPG作り」と共通点が多い。

※6: VIで出てくるサポートメンバー達は実はIVから出ずっぱりである。結果、IVから新シリーズに移行して、キャラクタメイキングは「主人公のみ」(SFC版のVIではそれも省略されている)で、「お馴染みのメンツから」仲間を選ぶようなシステムになっている。

※7: ただし、IIIとIVのファミコン移植に関わってきたニュートピア・プランニングは参加してない模様。Origin Systems自らが移植してるようだ。
結局、Ultimaの家庭用ゲーム化権自体はポニーキャニオンに全権委ねていたのと、任天堂のサードパーティになるには資金が無かったのだろう。
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