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Retro-gaming and so on

シューティングと画像処理

急に思いついたんで書く。
昔のビデオゲーム知ってた人には当たり前ではあるんだけどね。

世界初の大ヒットシューティングゲーム、と言えばご存知タイトーの「スペースインベーダー」だ。
これは、スペックが良く分からないんだけど、話によるとCPUとしてインテルの8080を採用した初めての国産ビデオゲームだったらしい。
ただし、特に何らかの特別な画像生成チップは使ってなかった、との事。最初に出てきたヴァージョンは白黒だったし(カラーな雰囲気を出すためにセロハンを貼ってたりした・笑)、そういう意味では当時のパソコンのスペックともそんなに違わなかった、と思われる。
今の目で見てゲームが面白いか面白くないか、は問わないんだけど、ある意味今のシューティングゲームより難しいかもしれない。と言うのも一画面中一発、しか弾丸が撃てないんだ。
これは仕様として考えていいのかどうか、ってのは分からん。分からんが、どっちにせよ、一発弾丸を撃てば、そいつが消えるまで次弾は撃てない。
言い換えると、インベーダーとか、あるいはUFOに弾が当たれば即座に次弾が撃てる。一方、仮に弾を外した場合、そいつが延々と飛んでる間は次の弾が撃てない。つまり連射出来ないってのがこのゲームの特徴なんだ。
もう大体分かっただろうが、この「仕様」ってのは、画像としてインベーダーを動かす、そしてインベーダーも弾を撃ってくる、って言う「画像処理の多さ」の中で、プレイヤーに僅かに許された「余裕」なんだよ。言い換えると一画面中一発弾を撃っただけ、で描画(と言うか動画)性能がイッパイイッパイだった、と言う当時のハードウェアの限界だったんだ。
今考えるとスゴイ時代だ。1980年前後のコンピュータの画像処理能力、なんてその程度だったんだ。

スペースインベーダーはレトロゲーム機では何だかんだ言って広範囲で移植された。
しかもスペック的には、当然オリジナルのゲーセン版スペースインベーダーより圧倒的に高性能なハードウェアにも関わらず、相変わらず「一画面では弾は一つしか撃てない」と言った仕様を受け継いでいる。

SEGA SG-1000/SEGA SC-3000版(1985年)


MSX(1985年)

ファミリーコンピュータ(1985年)

 
PCエンジン Hu-Card(1990年)。オリジナル版(本家)とアレンジ版(分家)の二種類が収録されていた。ゲームボーイ版(1990年)


ゲームボーイ(1990年)

メガドライブ版(1990年)。スペースインベーダー90と名乗り、アレンジ版のみ。




PC-9801版(1992年)。オリジナル版、と逆襲平成版、と名付けられた2モードが入っていて、逆襲平成版もオリジナルヴァージョンとパロディヴァージョン、と2パターン収録で、計(ゲーム性は変わらんけど)3パターン遊べる。

 

 
スーパーファミコン版(1994年)。アーケードにあったアップライト筐体、初期の白黒版、セロファンを貼った版、後期のカラー版をそれぞれ再現してる。ゲーム性は一緒。

 

 
PCエンジン CD-ROM版(1995年)。内容はスーファミ版と同じだが、CD-ROMを使う程ではねぇだろ(笑)。


バーチャルボーイ版(1995年)。3D仕様版とオリジナル版が同梱されている。しかし特筆すべきは、「ゲームセンターあらし」で扱ってた「スペースインベーダーPart II」ってのがどんなバージョンなのか、今となってはサッパリ分からんが、何故かバーチャルボーイ版「だけ」はそのPart IIが移植されてるのだ。

 

 
プレイステーション版(1997年)。スーファミ版から3年経ってるが内容は同じだ。


ワンダースワン(1999年)


プレイステーションで2000年にリリースされたリメイク版「スペースインベーダーX」。米国アクティヴィジョン社がリメイクしたモノ。


ゲームボーイカラー版(2000年)。プレイステーション版スペースインベーダー Xと基本的には同じ。

ゲームボーイアドバンス版(2002年)。スペースインベーダー EX。

さて、ポストインベーダーで登場したのがギャラクシアンだ。
このゲームで、日本では初めて、画像処理の為の特殊な回路が組み込まれた。ご存知「ハードウェアスプライト」だ。
ここで初めて、キャラクタをスプライト単位でぶん回す、と言う技術が使われたのだが・・・・・・。
それでもやっぱり、自機が撃つ弾は一画面一発なんだ(笑)。流麗なのは敵、であり、やっぱり連射出来ない(笑)。連射出来ない以上、高橋名人でもどうしようもないゲームだったんだ(笑)。

これも移植作は山ほどあるんだけど、ファミコンが出る以前、「スプライトが乗ってないマシンでは移植不可能」とされてたゲームだった。
ところが、1981年に、トニースズキ、と名乗るプログラマが、なんと「スプライトを持たない」Apple IIでギャラクシアンのコピーを作る事に性交成功する。
全世界ビックリ、だ。
それがApple IIの「エイリアン・タイフーン」と言うコピーゲームで、これでApple IIの「秘められた性能」を世界に知らしめた。
フツーじゃ出来ない事をやってのけた、と言う意味では驚きの「コピー品」だったんだよ。




どっちにせよ1画面内一発だけどな(謎

この「連射不可能な仕様」っていつまでだったんだろ。
多分、連射、っつっても、初めて基本1画面2発弾を発射可能になったのはギャラガじゃないか、とは思ってる。ここで初めて連射、ってアイディアが実装可能になったんじゃないか。

セガのSG-1000/SC-3000用ギャラガがリリースされた1年後の1984年にMSXで発売されたギャラガ。セガの移植と同様、あまり綺麗じゃないが、基本的にセガのマシンもMSXのマシンも構成は殆ど似たようなモノで、ヤマハが製作した、テキサスインスツルメンツ製のPPU(Picuture Processing Unit)の互換チップを使ってたんで、出来る事は両者とも似たようなモノだった。

PC-9801版(1985年)。電波新聞社に拠る移植。頑張ってる。が・・・やっぱ正直言って、ファミコンの性能の高さがわかるんじゃないか。

SHARP X1版(1985年)。これも電波新聞社に拠る移植。
恐らく画像的にはPC-9801版と同じもので使いまわしてる・・・と言うより、8bit機に合わせた画像をPC-9801版で使った、と考えた方が良いだろう。
頑張ってる。でもそれ以上でもそれ以下でもない。

やっぱファミコン、って綺麗だったんだな・・・・・・。
後にファミコン買って、スペースインベーダーとかディスクシステムでギャラクシアンとギャラガ買ったけど、圧倒的に暇があれば遊んでたのがディスクシステムでのギャラガ。
やっぱ連射出来るのって大きいじゃない。ハードウェアの制限で始まった「一画面一発」ってのは当時プレイしててもツラかったわ(笑)。


と言うわけで、コンピュータハードウェアに「スプライト」が搭載され、そのおかげでシューティングの自機の「弾丸数」ってのが増えてきてから様相が変わってきたんだよな。
今だと「弾幕シューティング」とか出てきて隔世の感がある。ホント、ハードウェアって進歩したよ。

ちなみに、1985年に登場したCommodore Amigaって機械はホント、当時だとハード的にはゲーム機に近くて、画像処理用チップ(Agnus)、スプライト用チップ(Denise)、音声用チップ(Paula)、とCPUの他に3つもカスタムチップを搭載してた結構豪華なマシンだった、って事を付け加えておく。全部女性の名前となってて、なかなかオシャレではあった。

※: 余談だが、ファミコンが恐らく「移植」で初めて悲鳴をあげたのがご存知グラディウス、だ。ファミコンのハードウェアスプライトでも手に負えないような数の「オプション」はさすがに完全移植とは行かず、ゲーセン版に比べると数を減らされているのは有名な話。


だからこそ「自宅で完璧なグラディウスをやりたい」と思ってたゲーマーは多く、SHARP X68000がそれを成し遂げるスペックを持ってる、って知った時、みんな喝采したわけだ。
また、ドラクエIIで、ウルティマ型ゲームの筈なのに、何故にパーティメンバーが4人じゃなくって3人なのか、と言うのも、当時のファミコンでのハードウェアスプライトの上限から逆算して割り出した人数だったらしい。4人にすれば、水平上のスプライトがチラつく為、そこまで行かない3人パーティ前提でゲームデザインをする、と言う方針が固まった、との事。


後発のファイナルファンタジーとか、このスプライトとドラクエの関係を良く見てて、パーティ人数分のグラフィックを用意するより、「先頭キャラだけを表示する」と言うアタマの良いやり方をしたわけだ。
どうしてもこの辺、後発で研究したヤツの方が有利だよな(笑)。


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