教えて!gooなんかでも「AIの台頭によってプログラマは職を奪われるのでは」と言ったような質問がちょくちょく出てきてる。
基本、このテの質問には回答しないようにしてる。
ぶっちゃけ、くだらんから、だ。
「くだらない」と思う理由は、このテの話ってのは歴史上、何度も起こってるから、なんだよ。
19性器世紀にカメラが出てきて大衆化しつつあった時。
「これからはカメラで写真を撮れるんで、画家は必要なくなるのでは?」
と言う文言が良くあったそうだ。
それから100年以上経った今。「画家って職業は消滅した」だろうか?
答えは「消滅してない」。今も画家って職業は健在だ。
現時点で非常に近い時代でもこういうのがある。
音楽制作で弦楽器を使うのはヒッジョーにメンド臭い。弦楽器は大体一台で済まず、複数取り揃える必要がある。つまり奏者が複数人必要だ、って事だ。
要するに弦楽器を使おうとすれば、人件費がかかるんだよな。
そこで、1970年代に「ソリーナ・ストリング・アンサンブル」と言う電子楽器が出来て、一台でストリングスを「弾ける」ようになった。
ソリーナ・ストリング・アンサンブル。1974年に発売されたオランダ製電子楽器。商品的には音楽業界では大ヒットで、類似品もたくさん作られた。
当然、弦楽器奏者は「仕事が無くなる」と怯えたわけだが、結果「無くなってない」。
結局起きたのは「住み分け」なんだよな。コスト削減を重視するならこのテの電子楽器を使うが、どうしても「ホンモノの重厚なサウンド」が欲しければ弦楽器奏者達を雇わなければならないわけだ。
要は音楽の「志向」で選べるわけで、単に「選択肢が増えた」だけだった。
他にもドラムマシンなんかがある。有名なトコだと1980年代に登場したPCMベースのリンドラム、なんつーのがある。
リンドラム(LM-2)。リンドラムは初期型のLM-1と改良版であるLM-2があり、有名なのは後者のLM-2だろう。ドラムマシン自体は「プログラマブルなリズムボックス」として1970年代中期辺りに出て来たが、特有の「音の軽さ」があって、本物のドラムと置き換えられないのは明らかだったが、サンプリング技術が普遍化した事で「本物のドラムの音」をPCMで取り込んだ事により「リアルな音の」ドラムマシンが出てきて、1980年代の音楽業界を席巻する。
これもスタジオ・ミュージシャンのドラマーが「仕事が無くなるのでは?」と怯えたが実際は無くなってない。と言うか、「ドラムマシンを使う音楽」と「使わない音楽」が出てきて、結果なんだかんだ言って「住み分け」してるわけだよな。
ヒップホップ以降の「ダンス音楽」だと、原則、生のドラマーが叩くサウンドより「機械でやった」方が良かったりするけど、じゃあ、全部が全ジャンルそうなのか、っつーとそういうわけでもねぇし、結局単に「音楽ジャンルが細分化しただけ」と言う結果になってる。
要するに「適材適所」だし、事実上、ドラムマシンは単に「新しい楽器として出て来た」だけで、ドラマーを置き換えはしなかったわけだ(※1)。
何か新しいブツが出てくる度に「✗✗と言う仕事が無くなるんじゃないか」と必ず言われる。
結果無くなってないんだよ。
まぁ、ソリーナやドラムマシンはさておき、だ。
画家の場合は確かに「業務スタイル」は変更にはなったかもしれない。
19世紀にカメラが出てくる前、画家業は「工房スタイル」を取っていて、つまりある工房の「工房長」の名前が作品の「著者」となってたらしい。
つまり事実上、その工房の従業員は山ほどいて、「著者」が全部描いてたわけじゃないんだ。
画家として成功する、ってのはその「工房」が名声を得ることだったんだよな。
絵を描くってのは「産業」だったんだ。
そういう意味で言うと、「絵を描く工場としての勤め先」ってのは消失した、って言えば消失しただろう。「勤め先を探してる」画家としては独り立ち出来ないヤツが困った事になった、って言えばなったわけだよな。
つまり、「絵を描くことは産業ではなくなった」って事だよ。
でも「絵を描くことが産業ではなくなった」 = 「画家が消えた」ってワケじゃねぇだろ。
そして「絵を描きたい」って人は消えないでしょ。描きたい、って人に描くな、たぁ言えないしな。そういう「自己表現の欲求」ってのは消そうとして消えるモンじゃない。
言い換えると、ひょっとしたら「産業としての」ソフトウェア会社は消えるかもしんない。と言うか「勤め先としてのソフトウェア制作会社は」か。
これからは人を雇う事なく、AIに頼めばコードを書いてくれる世界になるかもしんない。
いや、それはそれでイイんだよ。
とは言っても「プログラミングをやりたい」って思う人は消えないだろう。また「プログラマ」も消えないと思う。
今、画家が食える程度にはプログラマも食えるだろうし、「趣味でプログラミングします」って人も跡を絶たないと思ってる。
そして「ソフトウェア制作会社」と個人プログラマは住み分ける。
おそらくそういう世界になっていくんじゃないか。
「AIが出て来たからプログラマが消える」って事はないだろう。カメラが出て来ても画家が消えなかったように。
なんつーんだろな。
いや、どーでもエエ話、って言えばどーでもエエ話なんだけど。
このテの、例えば
「AIが台頭すればプログラミングの勉強は意味がないのでは」
とか言う意見。
いや、これって実際は意見じゃねーんだよ。
単に言いたい事ってのは、こういう発言する人って別にプログラマでも何でもないわけ。あるいは「プログラミング勉強してもプログラミングが分からないヤツ」っつーか。
例えばよ。絵を描く人がいるじゃん?そういう人に
「写真があるんだから絵なんて描くのは無駄じゃん?」
とか言うくらいに余計なお世話なんだよな(笑)。
いいじゃん、ほっとけよ、と(笑)。やりたいんだから、と。
なんつーんだろ、プログラミングやるヤツの全員が全員会社に勤める為にプログラミングしてるとか楽しくないのにプログラミングしてるとか。そういう仮定っつーの?
つまり、業務の為に苦行してる、って前提なのがおかしいんだよな(笑)。
え、んなヤツばっかなの?
いやよ、そもそもだぜ?「絵を描かないヤツ」にとっては「絵を完成させる事が苦行」なわけだよな?だからこう思うんだろ?「なんでカメラがあるのに絵を描くなんて苦行を行うんだろ?無駄だろ?」みてぇな。
そういう質問をするヤツは単に「絵を描く才能がない」んだよ。
一方、職業になるかならないか、以前にまずは単に「絵を描くと言う行為が好きな人」ってのがいるわけ。
当然だよな。
これは同様の文脈だ。「プログラミングをしないヤツ」は「プログラミングする事が苦行」なんだよ。あるいは勉強しても分からん、とか。それは「プログラミングの才能がない」ってだけの話なんだ。
だから「AIが〜」ってのは余計なお世話なの。世の中、就職に全然関係なく「プログラミング自体が楽しい」って人がいるわけ。ところが全員が全員そうじゃなくって、つまり「就職関係あるからプログラミングを学習する、って苦行を選択した」人が焦ってるだけの話であって、プログラミング「自体」が好きな人はAIが出てこようと何だろうと関係ねぇんだよな。
単に「楽しいから」やってるんでしょ。
それだけの話なんだ。
なんつーの、「自分の才能の無さを棚に上げて世を憂う」ような事を言う(っつーか見せかける)からこのテの話は「くだらない」とか思うんだよなぁ。
ホント、余計なお世話、としか言いようないし、先にも書いたけど、歴史的には、何らかの「新技術」が出てきても結果皆共存してんだよ。
だから何も心配してないんだ。
余談だけど。
数年前、「これからAIが出てくるんで作曲家はいなくなる」とか言う暴論があって(笑)。
その時も「別にAIが作曲してもエエんちゃうの?」って思ってた。
名曲が出来るかもしんない。出来ないかもしんない。でもそれって関係ないでしょ、とか冷めた事思ってたんだよね。
機械学習ってさ。「教師付き学習」とか「教師無し学習」ってのがあって。
例えば機械学習させる時「これはいい曲だ」とか教えるのが「教師付き学習」っつーんだけど。
でもよ。「これはいい曲だ」ってどうやって選定すんだ、っての(笑)。AIをプログラミングする側が「これはいい曲」だとか「これは悪い曲」だとか「選別する耳があるのか」ってな話で(笑)。音楽に付いてのクッソど素人が一体何を基準に「良し悪し」を教えられるんだ、ってーの(笑)。
じゃなきゃ他人が言ってる「クラシックの名曲だから」それを教えるとか?それって単に権威主義なんとちゃうんか、とか。
じゃなきゃ「教師無し学習」で、単純に「売れてる曲がいい曲だ」的な判断基準にならざるを得ないわけじゃん?それにせよ「そうか?」としか思ってないし。
後者のパターンだと、AKB48とかに曲を書かせるにはいいかもしんない。
いや、バカにしてるわけじゃなくって「売れセン」狙うなら間違ってないよな、と。どうせ誰も本気で「曲を」聴いてるワケじゃねーし(笑)。
いや、バカにしてないよ(笑)?単に俺が知ってるのは、中古レコード店で旬を過ぎたアイドルの旬を過ぎたヒット曲が山積みになっててやっすい値段で売られてるって事実だ(笑)。「一生抱えていなけりゃいけない名作」なんて滅多に出ない、ってのが結果事実であって、でも「売れてる曲」ってのは最後はそうなるって事なんだよ。
だからAIが曲を作る、って事には抵抗感ねぇんだわ。勝手にしたら?としか思ってない。そもそも人間でさえ大した曲を書けるヤツが少ないわけで(笑)、AIがそこに参戦しようと別に何が革新的にどーなる、ってワケじゃねぇ(※2)、って思ってるだけ、なんだ(笑)。
AIで判断出来る「良し悪し」なんざこの程度の「理屈」に過ぎない。
さて、プログラミングの場合、ちょっと違うのはこの辺だ。
誰もが「動いてるソフト」を使ってるだけであり、「どう書かれてるのか」には興味がない。
この辺だけはAIが有利、と言うより、「成果物の中身を基本誰も気にしない」と言う事は言えると思う。
つまり、人間が「華麗に」数行で書いてしまう事をAIの場合は数百行になる、って事は十分ありえるんだけど、その辺は「ソフトウェアの見た目」には全く反映されないわけだ。
だから業務関係無しに、「プログラミングが好きなヤツ」ってのは原則AIなんかに頼らないだろう(※3)。
しかし、「表面的な事」しか気にせん人はAIにプログラミングさせるようになるだろう。
ソースコードが華麗に書かれてようが、大量のスパゲティコードだろうが「動けば官軍」なんだ。
そういう性質が「ソフトウェア」にはある。
でもそういうのが悪いこと、とも思わん。
っつーかだな。
「自分に出来ない事を何らかに頼って成し遂げようと思う」ってのは別に悪い事とも思ってない。
例えばピアノを弾いてみたい、って言う人はそれなりにいるんだよな。ギターでもいいんだけど。
「やってみたい」って簡単には言う。ただし、「やれる」までには膨大な練習量とか必要なわけじゃん?音楽的なセンスも必要だし。
つまり、そういう「苦行」を行って技術を身につけられる人ってやっぱ限られるわけだよ。
あるいは野球とかでもエエや。「大谷みたいになれればな」とか言う人は結構いるだろ。ただ、本当に「大谷」になるには凄まじい「苦行」が背景にあるわけだ。苦行を行っても「才能が無ければ」結果無駄になる。開花せん。
そういう意味で言うと、やっぱり「プログラミングをしてみたい」って「言うだけの人」はそれなりにいるんだけど、実際「苦行を完逐」出来るヤツは結果あんまいねぇ、って事辺りまでは同じだ。しかしプログラミングは表面的には優しい。
「ピアノが上手い」とか「野球が上手い」とかは見りゃ分かる、っつーか「結果」は見たまんま、なんだけど、「出来たソフト」は見たまんまじゃない。キレイに書こうが、スパゲティコードになろうが「動けば良し」であり、誰も中身は気にしない。
と言う事は、「ソフトウェアのアイディア」をAIでそのまま実現する事は十分可能なわけだ。中身がどうなってようと構わないわけだから(※4)。
これにより「ソフトウェアを作りたい」けど「プログラミング自体はそんなに好きでない」人とか、「就職の為だけにプログラミングを嫌々学んでる」人は消え去るだろう。このテの人はAIを頼って「自分の為のソフトウェア」を作ろうとする筈だ。中身関係ねぇしな。
逆に言うと、少数のエキスパートやハッカー、あとは趣味グラマだけは残るだろう。そして「嫌々金の為にプログラミングと言う苦行を行う」人間は消え去る。考えようによっては「質の悪い」プログラマは消え去って、業界は健全化するだろう。
つまり、AIのお陰で業界が健全化する、と捉える事が出来る。才能が無いヤツがプロの画家になれないように、才能の無いプログラマはプログラマとして自活出来なくなるんだ。
と、結構僕自身は「AIによるプログラミング」自体を肯定的に捉えてるんだ。「プログラミング出来ないヤツ」がアイディアさえあればソフトを作る事が出来る、ってのが悪い事である筈がない。
また、「プログラミングが出来れば金になる」ってだけで「プログラミングが特に好きでもない」のにプログラミングを学ぼう、って人がいなくなる。教えて!gooで現れる「宿題丸投げ組」なんつー学生も消えるだろう。どう考えても連中よりAIの方がマシだし(笑)。
「金になる」って期待があるから「大してプログラミングに興味が無い」ヤツが集まってくるわけだよな。AIのお陰で「金にならない」となればこういった連中は消え去るわけだ。かつての「画家としては独り立ち出来ない」人が絵の描き方を学ぶ「苦行」から解放されたように。結果、コンピュータサイエンス学部は芸大みてぇに「ホントにプログラミングが好き」な人しか集まらなくなるだろう。
これを「良い事」と言わずして何と言うんだろう。
肯定的にならざるを得ない。
とまぁそれはさておいて、だ。
実は僕は大騒ぎされてる事は知ってはいたんだけど、全然興味がなくってChatGPTとか触った事無かったんだよな。
大体こういうのって一過性のブームなだけ、であって、適当に流してれば落ち着くだろう、としか思ってなかったんだ。
で、それはそれとして、星田さんのブログとか読んでて、例によって感心してたわけ。何か星田さんはChatGPTの使い方も上手いな、と。
星田さんの場合、ChatGPTを「検索の延長線上」として捉えていて、恐らく今考えうるChatGPTの「一番正しい」使い方をしてる。
つまり、自力でググったりする「検索エンジン使用」の延長線上にChatGPTにある、って考えてるみたいだ。
これには舌を巻いた。
なるほど、と。
例えばANSI Common Lispの場合、マクロに付いて書かれた専門書なんかも2冊くらい出てるし、そういうのを「探せ」ば、そこそこANSI Common Lispのマクロは書ける。「書ける」って事は当然それを使ってマクロを書く人が出てくるわけで、そうなるとWeb上に「情報」として存在し、検索して見つけるのも難しくはなくなる。
一方、同じLisp系言語でもSchemeの場合はマクロ関連書籍がない。つまり、Schemeに於いてのマクロの情報は、ぶっちゃけ「無いに等しい」。理論はどうあれ、「実例が圧倒的に乏しい」んだ。
結果、ANSI Common Lispに比べるとSchemeのマクロに関しての情報は、Web上には「全くと言って良い程」無い。
うん、無いんだ。
ここで星田さんはその「無いはずの情報」をChatGPTを使って「生成」させて学ぶ、って手法を使ってる。
これにはマジでビックリした。こんなにAIを「有効活用」してる人ってあんまいねぇんじゃなかろうか。
テレビなんかで観てる「ChatGPTに論文モドキを生成させて人間の論文と比較」なんつーアタマの悪い「例」よりよっぽど実践的だ。
やっぱ星田さんはアタマがいい。そして「検索の達人」だ。
んで、星田さんのChatGPTの「見事な使い方」を見て、遅ればせながらChatGPTを「試用」してみる事としたんだ。
なお、人工知能なり機械学習を学んだ事がある人は知ってるだろうが、このテの「人工知能」ってのは別に何らかの「意味」を理解してるわけじゃないんだ。
例えば例としてこんな事をやってみてる。
ChatGPTは当然「話の内容を理解してる」わけではない。いくつか小咄を入力してみたが、そもそも当然、「ChatGPT」は笑い話を理解せず、クソ真面目な「洒落の分からんヤツ」を相手に話してるようなカンジになる。「統計的人工無能」がChatGPTの正体ではある。
これ、ネット上で適当に見つけた「エロ小咄」をChatGPTに食わせて「理解してるかどうか」調べる実験だ。
見たら分かるだろ(笑)?ChatGPTは「話を理解してるわけじゃない」んだ。応答としては「とんでもない見当違い」しか出力しない(笑)。
もう一回繰り返すけど、ChatGPT及び「人工知能」は、テキストの中身の「意味」を汲み取ってるわけじゃないし、ある意味定型的な文章しか吐き出さない。
まずそういう「限界」を知ろう。
つまり、プログラムを生成させてもその「プログラム」の意味を知ってるわけじゃない。統計的に「一番あり得る」解を生成してるだけ、で、そもそもコンパイルを実際試したり、あるいはインタプリタ上で試してるわけでもない。
そして「統計的に一番あり得る」解を生成してる、って事は「凄腕のハッカーが書いたような」プログラムにはならない。何故なら「凄腕のハッカー」より「凡百のプログラマ」の方がこの世に多く、結果、「統計的に一番あり得る解」と言うのは「凡百のプログラマが書くような解になる」って事だ。
要は、仕組みからしてChatGPTは「美しいプログラムを」書きようがねぇんだ。そしてChatGPTは「美しさが何なのか」知らない。
ただし、ChatGPTの「使い方」として有効な事を見つけた。
自分が書いたプログラムにどっかバグがあって、デバッグがままならない場合、ChatGPTに「修正」させるのはアリだと思う。
Rustのコンパイラのデバッグ情報なんかはかなり優秀な「提案」をしてくれるトコまで来てるが、ChatGPTの「会話的」な提案は将来の強力な開発サポートツールになり得るポテンシャルを秘めてると思う(※5)。
これは本気で「プログラミングを学びたい」人には有用だろう。「自分で作ってみたけど上手く動かない」プログラムをChatGPTに食わせて「修正案を得る」ってのは、ネットでリファレンスマニュアルを検索して調べるよかかかる時間は減る。
もちろん「プログラミングに興味がない」「プログラミングが好きじゃない」人はChatGPTにプログラムそのものを書かせる事をするだろうが、当然そういう人は別に「プログラミングが上手くなりたい」とか「出来るようになりたい」わけじゃないんで、それはそれでいいと思う。大体、ChatGPTに「プログラムを作らせる」のは、教えて!gooで「宿題丸投げ」する連中と同じなんで、その行為でプログラミングが上達するわけがないんだ。当たり前だ。
あくまで、「自分が書いてみたプログラム」を修正する、って使い方をする時役立つだろう、って話だ。また無料の「家庭教師」的サービス、として捉える事も出来るだろう。
ただし、ハッキリ言っておくがChatGPTはかなりの確率で「間違える」(笑)。その辺はある意味人間に近いと言っていいだろう(笑)。先にも書いたが、そもそもChatGPTは「統計的に見て」あり得る解を述べてるだけで、生成したプログラムをコンパイルしたりして調べてるわけじゃない。よって「生成したプログラム」が上手く動かん事は重々あり得る話なんだ。
ANSI Common Lispのコードを書かせた例。実はこのChatGPTが作ったコードは全く「動かない」。他にも「無限ループするコード」なんかをヘーキで提案してきたりする。こういうカタチで、「統計的にあり得る解」を単に組み合わせただけの例を出してきたりするんで、ChatGPTは提示コードの「意味」が分かってるわけではない。
ただ、「動かないから訂正しろ」と言う要求を出すと、「健気にも」(笑)、一生懸命新しい解を構築しようとする。笑った(笑)。
あと、これはある程度言われてる事だが、ChatGPTには「意見」はない。しかしながら中立的な発言をしようと「頑張る」(笑)。これはクソなポリティカル・コレクトネスに従ったモノで、あんまり面白い反応を引き出す事が出来ない(※6)。正直言うと、この辺は「面白くない」っつーか気に入らんトコだ。
ChatGPTに「LispとRust、どっちを人に薦めるんだオラァ」と詰め寄った例(笑)。ChatGPTは「テンプレ解答」的なフォーマットを用意してるらしく、「無難な」文章を生成しようとする(笑)。
ChatGPTは「ポリティカル・コレクトネス」の回答テンプレを持ってるらしく、無難な解しか生成しない。
なお、ChatGPTはPythonによって書かれてる模様だ。
そしてさすがに「自己改造機能」は持ってないようだ。
よって映画「ターミネーター」の「スカイネット」みたいな事にはならんようだ(笑)。
良かったね!なのか残念なのか(笑)。
※1: 音楽制作会社は「楽器の自動演奏化」に興味があり、コンピュータの台頭により、スタジオでの制作で、要はスタジオミュージシャンを使わない事で人件費を削る事に関心があった。そうすればアルバム制作の「時間」が短縮して、安く音楽が作れて利益が上がるだろう、と。
そういう期待の中でシーケンサー(音楽制作専用コンピュータ)がパソコン登場とほぼ同時期に出て来たわけだが、皮肉な事に、音楽制作用のマルチトラックレコーダーのチャンネル数が24トラック->32トラック->48トラックと、シーケンサー登場とほぼ同時期に増えていき、また、シンセサイザーの発展と共に音響装置(エフェクターと呼ばれる)も複雑化/高機能化していき、むしろコンピュータ登場のお陰で「ミュージシャンが凝り始め」(笑)、余計人件費がかかるようになってしまった(笑)。
多分、「コンピュータの導入が必ずしも効率化を意味しない」と言う代表的な例じゃあるまいか。
日本製のRoland MC-8。世界初のシーケンサーってわけじゃないが、知名度が高く、Y.M.O.や、ライブでクラフトワークに用いられた「音楽専用」コンピュータだ。1980年前後だと100万円以上した高級機。8つの音(単音)を別々にコントロール出来た、って言われたら「ショボッ!」ってなるけど、当時は画期的ではあった。なお、CPUはIntelの8080で、メモリは最大で16kb程度。しかし、欧米ではMC-8が普及していくよりも早く、「パソコンで音楽を作る」体制の方が整っていき、アメリカではApple IIやApple Macintosh、ヨーロッパではATARI STの地位が「音楽用マシン」として確立していく。結局、小さなLCDを見ながらチマチマ打ち込んでいくより、パソコンのモニタの方が視認性が良かったから、だ。反面、日本は欧米に比べるとパソコンの普及が遅く、このテの「音楽専用コンピュータ」は90年代に入ってもある程度は現役だった。
※2: そのうち絶対出てくるが、「小説を書くAI」なんかも登場すると思う。
しかし、例えば「なろう」に登録したからと言って「面白い小説を書けるかどうか」ってのは全く別問題だ。AIの基本は「統計的に処理して」上位作品がどういう傾向にあるか、と言うのを分析するだけなんで、「それらを真似して」も面白くなるかどうか、ってのは別の話、となる。
そしてもっと言っちゃえば「人間だから」面白い作品を書けるわけじゃない(笑)。人間も「上位作品を真似して」「凡百の話を書く」のが大好きなわけで(笑)、結局起きるのは、AI作家が一個紛れ込んだくらいでも、結局、「凡百のなろう作家が一人増えただけ」で何も変わらんだろう、と思ってる。
ひょっとしたらAI作家は「面白い作品」を書くかもしんないが、それは単に「確率的に作れる可能性がある」って程度でそれ以上じゃないだろう。
ただし、AIが勝つ可能性があるとしたら、それは「超高速で駄作を何億と一気に」書ける能力で、「執筆作業量」では人間が敵わないだろう、って事だ。一人で数億作品も書ければ「当たる可能性」が必然的に出てくる、って事だ。
つまり、人間のAIに対する弱点は、「執筆作業が遅い」トコにある。
※3: 意外とプログラマは「自動生成されたコードを」信頼しない。
歴史的に見るとそうなんだ。
例えば何度か書いてるが、ゲームプログラマは元々、「ハードウェアの性能を全部搾り取る」ようなプログラムを書くのが好きだった。
結果彼らは機械語やアセンブリでプログラミングするのを好み、本当に「速いプログラムが良いプログラム」の世界でそれを地で行ってた。
コンパイラがあったにも関わらず、だ。
そう、彼らは「コンパイラが生成するアセンブリ」とか「コンパイラが生成するマシン語」と言うのを全く信用してなかった。「自分の方がより良いアセンブリ/機械語が書ける」と言う信念があり、事実そうだった。コンパイラが生成するアセンブリ/機械語は「冗長だ」ってのが当時の常識だったんだ。
結局彼らがその世界から追い出されるのはプレステ登場から、だったんだ。何故なら「オペレーティングシステム」ってのがゲーム機に登場したからだ。OSがある以上「ハードウェアの性能を極限まで使う」ような事が出来ず、OSが許す範囲でプログラムしなければならない。
結果、彼らは「アセンブリ/機械語」と言う戦場から撤退せざるを得なくなったわけ。
でもそういう「ハードウェア仕様の変化」が無かったら、彼らはいまだにアセンブリ/機械語でプログラミングするのを好んでたかもしんない。
※4: 亡くなった坂本龍一は、Y.M.O.結成時、「これからはコンピュータで音楽が出来るので、楽器が出来ない人でも音楽を作って演奏可能となる。それで今まで無かった面白い音楽が出てくるかもしれない」と楽観的な予想をしていた。
確かに、「楽器が出来なくても音楽が作れる」人はネット上で山ほど出て来たが、それが全部面白いかどうかと言うと・・・明らかに「プレイ」出来る人が作った方が面白いんだ(笑)。
つまり、「楽器が出来るから」音楽が作れるとは限らないんだけど、一方「楽器が出来ない」事が音楽に対してプラスに働く、ってこたぁ無かった、と言って良い。
反面、プログラミングの場合は「ソフトのアイディア」と「プログラミングが出来る/出来ない」ってのは全く関係ない、とは言える。
ゲームを見てれば良く分かる。「プログラミングが出来る」事と「ゲームを面白くするアイディアがある」ってのは実は全く別種の才能で、事実、「ゲームデザイナー」は今日では必ずしもプログラミングが出来る必要はない(PC黎明期には重複してたが)。
プログラミングはどっちかと言うと、音楽より文章を書く方に近いだろう。「日本語が出来る」事と「面白い小説が書ける」事は関係ないからだ。
※5: AIのこのテの「高級言語を用いたソースコード生成」は全く信用してないが、意外と今後有用じゃないか、って思ったのはむしろコンパイラ化なのかもしれない。
今までのコンパイラは言わばルールベースで「条件に従って」アセンブリなりマシン語に落としてて、「特殊なケースの場合」最適化する、と言うような仕組みだったんだけど、この「最適化」をひょっとしたらAIなら上手く成し得るかもしれないな、とか思った。
※6: 過去、TwitterでのMicrosoftの実験だったと記憶してるが、AIを使ったアカウントがあった。ところが、悪い奴らが集まってきて(笑)、そのAIを使ったアカウントは「差別的発言を繰り返す」トンデモアカウントに育ってしまい(笑)、Microsoftが早々に引退させた、と言う事件があった(笑)。
このように、「教師付き」学習の場合、AIはとんでもない学習をしてしまう事があり得る。