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Retro-gaming and so on

The Amityville Horror

またこのブログを読んでたんですが。

オリジナルも、観なくてはっ!!

と言うわけでこちらで勝手に観てました(爆

とは言っても、実は僕の世代だとこの映画は有名だとは思う。
っつーのも、良く昔、テレビで流れてたのだ。NTVの水曜ロードショーとかフジのゴールデン洋画劇場、はたまた深夜の良く分からんテレビ東京系の番組で一回とならず放映されてる、ある意味お馴染みのホラー映画だったのである。

余談だけど、80年代くらいまではテレビで映画はもっと良く流れてたモンだったのだ。今みたいに「暇あればジブリ」、とかやってたわけではない。
いや、それにしたって元々NTVに責があるわけでもない。
元々、80年代くらいまでは、映画の価値は「映画館ロードショウが終われば」ゴミ同然だったんだわ。つまり、元々は何億かけて映画を撮ろうと、ある期間中に制作費を回収出来てなおかつ売上を上げられなければ「失敗作」になる、って言う結構一発勝負の商品だったんだわ。
だからテレビ局で「再利用」してくれる、とあれば映画会社も小額で放映させてもいい、ってくらい太っ腹で良かったわけ。
ところがだな。80年代にアメリカでもビデオデッキが普及してレンタルビデオ店、って存在も普及する。そうなると「ソフトウェアビジネス」ってのが成り立つようになるわけ。そこで初めて、「ロードショウが終わった映画」でも映画会社にとっては「二次使用が出来る」マテリアルとなり、存在意義が変わってきたわけだな。
従って、それの煽りを日本のテレビ放送会社も受けるわけ。かつては二束三文で映画のテレビ放映を「買えた」わけだけど、ハリウッドの映画会社が「ロードショウ公開が終わった」映画の二次利用を積極的に推し進めると、結果テレビ放送会社で「放映」する映画の使用料が跳ね上がるようになる。とてもじゃないけど、映画番組として毎週毎週「莫大な使用料」を払うわけにもいかんっしょ。
そして、結果としてハリウッド映画を毎週簡単に放送するわけにはいかなくなった。だとすれば、映画コンテンツを簡単に押さえるにはどうすりゃエエんか。答えは「出資者になれば良い」と。
それで例えば日テレも映画製作に乗り出し、ジブリに出資し、何か暇あればジブリのアニメを流す状態にしていった。まぁ、結果、「そうせざるを得なくなった」って言い方が出来るよな。世知辛い世の中である(笑)。
要するに「権利料」の問題が今の世の中デカいわけだ。

ラノベもマンガもアニメも相変わらず「面白いヤツは面白い」たぁ言えるんだけど、同時に殆どの作品は「面白いとは言えない」と思ってる。結局書く方も支持する方も「面白い作品を知らないんじゃないか」と思えるわけだけど。
でも良く考えてみれば、僕の世代なんかは、こうやって映画館行ってお金払わんでも「面白い作品」に出会える環境が整ってたんだよな。例えば「わざわざ映画館に足を運ぶ」って事をしなくても(そもそも余程の話題作でもなければ「映画館に足を運ぶ」のはフツーの人にとっては苦痛なのである)「面白い作品」は向こうからやってきた。だから「元々興味がなかった」ような映画タイトルでも「強制的に」観るハメになってたわけ。そこで「面白い」って事に目覚めるわけだ。
これは物凄く貴重な経験だったんだよな、って今になって思う。
翻っていうと、今って「正論だけ」の世の中でしょ?映画は金を払って観るべきだ。マンガは金を払って買うべきだ、とか。
僕らの世代ってマンガに必ず金を払ってきたわけじゃないんだよ。いや、漫画村じゃなくってな。そうじゃなくって本屋が漫画の立ち読みを許してたんだ。当然商売としては商品を確認してから買ってもらうってのは当たり前なわけ。今のように漫画だけは立ち読みを許さず、ビニールに入れて販売って逆に商売から言うとおかしいだろ、って話なんだ。
だから僕らはぶっちゃけ、買った漫画以上に漫画の知識があったわけ。まず立ち読みしてたし、クラスメートから漫画の貸し借りもしてた。それが当たり前だったの。
今だと、Kindleで漫画買っても友人と貸し借り出来るの?出来ないと思うんだけど。それは消費者単位で考えると「売上があがる」だろうな。正論通りで。
ただ、それ以上「その作品を知ろうと」する人を減らすとは思うんだよな。結果全体的には質も下がるし購買者総数も必ずしも増えるたぁ限らんだろ、って話になる。
事実、90年代半ば過ぎると「漫画の売り上げが減ってきた」と言われた。で誰も相関関係語ってた事無かったと思うんだが、ハッキリ言えば「本屋で漫画の立ち読みが出来なくなったから」売り上げが減っただけ、だと思う。簡単だ。
だって「立ち読みが出来ない」 = 「面白い漫画を知る機会が無くなった」って事だからだ。そりゃあ潜在的な読者数は減るわな。僕らは立ち読みしてたけど、その時点での「一番のオキニ」は確実に買ってた、からだ。今の若い消費者はそういう経験してないだろ。
で、著作権厨とかはそういう現象を知らんのだ。言うのはただ、「商品を読むには正規の金額を」と。で、そう言う人は逆に業界の首を締めている。そもそも、生活必需品じゃない以上、「正論を振り回す」相手に対しては単に「買わなエエ」って簡単な選択肢が結論になるんだよ。漫画読めねぇから、って死なねぇしな。
いずれにせよ、今は多くの作家志望なり、読者/視聴者層は「面白い作品を知る機会も無く」それを「作る/読む/観る」をしないとアカンくなっている。そしていつも「自分好みの」モノしか知りようがない。だって「正規で金を払う」とそれしか買いたくねーだろ、どうしても。当たり前だわ。
だから、昔みたいに、ある意味、「興味がなくても」観ざるを得なく、観たら面白かった、そして学べた、って経験が限りなく0になってるんだよな(※1)。
だから駄作でも喜ぶし、テンプレ使った作品が多いんだろな、ってのはしょーがねぇ、って言えばしょーがねぇんだわ。自覚的に観てもアニメくらいしか観てねぇんだろうし。
そうして感受性は失われてきたのである。多分。

とまぁ、往年の状況を話してみて。
閑話休題。
いずれにせよ、僕の記憶ではThe Amityville Horror、邦題「悪魔の棲む家」は映画館でやってました、って記憶はない。
しかし往年のテレビの映画番組、では何度も放映された記憶がある、ある意味「お馴染みの」作品だ。

ところで、原題のThe Amityville Horrorと言うのは、日本語で言うと感覚的には「アミティ村の怪談」「アミティ村の怪異」「アミティ村奇譚」っぽいタイトルだ。villeと言うのはラテン/フランス語由来の接尾辞で、元々は「村」を表す・・・village(村)の語源だな。
まぁ、どっちにしても、原題「アミティ村の怪談」なら「どんな怪談なんだろ?」ってワクワクするだろうが、邦題はズバリ「悪魔の棲む家」なんで、怖いタイトルではあるが、ハッキリ言って出オチである(爆 
もう、邦題がオチ言っちゃってやんの、っつー裏切りである(笑)。

んで、大まかなストーリーの軸としては、日本っぽく言うと

  • 事故物件買っちまったんだけど、結果買わな良かった

と言う話なのだ(笑)。
別に事故物件を隠されて購入したわけではない。事故物件だと分かってて購入した夫婦の話である。どうして事故物件なのに買ったのか、と訊かれれば破格の安さだったから、と言う背に腹を変えられない理由なのだ。

この映画が示した多分今まで見られなかったコンセプトに次の二つがある。

  1. 家憑きの悪魔、と言うコンセプト
  2. 幼い女児は超自然的センスがある。
1番はこの映画で始まって広く知られたコンセプトである。
例えば日本のホラー映画、呪怨が、ハリウッドに受け入れられヒットした、と言う最大の理由は、「悪魔の棲む家」及びそのシリーズのお陰で、アメリカの大衆にも「悪魔憑きの家」とか「悪霊憑きの家」と言うコンセプトが至極分かりやすいものとなってた、と言う事が掲げられるだろう。
2番は僕が知ってる限り、この映画の後、良く使い回されるようになったコンセプトだと思う。例えば映画ポルターガイストなんかでも一家の一番幼い娘だけが幽霊と「交信」出来ていた。
こういう風に、作劇上、「巫女」の役割を果たすのは「幼女である」と言うのは、多分この映画登場後に良く使われるパターンになったのでは。

さて、ストーリー。


1974年11月13日。ニューヨーク州ロングアイランドのアミティ村で長男に両親と長男以外の4名の妹弟が銃殺される、と言う事件が起こる。
事件が起きたのは午前3:15。この時間がこの映画でのある意味キーになる。

ちなみに、実のこと言うとこの映画では、人死にシーンはここだけ、なのだ。
これ以外だと「不気味な事は起こる」が誰一人として死なない。
要するにホラーに見せかけてるが実はそんなに怖くない映画、である。

その一年後。


とある若夫婦が件の家(つまり事故物件だな)を不動産屋に率いられ観に来る。

旦那はコイツ。


昨今ハリウッドでも観られないカンジのキャラである。なんせ顔面全部毛って印象しかない(笑)。主人公がこういうキャラ像って80年代後半辺りで死滅してたよな〜。
いずれにせよ、主役夫婦の夫の方、ジョージ・ラッツである。

嫁さんがこの人。


キャシー・ラッツ。美人である。
余談だけど、70年代くらいまでのハリウッド女優の方が、個人的には美人が多かったように思う。この年代を過ぎると「個性派」ってのが増えていって、正統派の美人が少なくなってくんだよな〜。と言う個人的な印象。

いずれにせよ、この「事故物件」はボート小屋付きの離れ付きの、ってぇんでそこそこ広い敷地、って事もあって子供が3人いる新婚夫婦には魅力的な物件だったのだ。
何故新婚なのに子供が3人もいるのか、っつーとそれらはキャシーの連れ子である。つまり、ジョージが初婚だとしてもキャシーはそうではない、と言う事か、あるいはアバズレだったのか(笑)。
ま、処女厨だったら怒りまくる設定だろう(笑)。ラノベじゃ決して手が出せない設定だろうな(笑)。
こちとら、キャシーは美人だからしょーがねぇ、としか言いようがない。
そう、美人はヤラれててもしょーがないのだ(もっと言うと、不思議な事に、基本的に顔面偏差値が低ければ低い程男性関係がだらしない、と言う反比例関係の方がむしろ強い)。


不動産屋のおばちゃん。
別にこの夫婦を騙そうとしてるわけでなく、むしろ事故物件だと言う事は丁寧に説明してた模様。
でも一応商売なんで、その事故物件の「良いトコロ」はキチンとアピールする。仕事だからな。

さて、この事故物件。値段は80,000ドルである。現在の円で言うと1千万円しないわけだよ。ジョージの見立てによると、120,000ドル、つまり一千四百万円くらいの価値はあるだろうと。
そんなわけで(止めときゃいいのに)この夫婦はこの「事故物件」を購入しちまうわけだ。



さて一ヶ月後。ラッツ一家はこの家に引っ越してくる。
が。
引越し祝いにやってきた、妻、キャシーの長年の知り合いであるデラニー神父が、誰もいない家の「部屋」に閉じ込められ、蝿にたかられ、攻撃を受ける(スタンド攻撃・笑?)。


ちなみにデラニー神父が大変な目に合ってる間、ラッツ一家は裏手のボート小屋からボートを出して遊んでいたのだ(笑)。



まぁ、この辺の「蝿にたかられる」演技とか大変だよなぁ。



そしてその後、「出ていけ」と謎の声を聞くデラニー神父。
その声を聞いて神父は命からがら、その家から逃げ出すのである・・・・・・。
とは言ってもホント言えば矛盾がある。家が「出ていけ」と言うのなら最初から部屋に閉じ込めなければいいのである(笑)。何でやねん、と。
そんな力があるなら神父をそもそも家に入れる必要がない。

実の事言うと、この辺の「神父関連のエピソード」と言うのは、ホラー映画の金字塔、「エクソシスト」の影響で入れただけ、らしい。
だからこのデラニー神父もエクソシストの主役であるカラス神父のように「精神療法士」の資格を持っている。
で、ある意味この神父関係のエピソードって他の映画の影響が垣間見れるだけの蛇足って言えば蛇足のようだ。だから僕は観てないんだけどgonfuku923 さんが観た2005年のリメイク版だと神父関係のエピソードはバッサリと無くなってるらしい。
多分その決定は正しいのである。

さて、危険を感じたデラニー神父。キャシーにその家の「危険性」を伝えようと試みるがそもそも電話が通じない。


そしてキャシーは家の呪いのせいで、アメリカ人の癖にツインテールにする、と言う奇行に走っていた(謎


ごめん、上の嘘(笑)。
別にアメリカ女性でもツインテールにしたってイイじゃない。
・・・・・・萌えるか萌えないかは置いておくが(笑)。

いずれにせよ、家の「力」によって電話が通じなくなってるわけだ。
そして電話を続けようとするデラニー神父は受話器を持った手がまるで「やけど」のようになるのである。


さて、一方。
「デラニー神父からの電話だとは全く思わなかった」キャシー。
相変わらず家の呪いのせいでアメリカ人の癖にツインテールにしてるが。


夫のジョージは家の「異様な寒さ」を訴えかける。


曰く、


「72度ある、って言ってるけど32度にしか感じられない」

と。
うん、華氏だからな、我々日本人にはピンと来ない(笑)。
華氏72度は摂氏だと22度くらい。華氏32度は摂氏0度だ。
要するにジョージは体感温度0度くらいの寒さに凍えてるわけだ。

キャシーは「地下室から寒さが上がって来てるんじゃない?」と言い、ジョージはそうなのか見に行く。不穏な雰囲気を感じてるトコに義理の息子、マットが地下室に入ろうとして、しかも階段から転落してしまう。


取り敢えず義理の息子のマットに怪我は無かった。
ジョージは地下室の調査を明日に回し、マットと共に地下室を出る。

さて深夜。
嫁のキャシーは独りバレェ体操なんかしてるが。




このキャシー、美人なだけじゃなくって、結構ムッチリした良いケツをしてると思う。
白いパンティ丸出しで、ってのが何とも70年代の映画ならではの「サービスシーン」だよな(笑)。
ちなみに、キャシーを演じてるこの女優、マーゴット・キダーだが、見覚えがある人もいるかもしんない。昔の初代スーパーマンの映画から暫く、ヒロインのロイス・レインを演じてた女優さんなのだ。


つまり、70年代の「正統派ヒロインを演じられるだけの」別嬪さん、と言うほぼ最後の女優なのである。

そして、悪魔の棲む家に戻るが、


この乳を見よどう見ても美乳としか思えない乳のカーブが伺える
この映画、残念ながら乳首ポロリシーンはないのだが、美人女優で美乳であるとか、当時のハリウッドはどんだけ敷居が高かったのか、と良く分かるシーンである。単なる美人じゃダメなのだ。美人でかつ美乳じゃないと主役クラスは射止められないのだ。
さて、この後、ホラー映画に不必要と思われるジョージとキャシーのベッドシーンが展開されるのだがさしてエロくはない。
重要なのは、二人が愛し合ってるのを娘に邪魔されるのだ。
娘は「ここは嫌だ。家に帰りたい。」と泣くが、もう既に新居としてこの家を購入済みである。残念!


さて、深夜の3:15。唐突にジョージは目覚める。



どうにも眠れなく、ボート小屋を見に行ったりダイニングでタバコを吸うが落ち着かない。挙げ句の果てに窓の外にいた黒猫に喧嘩を売られる始末である。


なかなか名演技の猫である(謎

さて、新居に移ってから4日目。


ジョージは異様に斧に執着するようになる。薪を割り過ぎになってるのだ。


しかし問題は、だ。引っ越してから4日目なのにこんなに荷物が片付いてない状態なのである(笑)。


うん?この夫婦だらしねぇんじゃね?とかマトモな人なら思うだろ(日本人の感覚なのか?笑)。
唯一の救いは嫁がやたら可愛い服を着てる辺りだ。ズルい(謎。
この映画観ていくと分かるんだけど、一向にこの家、片付かないんだよな。
意外とそれが原因で家が怒ってたりして(笑)。

さて、そんな中、今度は教会から知り合いのシスターが引越し祝いの鉢植えを持ってやってくる。


しかし、その頃、ラッツ家の中では「何故か」水道管やらトイレから真っ黒い汚水が出てきて大変な事になっていた。


そして、家の中に入ったシスターは「例によって」この家の「異常な雰囲気」にやられ、早々と立ち去る。



「吐くほど酷い」わけだ。


5日目の夜。


例によってジョージは寒い寒い、とガンガンと暖炉に薪をくべる。
そして嫁のキャシーの生脚が素晴らしい(謎
ジョージは嫁の生脚に誘われて寝るのだが(違)、例によって深夜の3:15分。
今度はキャシーが悪夢で飛び起きてしまう。



6日目。デラニー神父はその同僚、ボーレン神父を伴って、ラッツ一家に「危険を知らせに」行こうとする。



しかし、車はハンドルが利かなくなり、ボンネットが跳ね起きて、看板に激突してしまう。


とは言っても、この二人共結果死なないんだけどな。

さてその頃。
キャシーの弟が結婚式を挙げる、っつーんで、ラッツ家を訪ねるのだが。


結婚式のケータリング費用、1,500ドル(約17万円)をタキシードのポケットにしまってた筈なのに何故かこの家で消失してしまう。
結果、取り敢えずジョージが手形で立て替える事とする。

相変わらず「寒い寒い」とジョージ。妻のキャシーはインフルエンザかも?とボケ倒している。なんせ、結婚式には一家総出で参加すべきだが、娘のエイミーも(実は仮病なんだけど)インフルエンザと言う事で式に出るのを見合わせている。
そして最初に家を怖がってたエイミーだが、実はこの時点で「家憑きの何か」をジョディーと呼び、かなり仲良くなってるのだ。
ちなみにこの夜、エイミーの面倒を見るために雇われたベビーシッターだが。


何か顔にハメている(笑)。すげぇだろ(笑)?
いや、知ってる人は知ってるだろうけど、あまり日本じゃ見かけない「歯の矯正具」である。向こうのティーンって社会デビューする前に「芸能人は歯が命」ばりに矯正具付けてるヤツが結構多いわけだよ。
従って、ベビーシッターも割の良いティーンズのバイトの為、この時代だと(80年代だとめっきり出てこなくなるが)こういう「歯の矯正器具」も「青春時代」の象徴になるわけだ。

さて、このベビーシッター、マジメで、「インフルエンザで結婚式に出られない」エミーに対して、キャシーの言いつけどおりさっさと寝かしつけようとする。



しかしそのため、「家の」、つまりエイミーが呼ぶ「ジョディ」の不興を買ってしまう。
結果彼女はクローゼットに閉じ込められ、エイミー以外が帰ってくるまでそこから出られなくなるのであった。




ジョージの調子が悪いこと、ケータリングサービスの社長が「現金をとにかく要求」してきた為、手形決済を承諾させるのにトラブルがあった、と言う事でラッツ一家は早々家に帰ってくる事になる。
しかし、帰ってきた一家はクローゼットに閉じ込められたジャッキー(バイト少女)の叫び声を聞く事になり、彼女を助ける事になる。


しかし不思議な事に、クローゼットには鍵がかかってなかった。
ジョージが中に入って扉を閉めるも簡単に出てこれたのである。

エイミーは「何故ドアを開けてあげなかったの?」と問い詰められるがこう答える。


「ジョディがするな、って」

そして後にエイミーはこうも言う。

「ジョディはジョージも嫌いだって」と。


8日目。
自動車事故を起こしたデラニー神父は、そもそも「件の家」で殺人事件が起きた時に、殺人者が「家の声を聞いて行った」と言うのを信用するようになっていた。何故なら彼もその「声」を聞いたからだ。
そこで、彼の勤める教会で、このラッツ一家に危険を知らせる警告と、一種の悪魔祓いを行うべきだ、と上司に懇願する。


しかしその案は上司に却下され、「休め」と言われるに留まる。

なお、この上司の神父役やってる役者をご存知の人はいるだろうか。マーレイ・ハミルトン、って役者なんだが、スピルバーグの映画「ジョーズ」でホオジロザメに襲われる観光地、アミティ町の町長を演じてた役者さんだ。



僕の印象だと、大体「良い案」を出された時に「否定する」役を演じる人になっている(笑)。
ジョーズでは「ホオジロザメがいる」なら「海水浴を禁止する」と言う案を却下して余計事件が酷くなり、ここでも「エクソシズム」をする事を却下したために話がややこしくなる。
要は「話をややこしくする役」ならこの人だ、って事だな(笑)。
しかも完全に悪人、ってわけでもないのである。そういう役をやらせたらある意味絶妙に上手い役者だ。
悪意が無く物事を混乱させる人、がハマり役だな。


さて11日目。
今度はジョージのビジネスパートナーが嫁さんを引き連れてやってくる。


しかし、この嫁さん、どうも「霊感」があるらしく、ラッツ一家が住むこの家を見ただけで

「これ以上は行けない。私は車で待っている。」

と家に近づく事を拒否する。

そして妹のエミーをからかおうとした兄、が「ジョディ」の報復に会う。





幸い骨折は起きなかったが「家の異常な状況」を遅遅とキャシーは理解し始めていく・・・・・・。

とまぁ、この辺までで、この映画も2時間に満たないのだが、半分の1時間を過ぎた辺りである。
あとは実際自分の目で、映画のオチを堪能して頂きたい・・・まぁ、ある意味しょーもないオチなんだけどな。
繰り返すけど、別に死人が出るわけでもないんで、怖くない、っつったら大して怖くない映画ではあるのだ。

※1: ホント、個人的には往年の金曜ロードショー/水曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場、ありがとう、である。
毎週毎週強制的に「面白い映画」を紹介してくれた為、自然と審美眼は鍛えられたように思う。
これも、「興味がないタイトル」だろうとある意味強制的に「観劇せなアカン」と言う経験を得たお陰だと思う。
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