見出し画像

Retro-gaming and so on

ダイ・ハード0?

このブログを読んでたんですが。
そっか〜。クリスマスと言えばダイ・ハードか、と。

いや、実はこの映画、僕のフェイバリットのウチの一つである。
もう何十回と観てる。
タワーリングインフェルノみたいに何を差し置いても一位、ってワケじゃないけど、好きな映画を10本挙げろ、って言われれば間違いなくその10本の中に入る映画だ。
いつか書きたいな、とは思ってたんだが、かと言って、好き過ぎてなかなかパッと書けない映画でもあるんだ。
こういうのってチャンスがねぇと書きづらいんだよなぁ。ある意味誰でも好きな映画だろうし。割にそのまま書けば「当たり前」の感想しか出てこなくなって、陳腐になっちゃうのを畏れていたんだ。

ところで、映画ファンにはある程度知られた話だとは思うんだけど。
実は「ダイ・ハード」と言う映画は「続編だ」と言う話は知ってるだろうか。

「え?ナンバリング付いてないのに続編なの?」

と驚く人がそれなりにいる事を願ってこの記事を書く。
うん、実はこの映画、続編なんだ。
ちと説明していこう。

ダイ・ハード、って映画は映画オリジナルのストーリーではなくって、実はキチンとした原作小説がある。
著者はロデリック・ソープと言う人。この人が書いたNothing Lasts Foreverと言う小説が原作だ。
んで、その小説の主人公がジョー・リーランドと言う人で、これが映画「ダイ・ハード」ではジョン・マクレーンと改名される(設定も改変されている)。
んで、このジョー・リーランドが登場する小説の前作がThe Detective(1966)と言う小説で、実はこれも20世紀フォックスで映画化されている。
20世紀フォックスはThe Detectiveの映画化権を入手して1968年に映画化するわけだが、その際にロデリック・ソープに

「もし、この小説の続編を書く予定なら、20世紀フォックスに映画化権を売って欲しい。」

と交渉し、「まだ書かれてない小説」の映画化権も纏めて購入しちまうんだな。
しかし、ロデリック・ソープは続編の小説を1979年まで発表しなかったわけだ。そして、1979年に小説、Nothing Lasts Foreverが発表されたと同時に、20世紀フォックスに自動的に映画化権がもたらされる。
そしてその映画化、ダイ・ハードが1988年に誕生する。要するに前作の映画、The Detectiveからの20年ぶりの続編、がダイ・ハードってわけ。

The Detectiveでは何と、往年の名歌手、フランク・シナトラが主人公ジョー・リーランドを演じてるわけなんだけど、実際20世紀フォックスは、ダイ・ハードの映画化の際にフランク・シナトラに主演を打診したらしい。
しかしながら、当のシナトラは既に70代に入ってて「さすがに無理だろ」と言うのでこのオファーを断るわけだ。ダイ・ハードの原作だと、主人公、ジョー・リーランドは退職警官の民間人の爺さんなんで、別に悪いオファーではなかったんだけどね。
まぁ、それで巡り巡ってブルース・ウィリスが役を最終的に引き受け、「NYPDの若手の刑事」ジョン・マクレーンになった、というわけだ。

と言うわけで、今回はこの、「ダイ・ハード0」と言っても良い、フランク・シナトラのThe Detectiveをちょっと観ていってみようと思う。・・・が、かなりダイ・ハードとはテイストが違う。製作年代の差もあるんだけど、こっちは恐らく(未読なんだけど)原作小説にかなり忠実に作られてると思うんだよな・・・・・・。
と言うのも、僕もダイ・ハードの原作を読んだ事があるんだけど、テイストはThe Detectiveの映画に近いんだよ。ぶっちゃけて言うとかなりかったるい(笑)。純粋なアクションを期待して読むと肩透かしを喰らう事間違いなし、だ。
と言うのも、実の事言うと、映画「ダイ・ハード」はある意味物凄く原作小説に忠実に作られてはいるんだ。いるんだが、小説だととにかく「回想シーン」が多いのね。これがテンポの悪さに繋がっていて(笑)、映画ではその辺をバッサリ斬り落としている
結局監督のマクティアナンの手腕が光るのは、原作小説のアクション部分をなるたけ忠実にはなぞるんだけど、余計な回想シーンを全面カットした辺りなんだ。そのお陰で純粋なアクション映画として再構築する事に性交成功したわけ。
一方、The Detectiveはマジで多分忠実に小説世界を再現してんだよな。しかも、あけすけに言うと、事件自体は大して面白くないんだ(笑)。なんつーの、日本で言うと火曜サスペンス劇場レベル以下である(笑)。
ダイ・ハード、と言えばテロリスト的な奴らと闘うシリーズって印象だけど、The Detectiveは違うのだ。ある意味ふっつーの刑事モノだ。
1968年にはそれなりに衝撃的内容ではあったみたいだが。

まぁ、若い人はフランク・シナトラ自体を知らんかもしれんので、フランク・シナトラのジョー・リーランドを取り敢えず紹介しよう。


これがダイ・ハードではこうなるわけだ。


ついでに奥さん。
フランク・シナトラ版では彼女。


ダイ・ハードではこうなる。


ちなみに、フランク・シナトラ版だと、奥さんは一種セックス依存症で、とにかく男性からのアプローチを受けないと自我を保てない、と言う精神的な病を患っている。しかし、旦那を愛してるのは間違いなく、それが逆に主人公、ジョー・リーランドを苦しめる。
そしてそれがリーランド夫婦が「別居する」理由になってるわけだ(しかし両者共にNYに住んでいる)。
一方、映画ダイ・ハードでは妻のホリーは、出世志向が強い女性で、旦那がNYPDに勤めてるのに自ら幼い娘を引き連れてLAに移り住む、と設定が変わっている。
これは原作では、ジョー・リーランドがLAを訪ねる理由はあくまでLAの会社に勤める娘に会うため、なのだ。この辺は設定がやっぱり改変されてるんだな。

なおジョー・リーランドの嫁は貧乳である(謎


アメリカ人のクセに貧乳とは、と怒髪天を衝いている(偏見

さて。
映画「The Detective」はポコチン切り落とし殺人事件、で幕を開ける(爆
いや、マジで(笑)。阿部定であり愛のコリーダである(謎

そしてこの素敵なショットを観よ(笑)。





角度的に局部が必ず隠れてる、とかまるで今の時代の日本の深夜アニメを彷彿とする演出である(爆
ぶっちゃけ、この構図で爆笑してて(笑)、腹抱えて笑ってたわwwwwww
謎光線が出てたらひきつけ起こして死んでたかもしれん(爆

さて。唐突にジョー・リーランドの性格に付いて話しておく。
親も祖父も警官だから警官になった、と言う男。ナイーブで正義漢である。
ジョン・マクレーンをイメージすると肩透かしを喰らうかもしれない。だから拳銃もそうそうぶっ放さない・・・・・・まぁ、NY市内で毎度あの調子だったら大変だ、って事もあるが。
だから、NYPD内での「容疑者に暴力を振るいながら捜査」と言う現状を苦々しく思っている。・・・・・・っつーか60年代のアメリカの警察ってこんなに酷かったのか(笑)?マジで?と呆れる事請け合いである。
ま、アメリカだからな(謎

さて、被害者が住んでるアパートの上の階の女性の証言により、被害者はゲイである事が判明し、1週間前から同居を始めた謎の男、が容疑者として浮上する。


んで、その男を探すわけだが、その辺はハッキリ言ってどうでもいい。
途中で妻との出会いを思い出したり、と言う余計な回想が挿入されるんで、映画のテンポは非常に悪いのだ。
重要なのは、この事件を48時間以内に解決出来れば警部に昇進させてやる、と上司に言われた事、である。
結果、ジョーは容疑者を逮捕し、彼の自白を成功させる。


しかし、同時に、ジョーはこの男が精神錯乱気味である事も見抜いてはいた。
(まぁ誰でも分かるが)



そしてこの容疑者はそのまま電気椅子送りになって、ジョーは無事、警部へと昇進するのである。


さて、ところ変わってアメリカのとある競馬場で。


どーでもいいが、アメリカの競馬では芝がない。
全部ダート競馬である。
日本で言うと、全部地方競馬並である。

閑話休題。

話が逸れたが、競馬場スタンドの屋上からの投身自殺事件が起きた。


ある日、ジョーは勤務先でとある女性の訪問を受ける。


彼女は投身自殺をした男性の妻でノーマ・マキーバと名乗る。
競馬場で死んだから牧場の関係者でマキーバなのか、と思ったが全然関係なかった(爆
彼女は、夫は自殺するようなタマではない、のにそれを捜査側に言っても「自殺」として処理されてしまった、と言う。
そして証拠品として提出した夫のノートはページが破り捨てられて返却された、と。
この捜査はおかしい、と。
私立探偵二人くらいに捜査を依頼したが、それも頓挫してしまう(二人とも途中で捜査継続を止めてしまうのだ)。
そこでテレビ局のニュースで良く流されていた「敏腕刑事」のリーランドを頼ろうと思って、ここに来たのだ、と言う。
リーランドは彼女の話を聞き、密かにこの事件の再捜査を始めるのだ・・・・・・。

と、この映画は二時間に満たないわけだが、この辺までで約半分の一時間を過ぎている。
んで、この女性、ノーマの「自殺した」夫、会計士のコリン・マキーバの謎にせまる・・・と言えば聞こえがイイが、実の事を言うと大した話ではない。
途中で警察の腐敗を匂わせたり、コリンが遺していた謎のキーワード「Rainbow」に付いて調べ、どうやらそれがNY市の元市長や市議会員、妻のカレンを診ている精神科医を含む金銭授与を目的とした裏組織を意味するらしい・・・と大風呂敷を広げて行くが、オチは単に、この夫、コリンが実は冒頭のポコチン切り落とし殺人事件の真犯人だった、と言うことである。
つまり、コリンは妻に隠していたが実はゲイで、ゲイ経験も二回ほどある、と。
昨今NYでは若い連中の間ではゲイが増え、路上で見かける事が多くなってきた、と。それがこのコリンの「隠していた」性衝動を刺激したわけだな。
それで、「是非とももう一度だけゲイ行為を味わいたい」と、ゲイが集う盛り場に赴く。そこで声を掛けてきたのがポコチン切り落とし殺人事件の被害者、だったわけだ。要するにナンパだわ。
コリンは結果、この男の誘いにのってノコノコと男が住むアパートへ向かう。
しかし、そこで男に口説かれるわけだが。

「最初見た時に分かったよ。君はゲイだって。」

と言われた事を恥辱に感じ、男に暴力をふるってしまうわけだ。
男は「警察に電話するぞ!」と怒り出し、電話器を取ろうとしたトコを灰皿で殴打。頭蓋骨が陥没する程殴りつけ、男を殺してしまう、と言う・・・・・。



なんだそれ、と思わず言ってしまう殺人動機である。
コリンはそして、男の死体から指数本とチンコを切り取り逃亡するわけだが(なにやっとんねん・笑)、彼の逃走は結果性交もとい成功するわけだな。
しかし、そのせいで、男の同居人が捕まり、その同居人は結果電気椅子に送られ、その事をニュースで知った結果コリンは二人も命を奪ってしまった、と言う自責の念にかられるわけだ。
そう、結局自殺自殺だったのだ。NY市を覆う巨悪の陰NYPDを蝕む汚職もクソも関係が無かった、って事だよな。

なーんやそれである。

結局、リーランドに残されるのは容疑者誤認逮捕による容疑者死刑確定、それに伴う昇進に関する自責だけ、って話なのである。

結果、ジョーは誤認逮捕を発表し、警察を退職する。オシマイ。

いやな、結局どういう事か、と言うと、60年代でのゲイに対する扱いモロモロに対する部分だけがセンセーショナルだった話、ってだけであり、2021年現代の我々から観るとワケワカメな映画なのだ(だからゲイだ、って看破された上で口説かれて、恥辱で逆上するコリンの行動が意味不明なのである)。
まぁなんつーか・・・タイトルで「ダイ・ハード0」とか書いてて何だけど、ホントダイ・ハードたぁ関係ねぇ映画だ、って思った方が後味はいいよな(笑)。
タイトル詐欺だ、ゴメン(笑)。
たまにはいいだろ(笑)?

むしろ、この映画の見どころはガジェットと酷い取り調べシーンだったりする(※)。
つまり、


そんなクルクル巻いたコードで結線してる電話器なぞ今どきないぞ、だったり、


うっわwwww黒電話でダイヤルwwwwとか


黄色く塗ればエエってもんちゃうねんwwwwとか


そりゃあんさん、取り調べやなくって拷問やろwwwwwとか



パ、パソコンやなくってタ、タイプライターとかwwwウケるwwwww

しか無かったのである。

※: そもそも日本の刑事モノだと、現場検証の際、「手袋を付ける」が、この映画だと素手で何でもペタペタ触ってるんで違和感が半端ない。
いくらアメ公がテキトーだとは言え・・・・・・色んな意味で「凄い」映画を観た気がする(苦笑)。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「映画」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事