では第5回を2014年7月1日に行ってきました。
と云うのは前回は通常ならば2014年の11月に行く事になる第十一回が挟まってしまったからなのです。
バスツアーの都合でこうなりました
今回は前回予告通り、5月に行く予定が諸事情により遅れてしまい行けなくなりました第5回目の札所を巡りました。今の所、今回と第6回、それに第7回もマイカーになるかもしれません
今回は第十二番岩間寺⇒第十三番石山寺⇒第十四番三井寺⇒番外元慶寺⇒第十五番観音寺の五ヶ寺の順に向かいます。
今回もマイカーでのお遍路となります
目指すは「岩間寺」です。瀬田川沿いから443mの岩間山山頂を目指し、曲がりくねった山道を登って到着しましたのは駐車場。中千町バス停からは歩いて50分ほどだ様です。お寺までは200mの平坦な道
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ずらりと並んだ燈籠に迎えられました
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参道にやってきました。銅製の黒光りした仁王さんに迎えられ
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境内へと入ってきました。山頂の閑静な佇まいにすがすがしさを感じました
この「岩間寺」は泰澄大師が養老六年(722)元正女帝三十三才厄年の際のご病気を平癒されたご褒美として創建されました
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天正天皇の勅命を受けこの地を行脚されていた泰澄大師は、桂の大樹より千手陀羅尼が聞え、そこでこの霊木で千手観音を刻み、天皇の念持佛を体内に納め本尊とされました。その霊木の子孫です
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「夫婦桂」と呼ばれ3代目だそうです
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こちらが「第十二番岩間山正法寺(岩間寺)」本堂
ご本尊は、桂の木で造立した等身大の千手観音は失われたが、元正天皇念持佛と伝えられる秘仏千手観音(金銅佛・約15cm)で、インドのエンブ川で取れた砂金(エンブダゴン)で造られたと云います
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先ずはお勤めです
この御本尊は毎夜衆生を救うため136もの地獄を駆け巡り、朝には汗びっしょりになって戻られ所から「汗かき観音」と呼ばれ、病や災いを除く厄除けに霊験があり信仰が篤く、泰澄が桂の木で刻んだ吉祥天と婆蘇仙人像を脇侍としてお祀りされています
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この石造は15番札所にあったものですが、ここ十二番・正法寺の千手観音様のお姿です
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「稲妻龍王社」
この銀杏の大木に住み雷難や火難を除くご利益があります
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後ろの銀杏の木「火伏の銀杏」
かっては遠く鈴鹿峠からも見えたと云う杉などの巨木が多かったと云います
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「大師堂」
当山開祖・泰澄大師と宗祖弘法大師をお祀りされています
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「不動堂」
平安中期の大日如来の化身・不動明王と二大童子(制吨迦・矜羯羅童子)がお祀りされており、4・5・9~11月の17日には護摩が焚かれております。手前の黒いのは灰(護摩の灰)です
藤原期の薬師如来坐像と阿弥陀如来坐像もお祀りされております
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その右手上にはお寺の鎮守社である「五社権現社」が祀られています
また、本堂横には「古池やかわず飛び込む水の音」の句を読んだと云われる「芭蕉池」が残っています
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「白姫龍神」
泰澄大師が白山麓で修行中、白馬に乗った妙理大菩薩と云う姫神に導かれ山頂の池で祈ると九頭龍王が出現し龍王の本姿、十一面観音を感得したと伝えられるその姫神をお祀りされています
女性が拝むと美人になると伝わっています
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この「雷神湧泉」というのは
上の神社からこの石段を下った所にある「雷神爪堀の湧泉」で、度々落雷で被害を及ぼしていた雷神を泰澄大師が法力で鎮め、今後寺に落ちないと誓わせ(雷除け観音と呼ばれる由縁)仏弟子にしました。当時水の乏しかった岩間山に、雷神は鋭い爪で井戸を掘り霊水を湧かせたと云います。別名「長寿水」「厄除け水」といわれ参拝者の喉を潤しています
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「西国霊場お砂踏み所」
西国三十三ヶ所の札所のお砂を納めて、お参りしたと同じ功徳を得られるとされています。こちらは残念ながら、2013年9月の18号台風の豪雨被害によりがけ崩れを起こし、すっかり流されてしまいました。一刻も早い再興を願わずにはいられません
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会館の側に建つ「ぼけ封じ観音」
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この観音像の前に「仏足石」が置かれ、この下には「近畿十楽観音」のお砂が納められており、十ケ寺のお砂を踏み観音様と縁を結び、健康で長生きできるように祈願されます
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こちらは四番の霊場で、西国の観音札所が3箇所も入っておりました
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このモダンな燈籠様なものは何だと思いますか?
「この石 一願石といふ 一心に観世音に念じ持ち上げ 思いの外軽からは 所願成就に 給ふと言ひ伝ふ」とあります。
私も中の鏡餅様の石を持ち上げましたら上がり願いが叶うのでしょうか?
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こちらの道から次の札所「石山寺」へ行けるようです
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続いてやってきたのは「第十三番石光山石山寺」
天平十九年(747)聖武天皇の勅願により良辨が開創され、東大寺別当の出先機関として石山寺所が置かれ諸堂が整えられたといい
平安時代の観音信仰の隆盛に伴い京都に近い天皇、貴族、諸民の崇敬により参拝者を集め、いわゆる石山詣でといわれました。特に陰暦10月甲子の日の参詣はご利益大とされます
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頼朝により寄進され、桃山時代に修復された「東大門」
運慶・湛慶作の仁王像
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極彩色が桃山文化らしいですね
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門を潜ると石畳の参道が続きます。左右には院や坊が並びます
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「宝性院」
石山寺事務所・なにやら可愛いキャラクター「おおつ光ルくん」が並んでいます
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「拾翠園」
慶長年間に淀殿寄進によって整備されたお庭です。秋には紅葉も楽しめます
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「公風園 白耳亭」
通常は非公開らしいですが、紅葉が素晴らしいようで秋に行って見られては・・
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「寶印大黒天堂」
本尊は950年前3人の僧の夢告により湖中より引き上げられたと伝わっています。
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「世尊院」
信長が石山寺の一部を利用した石山城の塔頭で、この世尊院に来て、二日間鷹狩りをしたそうです
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極楽浄土に咲くといわれる蓮の花・お寺に似つかわしいですね
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拝観受付所を入るとすぐの「くぐり岩」
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今で云う大理石で、お堂などの体内潜りの様で、池は天平時代からあるようです
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「那須与一地蔵尊」
元暦2年(1185)の屋島の戦いで、源義経に従軍し平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした事で有名です
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「茶丈東池坊密蔵院」
愛と苦悩の傷心した「島崎藤村」を和ませたのは、源氏物語、芭蕉の幻住庵跡であり瀬田の清流だったのでしょう。敬愛する西行や芭蕉のの如く旅をし足を休めたのがこの「茶丈庵」であり、2ヶ月の寄宿生活を送りました
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昔このあたりにあったとされる「水車」。脱穀をし、また近年には水車を踏み高い所へ水を上げていた様です
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さて本堂に向かいましょう。この66段の石段の先にあります。
足の悪い方は石段左に回りこみ懸下木造つくりの本堂の舞台下からなだらかな石段もあります
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石段の途中にある社
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登りきると右手に「観音堂」があり、三十三ヶ所の観音様がすべていらっしゃいます
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確かに33体の観音様です
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その隣は「毘沙門堂」
一重宝形造の堂内には兜跋毘沙門天(重文)、吉祥天、善膩(ぜんにし)童子の3体をお祀りし、造営の方式や特殊な架構・意匠を用いた特色溢れるお堂となっています
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反対側には本堂の前に建つ「蓮如堂」
硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の建物。慶長期に「淀殿」により、三十八所権現社の拝殿として建てられましたが、後に蓮如上人が祀られるようになりました。
懸造りの鎮守拝殿の一類型として貴重な建物だそうです
これらの前庭には「硅灰石」の岩山硅灰石の荒々しい岩がごつごつしており、石山寺と呼ばれる由縁となっています
左手「蓮如堂」から正面の硅灰石の岩
正面の硅灰石の岩から右手の「御影堂」
2枚をパノラマにしたもの
硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています
その前には四方に四国八十八ケ所霊場のお砂を埋め、これを巡ると八十八ケ所を巡ったと同じ功徳があると云う宝篋印塔が建っています
蓮如堂より石段を登ると「本堂」に出ます
本堂内陣に安置されるのは、安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰を集め、聖徳太子の念持仏を体内に納める本尊如意輪観世音菩薩。日本で唯一の勅封の秘仏で、御開扉は33年毎です。
石山寺縁起によれば、東大寺大仏殿造営に際し聖武天皇は金のないことを憂い、命を受けた良弁は金峯山寺に籠り「瀬田の霊山へ行け」との夢告を受けました。瀬田で出合った比良明神の化身の老人に教えられ石山に庵を結び如意輪観音を祀ると、陸奥で金脈が発見され、このとき祀った如意輪観音像が岩から離れなくなったので、この寺を興したと伝わります
この石造は15番札所にあったものですが、ここ十三番・石山寺の如意輪観音様のお姿です
寄棟造りの内陣は平安時代中期の本堂と、慶長年間に淀君寄進の寄棟造りの外陣・礼堂と、その両棟を結ぶ相の間によって構成されており、本尊と同じ岩盤の上に建つ、総桧皮葺の県内で最古の建物です。
裏より見た本堂です。懸造(舞台)がよくわかります
礼堂と相の間は「淀君」の寄進により慶長7 (1602) 年増築されたといわれています
相の間にある、紫式部が『源氏物語』を起筆したことにちなむ「源氏の間」です
また、平安時代以来「蜻蛉日記」「泉式部日記」「枕草子」「更級日記」など文学作品の舞台となりました
人形が置かれいかにも当時の様子を髣髴とさせてくれます
「三十八所権現社本殿」の建つ硅灰石です
「三十八所権現社本殿」
石山寺の鎮守社。一間社流造、檜皮葺で硅灰石の上に建っています。慶長期の伽藍復興時に本堂の礼堂とともに建立されました。(写真撮れず)
本堂横の「経蔵」
16世紀ごろに建立された高床の校倉で、かつては重要な経典や聖教類などが収蔵されていました。頭貫木鼻の意匠は桃山時代の建立と考えられ、数少ない切妻造りの県下で最古の校倉造です。
その床下に「腰掛石」と云って昔よりこの岩に座ると安産すると云い伝えられています
その横には「紫式部供養塔」と「芭蕉句碑」
源氏の間を見て詠んだ歌と云われます
「曙やまたむらさきにほとゝきす」
一段高く石段を上ったところに「多宝塔」
源頼朝の寄進で建久5 年(1194) に建立された日本最古の多宝塔。下重が大きく、上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優美な姿で、日本三大多宝塔の一つです。
本尊は快慶作の寄木造り漆金箔張の典型的な鎌倉様式の風格を備えた大日如来です。
その西の奥まった所に見たことのない形の石塔がありました
どうやら「牛塔」と呼ばれるものらしい(長安寺宝塔)
ここでは「めかくし石」と呼ばれています。
目隠ししてこの石を完全に抱けば所願成就と云われるそうです
「めかくし石」の後方北側にある「源頼朝」と「亀谷禅尼」供養塔
頼朝は石山寺とは東大門や多宝塔を寄進していることで深いつながりがあります。乳母と言われる亀谷禅尼はどういう関係なのでしょう
亀谷禅尼は頼朝の娘の乳母であり、頼朝に仕える中原親能の妻。また大江広元は弟で、
頼朝とは弟の広元との関係から側近として活躍したというウェブの記事がありました
そこを斜め北に行くと「芭蕉庵」
月見亭の隣にある松尾芭蕉ゆかりの茶室。芭蕉は石山寺に詣で、「曙はまだむらさきにほととぎす」「石山の石にたばしる霰かな」といった句を残しています。
その東側は近江八景「石山秋月」で有名な「月見亭」
後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至っています。はるかに琵琶湖を望みながら瀬田川の美しい風景を楽しむことができます。
建立時よりの天皇の行幸が記されています
月見亭の北に佇む「心経堂」
花山法皇が西国三十三ヶ所観音霊場を中興されてより千年の間に納められた「般若心経写経」が納めれています
鐘楼に向かう途中に「若宮」があります
壬申の乱で破れた大友皇子をお祀りされているそうですが、確かに破れた地は瀬田の唐橋でこの近くですがその霊地はこの近くに3箇所あります。でも石山寺は知りませんでした。こちらのサイトにも書かれています
只、平成三年に白鳳期の瓦が出土し開創が7世紀に遡る可能性があり、大友皇子(弘文天皇)の霊を祀られたという寺の起源もあり、裏付けとなるのでは?
石段を下って「鐘楼」堂です
多宝塔を下に降りると鐘楼があります。重層袴腰、檜皮葺の入母屋造で、頼朝の寄進と伝わっていますが、様式などから鎌倉時代後期の造営と考えられています。上層に吊るされた梵鐘は平安時代を降らないもので、重要文化財に指定されています。
鐘楼から下る途中に見た「硅灰石」
下った左に建つ「御影堂」
真言宗の開祖弘法大師、石山寺開基の良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂です。単層の檜皮葺で、内部は室町時代初期を降らない様式となっています。
御影堂から出口に向かって帰り道になり、途中にある「大湯屋」
中はどんなになっているのでしょうね
先ほど参道脇に門より見えた「大黒堂」に戻ってきました
石山寺大黒天は万寿元年(950年前)に、ご本尊は3人の僧の夢のお告げにて湖水より出現しました。室町時代(約650年前)には秘仏ご本尊の前にお前立ちの仏様が建立されました。
東大門を外に出ました。北に塀沿いに行くと
約八百年前の中興の祖 朗澄律師ゆかりの庭園。朗澄律師は自分の死後鬼の姿になって、石山寺の一切経と聖教を守護し、人々の降魔招福を誓い入寂されました。大きな石に刻まれているのは「石山寺縁起絵巻」に描かれた朗澄律師のお姿です。
石山寺の説明については、石山寺HPを参考にさせていただきました
色々見てきましたが、石山寺に関する詳細はこちらにも紹介されております
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/bd/7aa6bea1abf8b302d3310a99b6ca6b39.jpg)
詳しくは説明板をお読み下さい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/fd/13a447dea7fab0b803b32d59a4ba2d22.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/84/2357dd916c4010c235b166a203a8f871.jpg)
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