瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

読書メモ(古今亭志ん生ほか)

2025-01-12 08:35:48 | 本の話
骨折、即入院だったのでなんの準備も出来ませんでした。独り者で家族もいないので頼みごとも出来ない。頼めるなら暇つぶしの本を持って来てもらえるんですけどね。
というわけで、入院時に所持していたのは文庫本2冊。

古今亭志ん生「なめくじ艦隊 志ん生半生記」(ちくま文庫 1991年)
橋本治「桃尻語訳 枕草子 上」(河出文庫 1998年)

持ち歩いているくせに「枕草子」はちっとも読み終わらない。読み始めて2年くらいは経っているかもしれない。たいしておもしろくないんでね。それでも読み続けているのは橋本治の註がおもしろいからです。解説で橋本治が書いています。

おっそろしく意地悪な断定をしてしまえば、彼女の価値観は”ミーハー”“センチメンタリズム”“小姑根性”で、この三つを冷静なまでの観察力がつなげている。

こういう価値観で書かれたものをあたくしはおもしろがらないんですよ。ぶっちゃけどうでもいい。清少納言とあたくしは別の世界の住人ですな。ま、貴族と庶民ですからあたりまえですけど。
その点、志ん生とは相性がいい。いや、志ん生とあたくしとでは性格はまったく違いますがね。あたくしは志ん生みたいな人は好きです。読んでて楽しい。噺家ですから苦労話も笑い話のように語りますからね。ホント落語を地で行くような人です。

噺てえものは、親の財産なんぞをたんまりもらって、ボーッとなんとなく育ってきたような人が聞いても、ほんとうの落語の面白好味というが、それがわかるもんじゃないんですよ。その意味からいえば、ほんのある一部の人が聞いて喜ぶべきものなんですね。世の中のウラのウラをえぐっていく芸なんですから……。

これは志ん生の落語観ですが、今じゃこの落語観は通用しないでしょうね。日本は豊かになったし時代も変わり人々の意識も変わってる。あたくし、志ん生はよく聴きますがその落語をあたくしは当然あたくしとして楽しんでるので志ん生が期待するようにはあたくしは聴いてないんでしょうな。仕方がないことです。演(や)り手の思いをそのまんま聴き手が受け取るとは限らない。志ん生には申し訳ないけど。
志ん生の時代の落語と今の落語は別物なんでしょうね。別物ではあるけれどどこかでつながっているから落語は滅びないでいるんでしょう。人は変わっているようで変わってなかったりしますしね。

志ん生は読み終わったし、差入れ2冊も読んでしまった。「枕草子」はまだ読み切っていませんが、これはちびちび読む本なので事実上もう読む本はない。本がないなら青空文庫で読もうと思ってましたが、あんまり読む気がしない。あたくしは旧式な人間なので紙の本がいい。
退院はまだ先ですが外泊で一度帰って本を補充したいなあ。


追記
落語を知らない人にとっては志ん生って誰? ってなもんでしょう。昭和の名人のひとりです。
明治23年(1890)生まれ。昭和48年(1973)没。
馬生と志ん朝のオヤジです。落語知らなきゃ馬生も志ん朝も知らないかしら。馬生は早くに亡くなってるからなあ。メディアにどの程度出てたか、あたくしも知らない。池波志乃の父親です。
志ん朝はメディアに出てたように思うけど落語に興味なければアンテナに引っかかることもないか。
息子たちのことはさておき、志ん生の音源はたくさん残ってるので興味があればどうぞ。YouTubeで聴けます。志ん生の十八番といえば「火焔太鼓」。志ん生の持ってる“フラ”が好きです。なんでもないひとことでクスッと笑える。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読書メモ(宮島未奈) | トップ | 理不尽であたりまえ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。