絶対的な存在というものがあるのかどうか。それがわからない。
善とは、それとは別の存在が在ることにより善となり、結果、別の存在は悪となる。という相対的なものでしかなく絶対的なものとして存在しているわけではない。善と悪は容易に反転する。
ただ別の存在が在る、というだけのことに過ぎない。その存在を善と悪に割り振るのは人の価値観だからである。ゆえに善と悪は相対的な存在といえる。
と考えることはできる . . . 本文を読む
憎むとは否定である。その存在を認めないゆえに憎悪という感情が発現する。
裏を返せば自己肯定である。その存在を否定することで自分を肯定する。
つまり憎悪は自己肯定の一手段なのである。
しかしこのような手段でしか自分を肯定することが出来ないというのは不幸なことである。否定すべき存在なくして自分が立ち行かないのでは、否定すべき存在を存在させ続けなければならないからである。この矛盾を生きる愚かさ。
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自分の住み心地の良さを主張すれば他人の住み心地の良さとぶつかる。ならば世界の住み心地の良さを考えるべきだろう。どのような世界が住み心地が良いと言えるのか。住み心地の良い世界ならあなたも私も住み心地が良いはずである。
と単純に考えればこれはこれで間違いはないのだけれど、世の中というのは単純な考え方が通じないのである。なんだか知らないがわざわざ複雑にするのが人はお好みのようである。
シンプルに考え . . . 本文を読む
自分がそれを所有しない、自分がその境遇にない。自分にはないが他人にはそれがある。人はそのとき他人に嫉妬する。
要するに嫉妬とは我欲に発する。自分の満たされぬ欲望を他人は満たしている。ゆえに嫉妬する。そもそも我欲がなければ他人が何を満たしていようが嫉妬は起きない。
つまるところ我執である。我に執着するゆえに比較対象としての他者が存在する。
他者もまた我である。
我を手放せばそうなる。他者が存 . . . 本文を読む