今の時代、物質的には豊かになったが心は貧しくなった。逆に昔は物はなかったが心は豊かだった。なんて言い方をしたりするけれど、それじゃ物と心、両方豊かになるのは無理みたいな言い方だよね。
そんな馬鹿な話はない。両方豊かであるのは可能なはず。豊かさの使い方を間違えてるんだよ。あるいは豊かさを勘違いしてるかね。
物にしろ心にしろ、豊かさとは何かを問うべきだろうねえ。たくさあればいいってもんじゃないし。 . . . 本文を読む
ま、漠然と人間は動物として、というか生命体として弱体化しているような気もするのだけれど、だからといってなんとかすべきだとは思わないのよね。
今の子供は昔の子供に比べて体格はいいが運動能力は落ちるとかなんとか、そんなことがニュースになったりするけど、どうでもいいね、そんなこと。ニュースにするのは危機感を煽りたいんだろうけど、そのわりに政府がどうするでもないし、スポーツメーカーがどうするでもない。そ . . . 本文を読む
死に至る病とは絶望である。
あたしはキェルケゴールを読んだことはないので、それとは関係なく勝手なことを書く。
んじゃ、なんで絶望すんのさって話になるんだけど、それは想像力があるからなのよね。
今日、チンパンジーの話を聞いたんだけど、チンパンジーは絶望しないんだって。それはチンパンジーにはいま、ここ、しかないから。いま、ここを生きているだけなら絶望しようにも絶望のしようがありませんわな。明日を思 . . . 本文を読む
人は孤独である。というより、存在がそもそも孤独なんだと思う。世界が在る。もうこれは、どうしようもなく「在る」のよ。「在る」以外にない。「在り方」はさまざまとしても、「在る」はもうただ「在る」だけなのよ。
なにいってんだかわかんないと思うんだけど、ほかに書きようもなくてさ。ま、例えていえば神さまかしら。神さまが世界を創ったとしてさ、神さまは孤独なわけだ。イメージとしては、そんなかしら。
存在してし . . . 本文を読む
止揚なんていうと小難しい話になっちゃうけど、実は日常的にやってることなんじゃないかしら。
料理っていうのは様々な味の組み合わせで素材を超えた味を生み出すんだから、止揚っていえばいえなくもない。正確には正反合とはいえないかもしれないけれど、ざっくりいっちゃえば正反合よ。哲学勉強してる人には笑われるかしらね。ま、いいや。無学なゆえに勉強してる人が考えないような突拍子もないことを言い出すのがあたしの持 . . . 本文を読む
食料自給率って大切なのかしら。いや、大切なのは分かるけど大切なのは食料自給率だけじゃないよねって話。自給しなきゃいけないのは他の資源も同じじゃん。食料だけ自給率騒ぐの変だよ。
そもそも自給出来てる分にしても本当に自給出来てるっていえるのかしら。農業はエネルギー食うのよ。農機具動かすのオイルなんだから。オイル自給できてないじゃんねえ。
自給だけでどうにかなるような社会じゃないんだから、そんなこと . . . 本文を読む
超能力っていうのは、別に特別な能力じゃないのよ。当たり前の能力よ、当人にとってはね。だってできちゃうんだもの。普通にできちゃうことは当人にとっては超能力でもなんでもなくって、当たり前の能力でしょ。
多くの人が出来ずに、一部の人しか出来ないからって、超能力だと騒いで不思議がったり否定したりって、だからおかしいのよ。そういうことが出来る人もいる。それだけのこと。当たり前のことであって、特別なことでも . . . 本文を読む
なぜ知性なんぞというものがあるのだろう。
宇宙の子である我々に知性があるのは、宇宙自身が己の存在について問いたいからか。「これ」は一体なにごとぞ!
存在は自身に当惑しているのかもしれない。 . . . 本文を読む
人は欲望のままに様々なものを産み出す。産み出せば使用する。あたりまえだ。そのために産み出したのだもの。
だがしかし、使わないために産み出す。そのようなものがあってもいいのではないか。というより、実はそちらのほうこそ何かを産み出す本質なのでないか。
ただ自らの欲望と対峙するために。 . . . 本文を読む
ま、仕方がないっちゃ仕方がないんだけど、誰しも自分を中心に地球がまわっていると思ってる。極端なことをいえば自分が神さま。裁決ばかり下す、神さまの視点からね。神さまは冒瀆されると黙っちゃいない。敬意を払わない者には特に厳しいね。
中心なんてないんだよ。中心を据えるから視点がひとつに限定される。ひとつになるからそれのみが正解となる。中心がなきゃ視点は無数だ。正解なんてありゃしない。
世界は中心を軸 . . . 本文を読む