瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

読書メモ(保坂和志 その3)

2024-08-04 07:15:41 | 本の話
保坂和志「残響」からは離れてしまって勝手なこと書いてますが、ご容赦を。

で、似たようなことを考える人々の末席にあたくしもいまして、全部ここにあるんだろう、なんてやっぱり考えるわけです。あたくしは記録とか記憶じゃなくて最初から手札は揃ってるって感じですかね。その手札を私たちは1枚1枚開けている。こういう言い方も、やはり記録や記憶とおなじなのかしら。ま、どっちでもいいんですけどね。

私たちは物質世界の存在です。物質世界ってのは時間が存在します。というのは、熱力学の第二法則。エントロピーの増大ですね。この法則がある世界っていうのは否応なしに時間が存在する世界ってことでもある。不可逆的であるってことは一方方向に進む存在、つまり時間という概念なくして成立しません。
で、だったら物質世界じゃなきゃ時間も無いんだろう、という妄想をあたくしは抱くわけです(胡散臭いことが好きなので考えることも胡散臭くなる)。時間が無いなら過去も未来もない。現在しかない。そしてその現在に過去も未来もある。現に過去は在ったわけですからね。未来を私たちは未だ知りませんがおそらく既に存在する。どちらも存在するんだから、過去や未来が無いんじゃなくて、いま、ここに過去も未来も在る。時間が存在しないんだから過去とか未来という概念もなく、さまざまなパターンが在る、さまざまなシーンが在る、さまざまなケースが在る、というだけ。とにかくすべて在る。手札が揃ってるっていうのはそういうことね。
物質世界ではない、物質世界をも内包するさらなる高次元の世界ってのはそんなんじゃないかしら、と思うわけです。

じゃ、すべては決まってるの? ってことにもなりますが、決まっているような決まっていないような。手札は揃ってるけど確定でもないといいますか、可能性を内包してるだけといいますか。シュレディンガーの猫みたいに箱を開けて始めて確定するような、そんなふうに出来てるんじゃないかしら、ト。

存在そのものはそんな曖昧模糊な在りようをしていて、その一部分としての物質世界には時間が在って、時間が在るから過去は消えて無くなったようにみえるし、未来はわからない。でも存在そのものとしては、時間のない世界ではすでに手札は揃ってる。時間の概念を持たざるをえない世界にいる私たちには手札は開けて見ないとわからない。開けた手札は二度と触れることは出来ない。

書いてて辻褄が合ってるようで合ってないような気もします。いいんです、理屈が破綻してても。妄想ですから、と逃げ道を確保しておきます。ツッコミどころ満載のほうが愛嬌があっていいでしょ? と重ねて言い訳もしておくとしましょう。

長々と3回にかけて書いてきましたが、それは「五十嵐大介 その2」や「石川英輔」で“うたかた”だの“夢幻(ゆめまぼろし)”だのと書いたことの反対のことも書きたくなりましてね。
時間という概念で成立している世界の住人であるあたくしは、過ぎ去っていくことの儚さや切なさを感じるわけで、だから“うたかた”だの“夢幻”だのという感慨を持つんですけど、時間という概念を離れてしまえばそんな感慨もなくなる。いま、ここにすべて在る。過去は消えないし未来も既に在る。儚くも切なくもなんともない。そんな存在そのものからの視点も考えてみたくなるんですよ。ま、それは妄想の域を出ませんが。
そんな視点で考えたくなるのは、とどのつまり、これって何なの? っていう存在という不可思議とたわむれたいからなんですね。正解なんて解るはずもありませんから、ただ戯れたいだけ。だから妄想なんです。

こんな妄想もまた存在そのものの手札のうちでしょうがね。

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