では「すぺるむ・さぴえんす」の感想。
主人公は“あるもの”から取り引きを持ちかけられる。「宇宙の一切の秘密と真理を教えよう。その代償に、こちらは二百二十億の全人類の生命をうばう」
“あるもの”は言います。
「宇宙にとって“意識”とは何であり、とりわけ、もの事の窮極を問いたずねてやまぬ“知性”とは、いったい何か?……そういった問いに答えてやろうというのだ」
問いの立て方が違うと前回書きました。あたくしの問いはこうじゃない。この逆。宇宙にとって知性とは何か?じゃなくて、知性にとって宇宙とは何か?とあたくしは問いたくなります。知性が宇宙を生んだと考えているんですよ。だから、なんで知性はこんなもの、つまり宇宙ですね、こんなものを生んだんだろう、ト。知性にとって宇宙って何?なわけです。
「100分de名著 小松左京スペシャル」。語り手は宮崎哲弥。
ここで取り上げているのは4作品。
「地には平和を」
「日本沈没」
「ゴルディアスの結び目」
「虚無回廊」
「虚無回廊」からこんな部分を引用しています。
「知能は基本的に『生命』を基礎にしてうまれてくるものであり、『生命情報システム』のすべての遺産を学び、うけつぎながら、発達する事によって、その基礎にある『生命の可能性』を高めて行くためのものだった。」と考える人がいて、もう一方に別の考え方をする人がいる。それは「『知能』ははじめから『生命』を越えている存在であり、『生命』という自然の条件が、この『永遠と無限』にむかってはばたく可能性を秘めている知能にあたえている制約からときはなしてやる」という考え方。
「虚無回廊」も所持してますが探さないと出てこない。未読だし。というわけで「100de名著」からの孫引きさせてもらいました。
小松左京は知能は生命を越えている存在とも書いてる。ま、「虚無回廊」は「すぺるむ・さぴえんすの冒険」よりあとに書かれたものですけど。
普通は生命が知能を生んだと考えるんでしょうけど、知能は生命を越えていて、だから知能が生命を生んだように思うんですよ。そして生命に先立つ宇宙も知能が生んだ。で、あたくしは問いたくなるわけです。知性はなんで宇宙なんてものを生んだの?
「すぺるむ・さぴえんすの冒険」では主人公は“あるもの”からの提案を拒絶しますから、宇宙にとって知性とは何かという問いに対して小説としての解答もないまま。ま、自分で考えろってなことですね。
あたくしの問いは逆さまで、知性にとって宇宙とは何か、ですけどね。
暫定的ながらあたくしにはあたくしの解答がありますが、長くなったのでそれはまた次回。