瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

主体とは誰か

2015-05-29 08:19:25 | 随想
自分がそれをしているのは自分がそれをしたいから。
もちろんそうなんだけど、実はそうとばかりも言えない面もある。ほかの何かの意図を感じないか。

いや、誰かにやらされているってな話じゃないよ。仕事などではそういう場面はよくあるだろうけどね。自分ではしたくもないことを上からの指示でさせられる、とかね。
あたしの書いているのはそういうことじゃないの。

周囲の状況が自分にそれをするよう、指し示しているような感じがしやしないかってことよ。自分の意図とは別に何かの意図とはそういうこと。自分にそれをするように促す存在。
それは一個人のこともあるし、複数のこともある。具体的な行為であったり、日常のなんてない言葉だったり。
その行動に及ぶ主体は果たして自分なのか。

集合的無意識という考え方があるね。ま、あたしはこの用語を宇宙とか根源とか存在とか、勝手に変換しちゃうけど、要するにすべてはつながっているのだト。あなたは私で、私はあなただト。
と、するなら、自分がそれをする、その主体は自分ではなくほかの誰かである。と、考えることもできる。

以前にも書いたような気もするけれど、このブログを書いているのは私ではなくあなた。あなたのこのようなものが読みたいという無意識が私の無意識につながっているから私はこれを書いている。あなたのために。私はあなたのサーバントである。いや、ゴーストライターか。

全にして個。我々は個のようでいて大きなひとつである。大いなる存在とは実は我々のこと。主体は自分のようでいて、実は全存在、宇宙のことなのである。

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