瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

箸休め(年頭所感。……のようなもの)

2014-01-03 06:35:47 | 考える日々
これを読んでいてくれる人はそれなりにおもしろさを感じているからこれを読んでいるのだと思うのだけれど、実のところ書いているあたしはちっともおもしろくないのよね。そりゃ、これはあたしのために書いているんじゃなくて、読んでいてくれるあなたのために書いているんだからあなたがおもしろがってくれれば充分とはいうものの、正直あたしだってちっとはおもしろがりたいわけよ。
あたしにはなにも返ってこなくていいとか、なにも残らなくていいとかなんてかっこいいことが云えればいいけど、あたしは出来た人間じゃないからさ、あなたがたのしむのはいいけど、あなたばかりたのしむのはずるいんでないの、とも思うわけ。あたしにもたのしませなさいよ。

んじゃ、どうすればあたしもたのしいのかっていうと、さあどうすればいいんだろうね。ともかく変化がないのがつまんないんだよね。ただただ書いてるだけじゃ、変わりばえしないもの。といってもブログなんだから書くことのほか別にすることもないしね。変化っていってもねえ。
とりあえず友達からのコメントを解禁にしてみますか。今までは友達のコメントがあると第三者が入りづらいかと思って友達にコメントは書かないでと頼んでいたけれど、そんなことは関係ないみたいだし。というわけで、友達からのコメントを受け付けることを変化の第一歩としてみましょう。とは云ってみたものの、友達はこれを読んでいないようなのよね。何の反応もないもの。だから変化の第一歩のアイデア足りえないかもしれないんだけど。

変化ってことでいえば、ブログが育っていけばいいな、なんてことも考える。育つってどういうことか。イメージとしては樹が育つように枝が伸び葉が茂り、花が咲き実を結ぶという感じなんだけど、じゃ具体的にはどういうことかとなると判然としないね。あたしは種を蒔いているつもりではいるんだけど、芽がでている感じがしない。ただただ書いているだけで何の変化もないんじゃ、芽吹いたって感じがしなくて当然だわね。

まだ書き始めて一年だからそうそう目に見えて変化は起きないものなのかもしれない。あたしはせっかちで、なにごとにつけ成果をはやく欲しがってしまうけれど、焦ってはいけないんだろうね。little by little。ま、少しずつ変わっていければいいな、と年の初めに思うのでした。


追記
三浦一郎「世界史こぼれ話3」(角川文庫)を読んでいたらこんなエピソードが載ってた。

寺田寅彦は「先生の面会日には客が多くてろくに話もできない」と他の日を選んで漱石を訪ねるのだった。そのくせ別に話することもなく黙っているので、漱石が退屈してあくびをすると、寅彦もあくびをし、こんなことをして半日つぶして帰ってゆくのだった。

実際あたしもこんなことをしていた時期があった。友達がカフェをしていたころ、コーヒー一杯で長居して、長居するくせになにを話すでもなくただぼんやりしているだけ。時間と空間を共有していれば充分だったのである。友達は漱石のように退屈していたかもしれないけれど。
このブログもそんな感じになればおもしろいとは思うけれど、ブログは何かを言葉にしないと成立しないからお互いあくびをして足りるってわけにもいかんしねえ。理想は何も語らず、ただ存在を意識することだけなんだけど。
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