Franz Schubert: Der Hirt auf dem Felsen - Anna Lucia Richter/Ensemble der KammerMusikKöln
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春先からシューベルト(1797-1828)のリートを少しずつ聴いていますが、そのなかに「岩の上の羊飼い」Der Hirt auf dem Felsenがあります。美しい曲ですが、私にとって分からない点が少なくない曲でもあります。
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この曲は先にご紹介した「春に」以上に牧歌的な印象を受ける歌曲です。クラリネットの助奏が付けられていて(チェロ代替版もあるようですが、残念ながら聴いていません)、一層のどかでゆったりと聞こえます。メロディーは大きく上下してヨーデルのようにも聞こえます。
主役はもちろんソプラノです。元々、当時のソプラノ歌手、アンナ・ミルダー=ハウプトマン(Anna Pauline Milder-Hauptmann, 1785-1838)が1824年ごろ依頼したものなので、技巧的な要求も高く難しい曲です。反面、ピアノは単純な伴奏形で背後からソプラノとクラリネットを支えます。
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面白いのは歌詞です。一人の作品ではなく二人の詩人の三つの作品から成っています。謂わば、合成されているのです。
一人は、シューベルトのリートではお馴染みのミュラー(Johann Ludwig Wilhelm Müller, 1794-1827)の「山の羊飼い」Der Berghirtと「愛の想い」Liebesgedankenの2作品、もう一人は、ラーヘル・ファルンハーゲン・フォン・エンゼ(Rahel Varnhagen von Ense, 1771-1833)(以前はヴィルヘルミーネ・フォン・シェジ(Wilhelmina von Chézy, 1783- 1856)とされていた)の「夜の響き」Nächtlicher Schallです。
誰がコンピレーションしたかについては謎のようです。誰かが勝手に取捨選択て並び替えたものなのか、シューベルト自身がいいとこ取りしたのか、あるいは、旋律に合うようにパッチワークしたのか、シューベルトの関係者が手を入れたのか分かっていません。詩人自身の手になることとは考えにくいです。
関係者と言えば、この曲を依頼したソプラノ歌手アンナ・ミルダー=ハウプトマンかその関係者も動機はないことではないと思われます。彼女は1830年にこの曲を歌っているようです。
詩は、自然、牧童、森、女性、憧憬、失恋、孤独、旅立ち等々とロマン派好みの設定、情景になっているので、不自然さは感じず、旋律にもうまくはまっています。詩は「借景」に過ぎないのかも知れません。
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その詩をご紹介したいところですが長くなるので、戯れに、歌詞を和風に超圧縮した訳(翻案)を作ってみました(ローマ数字は原詩の節です)。原詩と日本語訳については専門的なサイトをご覧ください。
我ながら「トンデモ訳」ですみません。かなりウェットになっていますが、一応、流れ的にはあっているような(笑)。
Ⅰ~Ⅳ節がミュラーの「山の羊飼い」 Der Berghirt、Ⅴ~Ⅵ節がファルンハーゲンの「夜の響き」Nächtlicher Schall、Ⅶ節が再びミュラーの「愛の想い」Liebesgedankenから抜粋され使用されています(一部改編があります)。
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なぜ、このようなことになったのか分かりません。現代から考えると剽窃問題にされ大変なことになりますね。しかし、当時の状態を考えれば、むしろ、シューベルト・グループの情報収集能力を評価すべきかも知れません。ポジティブにとらえれば、新しい創作への技法とも言えます。事実、「岩の上の羊飼い」は美しい作品として世界中で歌われているわけです。
そもそも、岩の上の羊飼いとは何者なのか。なぜ、岩の上に、しかも、最も高い岩の上 auf dem höchsten Fels に羊飼いが立っていなければならないのかに疑問がわきます。牛飼いじゃだめなのか(笑)。
さらに、曲(詩)の「岩の上の羊飼い」という分かったようで分からないタイトルは誰がつけたのでしょうか。この詩が合成であるとすれば、その当事者が作ったと考えるのが妥当と思われます。「山の羊飼い」Der Berghirtから「山」が消え、「岩の上の羊飼い」Der Hirt auf dem Felsenへ変貌した理由を知りたいところです。
しかし、今のところは深入りせず、「岩の上の羊飼い問題」と命名するにとどめておきます。
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作曲は1828年10月頃。「鳩の使い」(「白鳥の歌」)とともにシューベルトの絶筆ではないかと言われています。シューベルトはこの頃体調を崩していて、本人はその理由も分からないまま1828年11月19日に世を去りました。作曲を引き受け、オペラの計画もあった中での突然死でした。
動画は、ソプラノのAnna Lucia Richterとケルンのアンサンブルのメンバーによる演奏です。会場も演奏もいい雰囲気です。よくとおるソプラノを聴いていると少しは梅雨の憂さも晴れるような気がします。
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春先からシューベルト(1797-1828)のリートを少しずつ聴いていますが、そのなかに「岩の上の羊飼い」Der Hirt auf dem Felsenがあります。美しい曲ですが、私にとって分からない点が少なくない曲でもあります。
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この曲は先にご紹介した「春に」以上に牧歌的な印象を受ける歌曲です。クラリネットの助奏が付けられていて(チェロ代替版もあるようですが、残念ながら聴いていません)、一層のどかでゆったりと聞こえます。メロディーは大きく上下してヨーデルのようにも聞こえます。
主役はもちろんソプラノです。元々、当時のソプラノ歌手、アンナ・ミルダー=ハウプトマン(Anna Pauline Milder-Hauptmann, 1785-1838)が1824年ごろ依頼したものなので、技巧的な要求も高く難しい曲です。反面、ピアノは単純な伴奏形で背後からソプラノとクラリネットを支えます。
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面白いのは歌詞です。一人の作品ではなく二人の詩人の三つの作品から成っています。謂わば、合成されているのです。
一人は、シューベルトのリートではお馴染みのミュラー(Johann Ludwig Wilhelm Müller, 1794-1827)の「山の羊飼い」Der Berghirtと「愛の想い」Liebesgedankenの2作品、もう一人は、ラーヘル・ファルンハーゲン・フォン・エンゼ(Rahel Varnhagen von Ense, 1771-1833)(以前はヴィルヘルミーネ・フォン・シェジ(Wilhelmina von Chézy, 1783- 1856)とされていた)の「夜の響き」Nächtlicher Schallです。
誰がコンピレーションしたかについては謎のようです。誰かが勝手に取捨選択て並び替えたものなのか、シューベルト自身がいいとこ取りしたのか、あるいは、旋律に合うようにパッチワークしたのか、シューベルトの関係者が手を入れたのか分かっていません。詩人自身の手になることとは考えにくいです。
関係者と言えば、この曲を依頼したソプラノ歌手アンナ・ミルダー=ハウプトマンかその関係者も動機はないことではないと思われます。彼女は1830年にこの曲を歌っているようです。
詩は、自然、牧童、森、女性、憧憬、失恋、孤独、旅立ち等々とロマン派好みの設定、情景になっているので、不自然さは感じず、旋律にもうまくはまっています。詩は「借景」に過ぎないのかも知れません。
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その詩をご紹介したいところですが長くなるので、戯れに、歌詞を和風に超圧縮した訳(翻案)を作ってみました(ローマ数字は原詩の節です)。原詩と日本語訳については専門的なサイトをご覧ください。
〽Ⅰ岩の上から谷底のぞき歌を歌えば/Ⅱ深い谷から歌が返る/Ⅲ悲しい木霊が戻ってくるのさ/Ⅳ可愛いあの子が暮らすのは、呼べど届かぬ遠い場所/Ⅴあゝ、夢も希望も消え失せて、味わう淋しさ一人ぼち/Ⅵ山さ籠もって夜明けまで、呑んで呑まれて未練も消えて/Ⅶ名もない里に桜が咲けば、熱き心の旅支度
我ながら「トンデモ訳」ですみません。かなりウェットになっていますが、一応、流れ的にはあっているような(笑)。
Ⅰ~Ⅳ節がミュラーの「山の羊飼い」 Der Berghirt、Ⅴ~Ⅵ節がファルンハーゲンの「夜の響き」Nächtlicher Schall、Ⅶ節が再びミュラーの「愛の想い」Liebesgedankenから抜粋され使用されています(一部改編があります)。
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なぜ、このようなことになったのか分かりません。現代から考えると剽窃問題にされ大変なことになりますね。しかし、当時の状態を考えれば、むしろ、シューベルト・グループの情報収集能力を評価すべきかも知れません。ポジティブにとらえれば、新しい創作への技法とも言えます。事実、「岩の上の羊飼い」は美しい作品として世界中で歌われているわけです。
そもそも、岩の上の羊飼いとは何者なのか。なぜ、岩の上に、しかも、最も高い岩の上 auf dem höchsten Fels に羊飼いが立っていなければならないのかに疑問がわきます。牛飼いじゃだめなのか(笑)。
さらに、曲(詩)の「岩の上の羊飼い」という分かったようで分からないタイトルは誰がつけたのでしょうか。この詩が合成であるとすれば、その当事者が作ったと考えるのが妥当と思われます。「山の羊飼い」Der Berghirtから「山」が消え、「岩の上の羊飼い」Der Hirt auf dem Felsenへ変貌した理由を知りたいところです。
しかし、今のところは深入りせず、「岩の上の羊飼い問題」と命名するにとどめておきます。
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作曲は1828年10月頃。「鳩の使い」(「白鳥の歌」)とともにシューベルトの絶筆ではないかと言われています。シューベルトはこの頃体調を崩していて、本人はその理由も分からないまま1828年11月19日に世を去りました。作曲を引き受け、オペラの計画もあった中での突然死でした。
動画は、ソプラノのAnna Lucia Richterとケルンのアンサンブルのメンバーによる演奏です。会場も演奏もいい雰囲気です。よくとおるソプラノを聴いていると少しは梅雨の憂さも晴れるような気がします。
ロマン派ということから宗教方面の見方がすっぽり抜け落ちていました。ご指摘ありがとうございました。これで「岩の上の羊飼い問題」がだいぶ解明されると思います。不明をお詫びします。
今さらながらなのですが、ドイツ語の辞書でHirtは羊飼いの他に牧師、神、キリストなどとありますし、キリスト教では羊を信者、牧師をその羊飼いに見立てているようですね。
そうすると、この題名は「岩の上の高みにおわすにふさわしい宗教指導者あるいは神」と解釈することができそうです。
ところが、そうなると、詩の内容と齟齬をきたすように思えます。失恋と新生の詩にどうしてこのタイトルをつけたのか。どうして神と結びつくのか?です。ロマン派だからいいのか? 「新しい恋を見つけに行っちゃうからね、神もご照覧あれかし」なのか(笑)。
いずれにせよ、キリスト教については浅学の身。キリスト教やこの詩の含意について、当時の信仰についても何とも言えません。まだまだ勉強不足、迷える子羊ですみません。
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別件ですが、『忠実な羊飼い』問題は初めて知りました。リコーダーを吹いていた頃はヴィヴァルディの曲だと信じ切っていましたし、そのまま今日まできてしまいました。Wikiを見て驚きました。「サンマルティーニ=ベルトー問題」よりひどいですねえ(笑)。でも、このシェドヴィーユという男も憎めない気がします。(長文ご容赦)
古い記事にコメントつけます。
ぜんぜん詳しいわけではないのですが「羊飼い」というのは、キリスト教の宗教指導者の象徴だと聞きました。「忠実な羊飼い」というシェドヴィーユ(ヴィヴァルディをかたった)の作品集がありますね。あれのことでどこかに書いてあったのですが、原典が探し出せないでいてすみません。
ただそれだけのコメントなんです、他のことはわかりません。すみません。