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花輪城址公園-廢城散歩圖譜その参

2014年04月20日 | ぼくのとうかつヒストリア
 花輪城(千葉県流山市、16世紀末頃廃城)は流山市中心部の北にある。往来の多い流山街道の東側にあるのであるが、車では通り過ぎてしまうほど存在感は薄い。規模も大したことはなく砦サイズ。しかしながら、城のある舌状台地の周囲は低湿地だったのであり、その中に突き出た小高い山だったろうから、威圧感はあったかも知れない。地政学的には重要なポイントであったのだろうか。見張り所か関所機能併設だったような感じもする(もし、北側に大城郭があったら御免)。

 例によって、城址の周囲は大木が繁り単なる茂みに見える。事実、下の公園で遊んでいた子供達に「お城だったのだよ」と言っても信じてくれなかった。まあ、この辺の廃城で石垣のあるものは皆無だからなあ。城と言えば、石垣と天守閣という近世城郭が常識として刷り込まれているのだから。いや、裏山にカメラを向けている不審なおじさんだったからか(^_^;)。

 それはともかく、当時は自然の要害だったのだろうが、今は道路と市街化で面影すら無い。城の南端部分だけが辛うじて残っている感じだ。北側も城の構成要素だったはずだが、墓地となっていて立ち入るのは憚れる。公園として整備された南端も施設損傷のため、長い間立ち入り禁止となっている。文献やネットによれば、狭い土地に東屋や太鼓橋があって(いずれもオリジナルではない)、後代設置の琵琶首観音堂の礎石があるはず。

 施設損傷と言うが、言ってみれば、城自体が大損傷しているのであるから、そんな公園施設の損傷などどうでもいいから早く立入禁止を解除して欲しいと希望します(笑)。修理の予算がないのだろうか。少しでも予算があれば、東屋などはいいから、城自体の修復に使ってほしいと思う。まあ、立入禁止のままの方が城址の保全には役立つのかもしれない。何しろ築500年(笑)。

 (訪城ノート)
 整備状況 △、保存状況 △、アクセス △、WC 無、駐車場 無

 写真1(タイトル) 流山街道側の入り口。立派な構え。右(南)が城址公園、左(北)は墓地になっている。基礎部分の石垣は、もちろん公園として整備された時の構築物。

 
 写真2 流山市街方向からみた「城山」。こんもりとした感じ。交差点は「下花輪」。標高20メートル程度だが、築城当時は見あげるようだったか。

 
 写真3 交差点下の病院から俯瞰した城址。このアングルだと要害らしく見える。江戸川はさらに低く流れているので城としては好立地だったのだろう。

 
 写真4 写真1の裏側の公園となっている入口。バックの山が花輪城址。舌状台地を利用した城がこの辺では多い。欄干が見えるが、下に小川が流れている。台地の向こうには江戸川。
 
 
 写真5 公園側からの崖。登攀しようかと思ったが、大人げないし、破壊にもなるので思いとどまった。
 ※今回の写真は写真3(ニコンP330で別テイク)以外はすべてニコンD7100、AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6 G VR IIで撮影。

 【廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー】
  その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)
  その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)
  その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)
   以下、折りに触れアップの予定。記事は、改善のため、予告なくこっそり修正されることがあります。


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