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『レ・ミゼラブル』とブレヴァール、そしてサン=サーンス

2020年04月25日 | アート
現在、NHKで放送されている『レ・ミゼラブル』 (BBC制作)を観ています。
緊急事態宣言以来、ますますテレビが面白くなくなり、ニュースですらあまり見なくなりました。いま、見ているのは、この海外ドラマと朝ドラだけです。

確かにNHKも御難で、予定していたオリンピックが延期になった影響で、それに付随した朝ドラまで気が抜けてしまっただけでなく、重要な役回りのタレントの感染死によって放送の予定が大幅に狂ってしまったようです。その他の番組も隔離収録?や再放送が多くなって見る気になりません。加えて、画面に文字情報をはめ込んで流しているので、小さな画面の家のテレビでは見にくくて仕方ありません。
さらに加えて、ニュース時には、支離滅裂な世の中になったね、ウィルスは最高の武器だねえ、戦時中とそっくりだねえなどと私が知ったかぶり放言をするので隣の妻はご機嫌がよろしくありません(笑)。

あれ、何の話でしたっけ。ああ、無情。レ・ミゼラブルでしたね。
それで『レ・ミゼラブル』を見始めた妻の隣で私も同伴して録画を見ているというわけです。この時代もコレラが流行って大変でした。おお、ミゼラブル!


フランスの歴史の中でも、革命後のレ・ミゼラブルの時代はあまり踏み込みたくないところです。踏み込んでも何とかなりそうな音楽の面をみると、ブレヴァール(Jean-Baptiste Sebastien Breval, 1753-1823)がいることを思い出しました。ブレヴァール(ブレヴァル)については、以前触れたことがあります。
ちょうど、ジャン・バルジャンがパンを盗んで牢屋に入れられた頃(1796年頃か)にブレヴァールはパリ音楽院チェロ教授になっています。彼は1823年に亡くなっていますから、コゼットの母、ファンテーヌが薄幸の末に亡くなった年ということになります。ブレヴァール自身は『レ・ミゼラブル』の世界とは無縁であったでしょうが、小説の時代と少しオーバーラップするのですね。ついでながら、メヌエットで有名なゴセック(Francois Joseph Gossec, 1734-1829)の人生後半も少し物語とかぶります。

そして、大団円の1833年、波乱万丈の人生の末にジャン・バルジャンは旅立ちますが、その2年後に生まれたのがサン=サーンスです。1835年10月9日にパリでカミーユ・サン=サーンスは誕生しますが、同月27日には父親は肺炎で亡くなってしまいます。虚弱な乳児を抱えた母、クレマンスは息子を里子に出してしまいます。
しかし、その後は母と、特に大叔母の教育で大作曲家への道を歩むのはご存知のとおりです。また、彼はヴィクトル・ユーゴーのいくつかの詩に作曲をしています。

ヴィクトル・ユーゴーは1885年に没し、国葬が執り行われました。
1886年に『動物の謝肉祭』を作曲したサン=サーンスは1921年まで生き、彼も国葬で送られました。

今夜の妄想はこれまで。
明日のNHK『レ・ミゼラブル』はいよいよ見せ場。楽しみです。


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