大学病院の緩和ケアの分野で活躍している臨床心理士の方の話を聴く機会があった。
普段から話をする、というよりも、患者さんの話に耳を傾けていることを生業としているからだろうか?
講演という形であっても、その話しぶりは流暢ながら、非常に穏やかで、耳に心地よく、聴いている私たちも自然と穏やかな気持ちになった。
ワタシが普段、多数の人たちを前にして禁煙について話をするときは、いかに相手のテンションを上げるか、つまり禁煙したい気持ち、あるいは禁煙させたい気持ちにさせるかを目的とすることが多いので、自分でもかなり(努力して)テンションを高く維持しようとしている。
結果、「元気になりました」とか、「やる気が起こりました」とかいう感想を言われることが多いのだけれど、あんなふうに心に染み入るような話し方ができたらいいなぁと思った。
講演を聴いていたある医師から、「患者さんに心の内を語ってもらうために、どんなことを心がけていますか?」という質問が出た。
本当の気持ちや心に抱いているつらさや悲しみを他人に語ることは容易ではない。
特に「以心伝心」が好きな日本人にとっては、苦手なことかもしれない。
ましてや、語る内容が、死期が迫っている折に、自分の人生を振り返ったり、残していく大切な人(たち)へのメッセージなどといったこととなれば、なおさらだ。
臨床心理士の彼女は、まず、患者さんと会う前に深呼吸をして、心を落ち着けるようにしているという。
「なるべく自分のテンションを下げるようにします。患者さんには、○○さんは足音もさせず、全く気配を感じさせずに来ますねとよく言われます。(講演中の)今のようなテンションで接したのでは、患者さんは語る気持ちにならないと思います」
人の話を聴くということは、相手の気持ちを一心に受けとめる、そういうことなのだ。
受けとめてくれると感じるからこそ、人は相手に心を開く。
普段から話をする、というよりも、患者さんの話に耳を傾けていることを生業としているからだろうか?
講演という形であっても、その話しぶりは流暢ながら、非常に穏やかで、耳に心地よく、聴いている私たちも自然と穏やかな気持ちになった。
ワタシが普段、多数の人たちを前にして禁煙について話をするときは、いかに相手のテンションを上げるか、つまり禁煙したい気持ち、あるいは禁煙させたい気持ちにさせるかを目的とすることが多いので、自分でもかなり(努力して)テンションを高く維持しようとしている。
結果、「元気になりました」とか、「やる気が起こりました」とかいう感想を言われることが多いのだけれど、あんなふうに心に染み入るような話し方ができたらいいなぁと思った。
講演を聴いていたある医師から、「患者さんに心の内を語ってもらうために、どんなことを心がけていますか?」という質問が出た。
本当の気持ちや心に抱いているつらさや悲しみを他人に語ることは容易ではない。
特に「以心伝心」が好きな日本人にとっては、苦手なことかもしれない。
ましてや、語る内容が、死期が迫っている折に、自分の人生を振り返ったり、残していく大切な人(たち)へのメッセージなどといったこととなれば、なおさらだ。
臨床心理士の彼女は、まず、患者さんと会う前に深呼吸をして、心を落ち着けるようにしているという。
「なるべく自分のテンションを下げるようにします。患者さんには、○○さんは足音もさせず、全く気配を感じさせずに来ますねとよく言われます。(講演中の)今のようなテンションで接したのでは、患者さんは語る気持ちにならないと思います」
人の話を聴くということは、相手の気持ちを一心に受けとめる、そういうことなのだ。
受けとめてくれると感じるからこそ、人は相手に心を開く。
以前は一日一箱の喫煙者で、数年前子どもが生まれて初めて禁煙したこともあり(?)、ちょくちょく読ませていただいています。
>人の話を聴くということは、相手の気持ちを一心に受けとめる、そういうことなのだ。
>受けとめてくれると感じるからこそ、人は相手に心を開く。
すごくいい言葉です。メモさせていただきました。
十年前に自分の父親を肺がんで亡くしました。おそらくタバコで。
その時、最後に面倒をみていただいたホスピスの先生の立ち居振る舞いを思い出しました。「ああ、たしかに、そうだった」と。
少々ずれるかもしれませんが、アンサンブルでも同じかも知れないなあと感じました。
コメントありがとうございます♪
たしかに、アンサンブルするときも、そうかもしれませんね!
楽器を弾くときは、パッションを大事にしたいと思っているのですが、ひとりよがりのテンションアップでは、良いアンサンブルになりませんものね。
ちょっと目からウロコでした。
ありがとうございます