8-14の夕空
久しぶりに姉の家を訪ねました
母が亡くなって久しい・・と
末っ娘(私)の 一人息子の成長を
身近に感じてくれる人として
姉の存在は有難いものです
老いた母に代わって
息子の沐浴の世話などをしてくれて
赤ちゃんのころから
息子の成長の折々を
とてもよく記憶してくれています
そして、
この度の就職内定を
亡き母に代わって
心から喜んでくれています
義兄(姉の夫)とともに
異口同音に褒めてくれたこと、
それは!
幼少期から大好きだった航空の分野に
公言通り、念願を叶えられたこと
それは
なかなか簡単なことではない
・・・と
まだまだ「内定」したというだけで
実際には来春から! の現実ではあるのですが、
そこに至る(達成)までの
息子の軌跡=成長過程への評価を
さまざまな近親者から受けるたびに
親子して
夢の実現のために歩んできた歳月を
あらためて 誇りに感じたりしました
そして、
姉夫婦の孫たちの話題にもなり、
これから 中高へ進学するときの
親としての指針といったような話題になったときに
息子の就活からの新鮮な学びを伝えることもできました
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振り返れば、
ある日突然の変異や奇跡というものではなく、
漠然としているようでいて
息子の今日(現在)に到達できることを願う中で
一貫した方針というもの=意思疎通はあった、
そう 思うのです。。
それは、
幼いころから
取捨選択は自己責任でさせてきたこと でしょうか。。
別な言い方をすれば、
提供はするけれど 押しつけはしない!
提案(=親の思うところ)する理由をわかるように伝え、
受け入れるか否かは 本人の意思に任せ、
しかし、
どんなに幼い頃でも、
自分がそうしたい理由に対しての責任=約束
という自覚を持てるように
小さな事柄での「有言実行」という意識に対してだけ
ある意味厳しく、
繰り返し言い伝えてきたかもしれません
「できない」という現象の背景にある事情or理由
そういったことについても
表面的な解釈をしないで
子供の「できない」理由を
子供自身に自覚できるように話し合って
最終的には
嫌いだからできない&やりたくない という
一見わがままな理由でも了承して
「ならば! 他に何がしたいか? 何ならできるか?」
といった風に
自分自身で対案を出させる!
その代わり!
自分が取捨選択で 選んだのだから
そのことは守ろうね! といった具合
こんな感じでしたから
周囲の同年の皆が
同じ方向性の考えでやっている物事でも
当人が「やりたくない」とか「嫌い」とか主張しても
親のバランスシートで無理強いをしたことは無く、
「やらなくていいよ~」
「その代わりに 自分が選んだ物事だけは
結果が出るまではやろうね!」
結局のところ、
何か一つは選ばざるを得ないという縛りの中での
「自由選択」というトリックでもあったかもしれませんが
要は、
四つあった場合、
どれも好きではないものが四つだったとしても
必ず一つは選ばなければならない
・・そんな感じの罰ゲームのような選択だとしても
そこで
取捨選択=比較対照して自分で決める
ということを繰り返し、
選んだものとの関わり方=好きになる努力とかその他
一定の期間は継続する責任と自覚
そんなことろには厳しかったかもしれません
果たして
それが良かったのか?悪かったのか?
けれども、
現在の息子は幸い、
その経緯によって培われた資質というものは
備わっているような気がします
仮に
最悪の選択・・・だったとしても
その時の自分は納得して選んでいること や
想定外の状況からの好転術などなど
ポジティブに受け入れる心強さは備わったような気がします
私が子育ての方針・・と言えるようなものは
他には特にはなく、
常に当人が望む物事に対する意思確認をして
それを支持してきただけでした
まぁ、
その原点と言えることは 無きにしも非ずですが・・ね
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