全くもってブログの更新ができずにいた。
理由はタイトルの通り、引っ越したのだ。スロバキアに。
ちょうど将来について考えているときに、マルツェルのスロバキアの元上司に声をかけられ、考えに考えた結果、スロバキア・ポプラドに戻ることにした。考えた内容等々はまた折りに触れて書いていこうと思う。
引っ越しとはどんな引っ越しであれ大変なものだが、近くに両親(ネラの祖父母)のいない環境で子連れの引っ越しは本当に大変だった。最後は相手をしてくれと愚図り、泣き喚くネラにマルツェルと二人して「待て!」と怒鳴りつけてしまったほどだ。段ボールと梱包された家具に囲まれ、お気に入りのおもちゃもベッドもなくなり、不安やストレスがあっても十分にかまってやれず、ネラには本当に可哀そうなことをした。
私の両親は計8回引っ越しているのだが、私と妹がいる中、よくやったなと今回つくづく感じた。
これほど今回の引っ越しが大変だったのは、近くに頼れる家族がいなかっただけでなく、スロバキアでのマルツェルの仕事が先に決まったものの、最後の最後までマルツェルのグラーツでの仕事の退職がはっきりせず、本来ならば有休を消化しつつ、引っ越し手続き、荷造りを進めようと計画していたのが、結局は毎日仕事に行きつつ、日中は私だけで荷造り(これがネラがいてはなかなか進まない)、マルツェルが帰宅してからまた荷造り、片付け、ペンキ塗り(オーストリアでは賃貸の場合、転居する際、壁を塗り替えてから出るのが一般的のよう)、スロバキアでの休暇後、怒涛のような日々を送り、先週月曜日に荷物の搬出、水曜日にマルツェルは退職し、木曜日、スロバキアへやってきた。
今後の予定は、とりあえず片付けを大急ぎで済ませ、6月中旬からは妹の結婚式に出席すべく日本へ帰国の予定だ。
まだまだしばらく落ち着かず、なかなかブログの更新もできそうにないが、今後はスロバキアから更新していきたい。
そもそもスロバキア色の濃かった私のブログ、これで堂々とスロバキアのことが書けるかな。
ブログ名も何か別のものを考えないといけない。
グラーツでの生活は1年11カ月だった。
大変なことも多かった(特にマルツェルの仕事に関して)。そして毎日がとにかく慌ただしく、マルツェルと二人して駆け抜けたかのような1年11カ月だった。が、素晴らしい数々の出会いのお陰でとても楽しく充実した日々であった。
いつかティーンエイジャーに育ったネラに、グラーツを出たことを恨まれる日が来るかもしれない。
それでも、やはりお互い外国人の環境ではなく、少なくとも片親の国スロバキアで私たちはゆっくり、じっくり子育てし、ネラにはしっかりした人格を養ったところで自分の意志で世界のどこへでも羽ばたいて欲しい(あるいは居座るか)というのが私たちの最終的な願いだ。
グラーツでお世話になった皆さま、ありがとうございました。
そしてスロバキアの皆さま、どうぞよろしくお願いします。
理由はタイトルの通り、引っ越したのだ。スロバキアに。
ちょうど将来について考えているときに、マルツェルのスロバキアの元上司に声をかけられ、考えに考えた結果、スロバキア・ポプラドに戻ることにした。考えた内容等々はまた折りに触れて書いていこうと思う。
引っ越しとはどんな引っ越しであれ大変なものだが、近くに両親(ネラの祖父母)のいない環境で子連れの引っ越しは本当に大変だった。最後は相手をしてくれと愚図り、泣き喚くネラにマルツェルと二人して「待て!」と怒鳴りつけてしまったほどだ。段ボールと梱包された家具に囲まれ、お気に入りのおもちゃもベッドもなくなり、不安やストレスがあっても十分にかまってやれず、ネラには本当に可哀そうなことをした。
私の両親は計8回引っ越しているのだが、私と妹がいる中、よくやったなと今回つくづく感じた。
これほど今回の引っ越しが大変だったのは、近くに頼れる家族がいなかっただけでなく、スロバキアでのマルツェルの仕事が先に決まったものの、最後の最後までマルツェルのグラーツでの仕事の退職がはっきりせず、本来ならば有休を消化しつつ、引っ越し手続き、荷造りを進めようと計画していたのが、結局は毎日仕事に行きつつ、日中は私だけで荷造り(これがネラがいてはなかなか進まない)、マルツェルが帰宅してからまた荷造り、片付け、ペンキ塗り(オーストリアでは賃貸の場合、転居する際、壁を塗り替えてから出るのが一般的のよう)、スロバキアでの休暇後、怒涛のような日々を送り、先週月曜日に荷物の搬出、水曜日にマルツェルは退職し、木曜日、スロバキアへやってきた。
今後の予定は、とりあえず片付けを大急ぎで済ませ、6月中旬からは妹の結婚式に出席すべく日本へ帰国の予定だ。
まだまだしばらく落ち着かず、なかなかブログの更新もできそうにないが、今後はスロバキアから更新していきたい。
そもそもスロバキア色の濃かった私のブログ、これで堂々とスロバキアのことが書けるかな。
ブログ名も何か別のものを考えないといけない。
グラーツでの生活は1年11カ月だった。
大変なことも多かった(特にマルツェルの仕事に関して)。そして毎日がとにかく慌ただしく、マルツェルと二人して駆け抜けたかのような1年11カ月だった。が、素晴らしい数々の出会いのお陰でとても楽しく充実した日々であった。
いつかティーンエイジャーに育ったネラに、グラーツを出たことを恨まれる日が来るかもしれない。
それでも、やはりお互い外国人の環境ではなく、少なくとも片親の国スロバキアで私たちはゆっくり、じっくり子育てし、ネラにはしっかりした人格を養ったところで自分の意志で世界のどこへでも羽ばたいて欲しい(あるいは居座るか)というのが私たちの最終的な願いだ。
グラーツでお世話になった皆さま、ありがとうございました。
そしてスロバキアの皆さま、どうぞよろしくお願いします。
一時帰国もあるし、暫くバタバタは続きそうだけど、千尋もネラちゃんもどうか体調を崩さないようにねU+2661
引っ越し、お疲れ様でした。
またブログを楽しみにしてます!
Kumieもいつか来てね!
今度は我が家に呼べるので、いつか是非また来てくださいね!
スロバキアへ引越しをしたんですね。
やっぱり私たちも同じような考えというか…
どっちかの母国で生活したほうが…っていう点は同感。
ここオランダ、旦那も私も外国人。
とくに本当にど田舎で、外国人もそんなにいないところ。
ここに住むとなると、オランダ語習得が必須となる。
もう何もかもが、オランダ語で頭の中がパニック状態。
私たちも、7月末に大引越しをします。
大引っ越しというとやはり日本ですか?
どこであれ、特に国境を超える引っ越しというのは大変ですよね。
私たちは同じEU圏内なのでまだラクな方だとは思いますがそれでもやっぱり大変でした。
今は荷ほどき、諸手続きが一応完了し、ほっとしているところです。
お引っ越し、頑張ってくださいね!!