スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘と私の生活
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It won't be simple, but it will be nice. 国際結婚について考える

2015-02-05 | 結婚・妊娠・出産
マルツェルの誕生日に1冊の本を贈りました。
先日手作りのコースターを送った方が書いた本です。実際彼女に会うずっと前からこの本のことは聞いていて、ずっと気になっていたのですがスロバキア語で書かれたこの本を自分で読み切る自信がなく、家族で顔見知りになった今ならマルツェルに読んでもらっても良いだろうと思い、マルツェルに贈ることにしました。

毎日マルツェルは少しずつこの本を読み進め、毎晩私にその内容を話してくれます。そして毎晩、私たちはそのことについて話し合っています。

彼女は日本で10年暮らし、日本人と結婚もしていました。(その日本人男性とは離婚、現在はスロバキア人と再婚し、スロバキアで暮らしています)彼女の目を通して描かれる日本がどんなものであるのかそれが私の最も気になるところでしたが、彼女の視点がそうなのか、読み取るマルツェルがそうなのか、話してくれるトピックは日本人とスロバキア人のメンタリティーの違い(似ているところが多いというのが彼女もマルツェルも感じるところのようですが)、結婚生活についてが中心です。マルツェルは読みながら共感すること、自分たちに重ねることが多いようで、私たちの会話の内容も自然とそれに向きます。

昨日のマルツェルの一言めの感想は今まで意識せずにきたけれど、私たちの(国際)結婚生活を維持するためにこれまでどれだけの困難を乗り越えてきたかでした。そもそも私は国際結婚も同じ国の人同士の結婚も同じだと思っています。お互い別の家庭環境、幼少時代、青春を送ってきた別の人間なのだから、それが日本人とスロバキア人であれ、日本人同士であれ、一緒に生活していくのはそれなりに大変なものだと思うのです。更にこれまでにそれほどの困難を乗り越えてきたという実感がなかっただけにそれは意外な一言でした。マルツェル曰く、彼女の本を読んでいるとすでに彼女が結婚生活を維持することが困難と感じる状況を私たちもくぐり抜けてきたというのです。

確かに私が常に感じているこがあります。付き合っているときも、そして結婚してからも私はマルツェルとの生活で文化の違いをさほど感じたことも、その違いを問題と感じたこともありませんでした。子供が生まれるまでは。子供が生まれてから文化の違いが出てくる出てくる。これでもか!とばかり本当にいたるところに現れます。たいていのことは譲り合い、お互いの意見を尊重し合うことができますが、この子供に関しての意見の違いというのは本当に厄介です。母親である私も、父親であるマルツェルも、そして祖父母であるマルツェルの両親もみんなネルカとサクルカのことを思って、最善のことをしてやりたいと思っているからです。この本の彼女もどうやら子供が生まれてからそのお互いの文化や習慣の違いに苦しんだようでした。

例えば彼女も元夫ともめたという一件。スロバキアの家は日本と同じように土足厳禁です。玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えます。子供は室内履き(靴と同じ形をしていることが多い)を履くのが普通です。日本ならば特に夏など暑いときにはスリッパも靴下も履かず裸足で過ごすことがありますが、こちらでは(少なくともマルツェルの家族では)冬は当然のことながら、夏だって裸足(靴下でさえも)で家の中を歩き回ることは許されません。足から体が冷えるというのと、子供の足の骨格をしっかり形成させるためには靴を履かないといけないというのがその理由です。義母においては裸足で過ごしたら膀胱炎になるとまで言い切ります。夏や冬でもちょっとの間くらいいいんじゃないの?というのが私の個人的な意見ですが、スロバキアにいるときはスロバキア流、日本にいるときは(実家に帰省するわずかな期間のみですが・・・)日本流にするというのを私は心がけるようにしています。子供に冷たい食べ物や飲み物を与えないスロバキア、ネルカが日本で氷の入ったジュースを飲んでいることなど知ったら義母は卒倒するにちがいありませんが、スロバキアでは常温のぬるいジュース、日本では冷えたジュースを飲んで良いよということにしています。一方のマルツェルは母親はChihirkoだからと(実際、母親だろうと父親だろうと子を思う気持ちに大差ないのだけれど)私の意見を尊重してくれています。こうして我が家の均衡は保たれています。

結婚していても片方の滞在許可を取得できなかったために、半年間別々に暮らし、その後二人でスロバキアでも日本でもなく外国で暮らすことになった夫婦の話、そして私たちは今こうしてスロバキアに腰を据えていますが、でもどこに暮らすのが私たち家族にとって最善なのだろうか(日本?スロバキア?それともそれ以外の国?)というのは他の国際結婚カップルとも話したことのある、私たちにとっての永遠の課題・難題。確かに日本人同士ならなかったであろう困難もあるものです。

そして昨日マルツェルと二人、思い出した言葉がありました。

私の就労ビザが取り消されてしまったことにより、(警察の勧めで)急遽結婚することになった私たち、とりあえず入籍をと結婚式や披露宴は後からゆっくりすることにして市役所で籍だけ入れました。それでもこちらで入籍というのは日本のように書類にサインし市役所の窓口に提出するだけのこと(もしくは郵便受けに投函するだけのこと)ではありません。市役所にあるホールで式を執り行います。何せ急な話だったこと、そして後日改めて式を挙げることを考えていたので私はウェディングドレスを着る予定がありませんでした。でもマルツェルはスーツを着るということ、私は考えた末、こちらへ来る際もしかしたら着る機会もあるかもしれないからともらった母の着物(訪問着)を着ることにしました。一人で着れない事もありませんが手を借りた方が楽なので、マルツェルに手伝ってもらおうと思っていたら、結婚前に花嫁衣裳を見せるわけにはいかないと義母が着付けを手伝ってくれると言ってくれました。

二人で着物の着付けを練習すること一週間。当日は私が着物を着るという噂が広まり、家族や親族だけでなく、マルツェルの同僚、義母の友人、同僚まで式に出席してくれました。こちらでは式の後に参列してくれた人々、一人ひとりと握手、キスを交わしお祝いの言葉をかけてもらいます。前置きが長くなりましたがその中のひとつ、義母の同僚の言葉がそれでした。彼女のお嬢さんはアメリカ人と結婚し、アメリカで生活しています。

It won't be simple, but it will be nice.

マルツェルがその場で英語に訳して教えてくれたので、スロバキア語で何と言ったのか記憶になく、そして日本語に訳してしまうのもあまりしっくり来ないので英語のままにしておきます。

そのときはあまりよく分かりませんでしたが、いつかわかる日が来るだろうと嚙み締めた言葉でした。

It won't be simple, but it will be nice.
まだ私とマルツェルの結婚生活はたったの5年ですが、この言葉の意味することが少しずつ理解できるようになってきました。



2 Comments

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素敵な言葉 (kuniko)
2015-02-11 18:19:41
Chihirkoさん、今日の記事はとても清らかな気持ちで読みました。うなずくだけです。

この本について、「すごく濃い生活をしたみたいね」と、友人がおしえてくれましたが、まだ読んでいません。

私も外国人だとか日本人同士とか、そういう感覚がないですね。
結婚するまでにも、いろいろなことを乗り越えたからこそ、「離婚」という言葉が簡単に頭に浮かんでこないのです。

It will be nice.

この部分だけ、強調されてしまう。覚えておきます。
素敵な言葉ありがとう。







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kunikoさん (chihirko)
2015-02-11 19:02:48
コメントありがとうございます。

そうきっとみなさん、結婚するまでにも色々なことを乗り越えていますよね。(kunikoさんご夫婦の馴れ初めも今度ゆっくり聞かせてくださいね!)私たちは出会ってから結婚するまでがあっという間だったので、何かを乗り越えたという記憶がない(強いて言うなら結婚する決断を下したことと、結婚手続きぐらいでしょうか)のですが。でもやっぱり「離婚」という言葉はこれまで一度も頭に浮かんだことがありません。結婚するときは「病めるときも、健やかなるときも・・・」の決まり文句にサラっと同意してしまいますが、でもこの言葉も結婚生活を送りながらその本当の意味を嚙み締めていく言葉でしょうね。

kunikoさんとご主人の人生も素敵なものでありますように!
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