
話は前後しますが
父が息を引き取り
担当の医師からは
父のレントゲンをワタシと兄に見せながら
「風邪は万病のもと、ということです」
と言葉を括られ
エレベーターの前まで送ってくださり
「お力になれなくて、残念です」
と一礼され
ワタシ達は病院をあとにした
頭の中も
体も
フラフラになりながらも
ワタシはとにかく住職、父の友人、知人
会社関係の方、親しいご近所の方々、親戚へ
父が亡くなったことを伝えた
誰もが信じられないと言った風だ
ワタシが出来る限りのことを務め
通夜、葬儀の手配をし
兄はその支払いを全てしてくれた
父の姉(伯母)が
高齢にもかかわらず
広島から駆けつけてくれた
そして
「お父さん、肺は1つじゃったん?2つあったん?」
え?どういうこと?
伯母の話では
父はまだ母と出会う前
肺の手術を受けていたのだそうだ
この話しを聞いて合点がいった
父の胸にある古い傷跡は
その手術の後だったのだと
この時初めてわかった
母に余計な心配をかけないためだったか
父はこんな大事な話を母にもしなかったらしい
そんな父だから
母が長く闘病生活であったこと
旅行にも行けなかったこと
食事も困難であったことを
女性にも話していなかったそうだ
女性はワタシに
「おとさんは、おかさんのところへ行きましたね、おかさんは何の病気でしたか」
そう聞いてきた位だ
葬儀には
女性の息子、娘も来てくれて
母である女性を一生懸命慰めるのを見ると
親想いな子供だと思った
母親に対する気遣いが良すぎて
少し驚いたくらいだ
日本で葬儀が済んで
色々手続きが進めば
女性の国で
もう一度葬儀をあげるという
葬儀を終え
翌日実家で見たのは
つづく
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