私が留学したのは、高校3年の時。
アメリカはサンタバーバラでかれこれ20年前になりますねぇ。
今の時代はどうなのかわからないけど、当時は海外からの高校留学生<日本からの留学生
の図式で、我が家にはもちろん留学生が来ることもなく、試験を受けてオリエンテーションを
受けて1年半の留学生となったのでした。
出発の年にたまたま出会った本があって、とても参考になった本が
当時の高校生だった宇田川晶子さん著がご両親に送った手紙の内容を
本にした、”ハロー フロム アメリカ!”(コバルト文庫)。
それと、吉田まゆみ著の漫画”エリー!Doing”(講談社)これもかなり
影響された!
でもあの当時は16歳、女一人でアメリカへ、なーんてそんなにポピュラーではなく、
結構珍しいケースだったよーだ。
高校の先生(デザイン系の学校)もびっくりしたし、まわりもびっくりしてた。
でも一番に心強かったのは、母と兄がとても理解が深く
私のやりたいことを何も言わずに応援してくれたこと。
お金もなかったのに、兄貴が働いて行かせてやる、の一言で決まったのだ。
円高が進んで現地でも色々あったが、結局今の自分が満足できる
人生を歩めているのは、この時の決断と努力の結果によるものだなぁと思う。
未だに兄貴には頭があがらない。
向こうでは大学生は日本人も多く、英語に苦心してる人が多いみたいだったけど、
幸いに高校では私一人。
お陰で英語もめちゃめちゃ身についてLuckyだったな。
…つづく
アメリカはサンタバーバラでかれこれ20年前になりますねぇ。
今の時代はどうなのかわからないけど、当時は海外からの高校留学生<日本からの留学生
の図式で、我が家にはもちろん留学生が来ることもなく、試験を受けてオリエンテーションを
受けて1年半の留学生となったのでした。
出発の年にたまたま出会った本があって、とても参考になった本が
当時の高校生だった宇田川晶子さん著がご両親に送った手紙の内容を
本にした、”ハロー フロム アメリカ!”(コバルト文庫)。
それと、吉田まゆみ著の漫画”エリー!Doing”(講談社)これもかなり
影響された!
でもあの当時は16歳、女一人でアメリカへ、なーんてそんなにポピュラーではなく、
結構珍しいケースだったよーだ。
高校の先生(デザイン系の学校)もびっくりしたし、まわりもびっくりしてた。
でも一番に心強かったのは、母と兄がとても理解が深く
私のやりたいことを何も言わずに応援してくれたこと。
お金もなかったのに、兄貴が働いて行かせてやる、の一言で決まったのだ。
円高が進んで現地でも色々あったが、結局今の自分が満足できる
人生を歩めているのは、この時の決断と努力の結果によるものだなぁと思う。
未だに兄貴には頭があがらない。
向こうでは大学生は日本人も多く、英語に苦心してる人が多いみたいだったけど、
幸いに高校では私一人。
お陰で英語もめちゃめちゃ身についてLuckyだったな。
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ほぼ同年代じゃないでしょーか!?
あの頃ってかなり刺激的なシチュエーションでしたよね。
今じゃぁ全然珍しくないことですけどね~♪
makirioさんも素敵な思い出を一杯抱えて
帰国されたことでしょうね☆☆
お返事ありがとうございます。あっという間に20年たってしまいました。
出発前に日航機の御巣鷹山の事故があり、飛行機やだな~と思いながらの旅立ち。
滞在中に100円近く円高になってしまったんですよね。わたしはワシントン州のシアトル郊外にいました。エリーに憧れ、やっぱりカリフォルニアに行きたかった!当時。
何度もお邪魔してしましました