鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝の6時半ごろ、リビングを開けてベランダの外を見た。

2007-03-14 09:17:56 | 直言!
まぶしい燦燦とする朝日がベランダのガラスを通して私の顔にあたる。
朝の太陽をガラス越でも浴びると体にいいと昔の人たちは言ってきた。
そして今日生かされていることに感謝して無事今日1日過ごさせてもらえるように合掌した。
合掌はしなかったが燦燦とした朝日を拝める普通の暮らしに感謝していた。
たいして裕福でもない。質素な倹約生活だが朝、夫と2人朝食のできることに心で感謝していた。

今は朝の8時40分過ぎである。すでに太陽は上の方に昇ってしまった。
しかし2・3日前から寒気が入って寒い。
暖冬だった今年だが私は自然がそう甘くないと思っていた。
春の前にちゃんと自然は帳尻を合わせて冬を送り出している。
自然の営みの不思議さを思う。

今日は守口の現場に入ることができれば入ろうと考えたが体を休養しないといけないと判断して今日の現場は中止して自宅で過ごすことにした。
先週もなんだかんだとよく出ていた。そして土曜日も日曜日もなかった。そして月曜日・火曜日と現場に入った。
企画記事なので少々つかれるが初めて出会う事柄は楽しい。どんなふうに在日同胞の読者に伝えられるのか。その記事を読んで読者の顔がほころびるのを創造して企画取材を楽しんで現場に出かける。
初めて聞く事柄にあれもこれも聞こうとするので時間は取る。そして疲れるが出来上がるときの読者の顔を思い浮かべるとそんな苦労はふっとんでしまう。
だから企画取材はまた楽しい。
在日同胞が日本の地域で一緒になってしている活動の取材もまた楽しい。
みんな目がキラキラしている。
1世ができなかったことを少しずつひろげている共生の社会に人情を肩にかけて親がしてくれた教育を無駄にしないで日本の地域で在日韓国人と日本人との共生の活動をしている光景はほほえましいものである。
昨日、お会いした民族学級のアボジ(お父さん)も目が澄んでキラキラしていた。民族教育の原点はアボジのアボジにあった。
子どものころ、まだ小学校に行かないのにこのアボジをつれられてデモに参加したと言う。
そして民団支部をたちあげてきたころ子どもだったがそれも見てきたという。
しらずしらずの間にアボジの背中を通して自分という民族を知っていった。民族学級を卒業して子どもたちがまた民族学級に行く。
自然の中で民族教育がされている。
自然にありのままに生きてこられた人生、目が澄んで輝いていた。燃えている情熱なのに目が澄んでいた。
かつて韓国は日本植民地支配されるまでは当時の民族は純粋でこんな目をしていたのかとふと思った。
こんな純粋でキラキラした目から先人たちが民族の土地などを奪われた当時の歴史を彼の目からふと考えた。
民族の仲間と楽しんでいる。楽しくする仕掛けを作っている。
2世の40代は60代ができなかったことをありのままにしている。
在日同胞の40代、30代、20代、がんばれ、がんばれと心の中でエールを送っていた。60代ができなかったことを着実に歩んでいる彼らたちの活動をまた同胞たちにお知らせできる記者冥利に感謝をしている。
さてそれをどんなふうに構成していこうか-----。
今日は考えなければならない。
とりあえず休憩して新聞を読もう。
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