ハラハラドキドキしながら見ていた。
夫は「今日は阪神戦を見るから」と朝からそう言っていた。しかたないなあと思った。しかし野球が早く終わった。
「ズバリ言うわよ」の番組、もうこの番組はこのごろはもう見ていない。新鮮味がなくなって面白くなくなってきたからだ。
しかし昨日は池波志保さんの出演だった。
中尾彬さんの奥さんと言うより池波志保さんを見たいから見た。
池波さんは私の高校時代あたりから雑誌「女学生の友」の付録のファッション雑誌にモデルで出ていた。池波志保さんはその中で目立った。当時はモデルの名前は知らなかったが後日知ることになる。
特別美人でもない。目と目とが離れすぎている。唇も人目を引くようなものではなかったがファッション雑誌から目だっていた。
当時、ファッション雑誌というと可愛いか美人かでないとなれないと思い込んでいた。私は「なんでこんな人がモデルになっているのだろうか」と思った。
そして高校卒業して勤めながら夜間の洋裁学校に行きだして「ドレスメーキング」の雑誌を買い出したがここにも池波志保さんがモデルとして登場していた。
何年もどこの誰か知らなかった。
やがて何年かして映画にも出るようになって落語家の娘さんであると分かった。
だから親の七光りでそうした仕事ができると1人で納得していた。
しばらくして中尾彬さんと結婚した。世間を騒がせた。
中尾彬さんは再婚、池波志保さんは初婚、しかし中尾彬さんが池波志保さんを絶賛して褒めていた。料理の腕は抜群だという。
そのうち中尾彬さんはバライテイー番組などに、へんちくりんのネクタイのようなスカーフのような格好して出てくるようになった。昔はもっと毒舌家だったが今はずいぶんおとなしくなられたと思う。江守徹さんとのコンビも絶妙である。
池波志保さんは中尾彬さんとの結婚でどちらも個性の強い人と見るようになった。私は高校時代からファッション雑誌を見て池波志保さんに興味があったのでテレビに出られると見られるときは見ていた。
昨日のテレビでは私が見た高校時代のファッション雑誌からずいぶんかけ離れた美人の奥さんになっていた。いお、女優である。
化粧も自分の顔と合わせて工夫して化粧をしておられた。
とても笑顔の綺麗な人だった。
自分の信じた人と一緒に半生を歩いてこられた自信は笑顔に出ていた。
テレビでは計算高いと盛んに言われていたが私はそう思っていなかった。
自分のやりたいことをしてこられた。そして親を頼らずに自分で工夫して人生を工夫して生きてこられたのが分かった。それが笑顔に出ていた。
今の池波志保さんなら好きになれそうな気がした。
中尾彬さんは俳優でもともと雲の上の人で目の前でお目にかかることもないがなんか個性が強そうでちょっと手ごわくて引いてしまう。
しかし池波志保さんと結婚されてからは人間的に温かくなられたのはわかる。
何年来で池波志保さんをテレビで拝見したが1960年代に青春を過ごしたそのままの笑顔が画面にあふれていた。
たぶん中尾彬さんに尽くして尽くしてこられたのだろう。お互いに惚れあって結婚したものだからその恋女房の愛情が中尾彬さんにあふれている。
女学生の友のファッション雑誌にでていた頃のモデルの服はワンピースが多かった。よそいきが町に出始めたころだった。ようやく日本が戦後復興から立ち直る兆しを見せていた。
韓国では韓国動乱の後で国土は荒廃して人々は生活苦にあえいでいた。
日本に暮していた在日コリアンの生活も苦しかった。このとき北(北朝鮮)に帰国した同胞が多かった。まさか日本に2度と戻れないと思ってもみなかっただろう。
それが違っていた。そして政変が変わった。今は韓国が経済の先進国に入った。中国から強烈なライバルが押し寄せている。北は食べるものがなくて一般の人は苦しんでいる。
日本に住む在日同胞は1・2世が築いた経済基盤の中でなんとか暮らしている。
そんな時代の変遷をテレビで見ながら考えていた。
やはり人間、笑顔の美しさがその人の生き様を見るようだ。
夫は「今日は阪神戦を見るから」と朝からそう言っていた。しかたないなあと思った。しかし野球が早く終わった。
「ズバリ言うわよ」の番組、もうこの番組はこのごろはもう見ていない。新鮮味がなくなって面白くなくなってきたからだ。
しかし昨日は池波志保さんの出演だった。
中尾彬さんの奥さんと言うより池波志保さんを見たいから見た。
池波さんは私の高校時代あたりから雑誌「女学生の友」の付録のファッション雑誌にモデルで出ていた。池波志保さんはその中で目立った。当時はモデルの名前は知らなかったが後日知ることになる。
特別美人でもない。目と目とが離れすぎている。唇も人目を引くようなものではなかったがファッション雑誌から目だっていた。
当時、ファッション雑誌というと可愛いか美人かでないとなれないと思い込んでいた。私は「なんでこんな人がモデルになっているのだろうか」と思った。
そして高校卒業して勤めながら夜間の洋裁学校に行きだして「ドレスメーキング」の雑誌を買い出したがここにも池波志保さんがモデルとして登場していた。
何年もどこの誰か知らなかった。
やがて何年かして映画にも出るようになって落語家の娘さんであると分かった。
だから親の七光りでそうした仕事ができると1人で納得していた。
しばらくして中尾彬さんと結婚した。世間を騒がせた。
中尾彬さんは再婚、池波志保さんは初婚、しかし中尾彬さんが池波志保さんを絶賛して褒めていた。料理の腕は抜群だという。
そのうち中尾彬さんはバライテイー番組などに、へんちくりんのネクタイのようなスカーフのような格好して出てくるようになった。昔はもっと毒舌家だったが今はずいぶんおとなしくなられたと思う。江守徹さんとのコンビも絶妙である。
池波志保さんは中尾彬さんとの結婚でどちらも個性の強い人と見るようになった。私は高校時代からファッション雑誌を見て池波志保さんに興味があったのでテレビに出られると見られるときは見ていた。
昨日のテレビでは私が見た高校時代のファッション雑誌からずいぶんかけ離れた美人の奥さんになっていた。いお、女優である。
化粧も自分の顔と合わせて工夫して化粧をしておられた。
とても笑顔の綺麗な人だった。
自分の信じた人と一緒に半生を歩いてこられた自信は笑顔に出ていた。
テレビでは計算高いと盛んに言われていたが私はそう思っていなかった。
自分のやりたいことをしてこられた。そして親を頼らずに自分で工夫して人生を工夫して生きてこられたのが分かった。それが笑顔に出ていた。
今の池波志保さんなら好きになれそうな気がした。
中尾彬さんは俳優でもともと雲の上の人で目の前でお目にかかることもないがなんか個性が強そうでちょっと手ごわくて引いてしまう。
しかし池波志保さんと結婚されてからは人間的に温かくなられたのはわかる。
何年来で池波志保さんをテレビで拝見したが1960年代に青春を過ごしたそのままの笑顔が画面にあふれていた。
たぶん中尾彬さんに尽くして尽くしてこられたのだろう。お互いに惚れあって結婚したものだからその恋女房の愛情が中尾彬さんにあふれている。
女学生の友のファッション雑誌にでていた頃のモデルの服はワンピースが多かった。よそいきが町に出始めたころだった。ようやく日本が戦後復興から立ち直る兆しを見せていた。
韓国では韓国動乱の後で国土は荒廃して人々は生活苦にあえいでいた。
日本に暮していた在日コリアンの生活も苦しかった。このとき北(北朝鮮)に帰国した同胞が多かった。まさか日本に2度と戻れないと思ってもみなかっただろう。
それが違っていた。そして政変が変わった。今は韓国が経済の先進国に入った。中国から強烈なライバルが押し寄せている。北は食べるものがなくて一般の人は苦しんでいる。
日本に住む在日同胞は1・2世が築いた経済基盤の中でなんとか暮らしている。
そんな時代の変遷をテレビで見ながら考えていた。
やはり人間、笑顔の美しさがその人の生き様を見るようだ。
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