
あまりにも痛い激痛に骨が折れていると思ったほどだった。
左足が外側にグネッテしまった。靭帯が伸びている。そして他の骨とあたっているという。
ひっくりかえったときは痛くなかった。だから行きつけの銀杏やさんの喫茶店に行った。
となりの人が話してきた。仕事でなくコピーを取りにでてきたのでカメラを持っていなかった。そして携帯電話を取り出して店の片隅の一角にある生花のアートを撮った。
そしたらやはり彼女も気になるのか「ここのアートの展示が大好きです」と話す。それで私は「ここのオーナーの娘婿さんがもともとデザイナーを職業にしておられたけれど奥さんのお母さんが高齢になられたので会社をやめてこの店の経営をしておられる」と話したら「そうだったのですか。それでこの店は他の店とちがう雰囲気があるので気に入ってここに時々来るのです」と話された。
最初は店に展示されている絵画の話しなどあたりさわりなくしていた。
そして私に「何をしているのですか。感性が違う」といわれるが名のるほどの仕事でもないので「そう。対したことはしていないです」と言っていわなかった。
話していると彼女は私に自分のことを話した。
現在は夫と別居中で1人でマンション暮らしをしている。
夫は実家にいるが姑さんが「もう私、面倒見るのがしんどいので、そろそろ引き取ってもらえませんかと電話かかってくるのです」と言っていた。
「今の生活が楽です。私も仕事をもっているので仕事に没頭できる。仕事のない時は趣味に没頭している」と話した。
私はそんな根性が悪くないので相手が身の上話をするとたいてい自分の身分を名のるようにしているので私は在日韓国人の2世で韓国系の機関紙の記者をしていると話した。
そしたらまた彼女は自分のことを話した。50代過ぎの女性、私よりずっと若い人である。
自分は台湾国籍です。親がものすごく苦労しました。しかし私はあるところに養女になって母親の違うことを大きくなるまで知らなかったと言う。
学生時代、恋愛した人は父親が在日韓国人の1世で母親は日本人、大阪市生野区で暮らしている。結婚する時夫の父親がものすごく反対したという。しかし母親が賛成してくれて結婚できた。姑は家族の祭祀に行っていない。日本人を受け入れてもらえなかったという。だから舅だけが祭祀に行っているという。それで1世の父親は息子の嫁にもそんな苦労をさせたくないと考えて反対したという。
姑は今も煙草屋さんをしてしっかりものだが年をとってきたのかもう息子の面倒みるのに疲れたから引き取ってほしいという。
彼女は病気で入院したりして夫は実家に帰っていったきり戻ってこない。
そして彼女は言う。
血がそうさせるのか。台湾のものに惹かれていく。そして日本人とまた発想が違う。DNAがそうさせている。必ず自分のDNAに目覚めていくとも話した。
「私は複雑なのです。台湾、日本、韓国と多様な民族が家族です」と話してくれた。そして「私も差別をいっぱいされて辛いことがたくさんありました」と話した。
こんな話を聞いていて日本社会は未だに日本植民地支配の歴史を肩に担いで生きている人が多くおられることに気がついた。
そして彼女は話す。「どういうわけか在日韓国人のお友だちも多いのです」と笑っていた。こうした歴史史実、日本政府は忘れていないでしょうね。
写真は携帯で撮ったのでボヤケてしまった。あしからず。
後ろの緑の葉っぱ、自宅の鉢植えで里芋の苗を育てると2メートルものに育ったという。それで里芋の鉢植えを持ってこられた。後ろに薔薇がいけてある。前は霞草の花に似ているが薄いピンクの小花、話をしていた彼女が花の名前ほ教えてくれたがメモにとらなかったらすっかり忘れてしまった。
本物をみたい人はぜひ、銀杏やさんに言ってみて下さい。店の奥さんやスタッフが一緒になってアートされたものです。
ここを見るだけでもコーヒーの味が格別に美味しくなるのです。
左足が外側にグネッテしまった。靭帯が伸びている。そして他の骨とあたっているという。
ひっくりかえったときは痛くなかった。だから行きつけの銀杏やさんの喫茶店に行った。
となりの人が話してきた。仕事でなくコピーを取りにでてきたのでカメラを持っていなかった。そして携帯電話を取り出して店の片隅の一角にある生花のアートを撮った。
そしたらやはり彼女も気になるのか「ここのアートの展示が大好きです」と話す。それで私は「ここのオーナーの娘婿さんがもともとデザイナーを職業にしておられたけれど奥さんのお母さんが高齢になられたので会社をやめてこの店の経営をしておられる」と話したら「そうだったのですか。それでこの店は他の店とちがう雰囲気があるので気に入ってここに時々来るのです」と話された。
最初は店に展示されている絵画の話しなどあたりさわりなくしていた。
そして私に「何をしているのですか。感性が違う」といわれるが名のるほどの仕事でもないので「そう。対したことはしていないです」と言っていわなかった。
話していると彼女は私に自分のことを話した。
現在は夫と別居中で1人でマンション暮らしをしている。
夫は実家にいるが姑さんが「もう私、面倒見るのがしんどいので、そろそろ引き取ってもらえませんかと電話かかってくるのです」と言っていた。
「今の生活が楽です。私も仕事をもっているので仕事に没頭できる。仕事のない時は趣味に没頭している」と話した。
私はそんな根性が悪くないので相手が身の上話をするとたいてい自分の身分を名のるようにしているので私は在日韓国人の2世で韓国系の機関紙の記者をしていると話した。
そしたらまた彼女は自分のことを話した。50代過ぎの女性、私よりずっと若い人である。
自分は台湾国籍です。親がものすごく苦労しました。しかし私はあるところに養女になって母親の違うことを大きくなるまで知らなかったと言う。
学生時代、恋愛した人は父親が在日韓国人の1世で母親は日本人、大阪市生野区で暮らしている。結婚する時夫の父親がものすごく反対したという。しかし母親が賛成してくれて結婚できた。姑は家族の祭祀に行っていない。日本人を受け入れてもらえなかったという。だから舅だけが祭祀に行っているという。それで1世の父親は息子の嫁にもそんな苦労をさせたくないと考えて反対したという。
姑は今も煙草屋さんをしてしっかりものだが年をとってきたのかもう息子の面倒みるのに疲れたから引き取ってほしいという。
彼女は病気で入院したりして夫は実家に帰っていったきり戻ってこない。
そして彼女は言う。
血がそうさせるのか。台湾のものに惹かれていく。そして日本人とまた発想が違う。DNAがそうさせている。必ず自分のDNAに目覚めていくとも話した。
「私は複雑なのです。台湾、日本、韓国と多様な民族が家族です」と話してくれた。そして「私も差別をいっぱいされて辛いことがたくさんありました」と話した。
こんな話を聞いていて日本社会は未だに日本植民地支配の歴史を肩に担いで生きている人が多くおられることに気がついた。
そして彼女は話す。「どういうわけか在日韓国人のお友だちも多いのです」と笑っていた。こうした歴史史実、日本政府は忘れていないでしょうね。
写真は携帯で撮ったのでボヤケてしまった。あしからず。
後ろの緑の葉っぱ、自宅の鉢植えで里芋の苗を育てると2メートルものに育ったという。それで里芋の鉢植えを持ってこられた。後ろに薔薇がいけてある。前は霞草の花に似ているが薄いピンクの小花、話をしていた彼女が花の名前ほ教えてくれたがメモにとらなかったらすっかり忘れてしまった。
本物をみたい人はぜひ、銀杏やさんに言ってみて下さい。店の奥さんやスタッフが一緒になってアートされたものです。
ここを見るだけでもコーヒーの味が格別に美味しくなるのです。
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