見ていたと言うより彼岸花を探した。
毎年咲くのが平城宮跡の中にある法華寺町よりの田んぼの中である。3日ほど前は見なかったのに昨日の夕方、電車の窓から見えた。
今日の電車は平城宮跡がよく見えるところで車窓からみると田んぼのあぜ道、横は1メートルの歩道になっているがあぜ道10数メートルにわたって真っ赤な彼岸花が咲いていた。取入れまでまだ少し早い稲穂はまだ薄黄緑色である。
彼岸花と稲穂の景色が見事なコントラストになっている。カメラで撮りたくなる初秋の景色である。
しばらく電車は奈良市の高の原を通り過ぎるが彼岸花はほとんど見えない。
京都府相楽郡相楽(さがなか)の近鉄山田川を過ぎると新興住宅の木津川台である。そしてここを過ぎると精華町の新祝園(しんほうそうの)駅、まだまだ田んぼの景色がのこっている。
ところどころに彼岸花が見える。
そして線路沿いに10数本が固まって咲きいている。20数メートルほどの間隔をあけて咲いている。
こんな景色を見ていると私の故郷、木津町を思い出した。
JR木津駅から高校に行く道は民家があるものの田んぼの中を通って内田山にある高校通学した。
季節、季節の変わり目を見てきた。当時は彼岸花も田んぼのあぜ道にいっぱい咲いていた。それが普通の景色だった。
まさかこんなに都市開発されて彼岸花の咲かないところに住むとは当時は思ってもみなかった。
季節の当たり前としてみていた。
それが町の真ん中に暮らしコンクリートの住まいでの生活にそうした季節の変わり目は電車に乗った車窓からしか見ることができなくなった。
あの当時は電話も皆の家になかった。それが今や各自の鞄の中に入っている携帯電話になった。電話は1人1人の持ち物になってしまった。
こんな時代がくるとは予想していなかった。
そういえば高校3年の物理教師の言葉も思い出した。
1964年に入って「鉄腕アトム」の漫画がテレビで放映されるようになった。
当時は「漫画」ということに親も教師も毛嫌いをしていた。
白黒の画面だったが年の離れた弟が「鉄腕アトム」を見ていた。
こんな小さな弟とテレビのチャンネルをとりあいをした。
弟が見せてくれと泣いていたのが「鉄腕アトム」だった。
物理の教師は授業中に話した。
「鉄腕アトムの漫画は素晴らしい。あの漫画は見るように。未来の日本は必ずああなる。高速道路もできる。未来の日本だから漫画を見るように」と話した。
私は心の中で「えっ。漫画をみるように」と言う。どういうことと思った。
そして家に帰っても「鉄腕アトム」の漫画を褒めた。
「漫画は未来を見通している。漫画から現実になっている」と話す。
大人たちは「鉄腕アトム」の漫画をほめた。
日本の科学技術の憧れだったのだろうか。
まさかビルとビルとの間に道路ができるとは思っても見なかった。空中の道路に車が走るとは考えられなかった。まだまだそんなことを想像する映像ができなかった。
それが「鉄腕アトム」を生み出した作者が驚くほど日本は漫画の世界が現実になり文明国家になった。
高校生のころの私は「鉄腕アトム」の漫画は空想の世界だと思っていた。けっしてかなえられない夢の世界の漫画だと思っていた。
それが彼岸花に感動するほど時代は猛スピードで変わった。
こんなことが頭の中で走馬灯に走っていた。
伊勢田をすぎるころまで線路沿いの彼岸花の色を楽しんでいた。
そして桃山御陵前にくると線路沿いは雑草の生えないコンクリートで造形されていた。自然破壊がされて彼岸花もさかない都市の景色になっていた。
竹田駅の一角に田んぼがあった。ここにわずかばかりの彼岸花をみた。
自然に心が安らぐ。
精華町にも高校時代の同級生がたくさんいる。
わずかだが田んぼの間にみえる彼岸花にどんな思いをしているだろうとふと思った。
車窓の日差しはまだ強かったが彼岸花を見たくてカーテンをしないで車窓の景色を見ていた。晩夏の景色は初秋になっている。
そろそろ稲刈りの時がくる。稲刈りの時期になると晩秋の前になる。
稲刈りの時期になると田んぼの稲刈りを手伝い脱穀機を手伝った中学生のころを思い出す。少しでも生活のために父は2反の田んぼで米を作っていた。会社員をしながらの田んぼ作り。日曜日になると子どもも手伝いをしなければならなかった。
脱穀した米をリヤカーに積んで父は自転車の前をひっぱった。子どもたちの私たちは坂道を押したり引いたりしながら日暮れの道を帰った。
西の空遠くに太陽が沈んでいく。西の空の太陽を見ながら家路に向った。あの夕焼けの景色はなんともいえないぐらいに美しかった。
自然に「夕焼け小焼けで日が暮れて-----」と歌ったものだ。
そんな家族も私と弟だけになった。
父も母も妹もあの世に行ってしまった。
みんな何を考えてあの夕焼けをみていたのだろう。
夕焼けの色にも似た彼岸花、何もなかった時代の郷愁にひたってしまう。
生きていることのありがたさをしみじみに思う。
ことしも田んぼの中から咲いていた彼岸花が見ることができてよかった。
明日も大事に生きなければならない。生かされていることに感謝を
毎年咲くのが平城宮跡の中にある法華寺町よりの田んぼの中である。3日ほど前は見なかったのに昨日の夕方、電車の窓から見えた。
今日の電車は平城宮跡がよく見えるところで車窓からみると田んぼのあぜ道、横は1メートルの歩道になっているがあぜ道10数メートルにわたって真っ赤な彼岸花が咲いていた。取入れまでまだ少し早い稲穂はまだ薄黄緑色である。
彼岸花と稲穂の景色が見事なコントラストになっている。カメラで撮りたくなる初秋の景色である。
しばらく電車は奈良市の高の原を通り過ぎるが彼岸花はほとんど見えない。
京都府相楽郡相楽(さがなか)の近鉄山田川を過ぎると新興住宅の木津川台である。そしてここを過ぎると精華町の新祝園(しんほうそうの)駅、まだまだ田んぼの景色がのこっている。
ところどころに彼岸花が見える。
そして線路沿いに10数本が固まって咲きいている。20数メートルほどの間隔をあけて咲いている。
こんな景色を見ていると私の故郷、木津町を思い出した。
JR木津駅から高校に行く道は民家があるものの田んぼの中を通って内田山にある高校通学した。
季節、季節の変わり目を見てきた。当時は彼岸花も田んぼのあぜ道にいっぱい咲いていた。それが普通の景色だった。
まさかこんなに都市開発されて彼岸花の咲かないところに住むとは当時は思ってもみなかった。
季節の当たり前としてみていた。
それが町の真ん中に暮らしコンクリートの住まいでの生活にそうした季節の変わり目は電車に乗った車窓からしか見ることができなくなった。
あの当時は電話も皆の家になかった。それが今や各自の鞄の中に入っている携帯電話になった。電話は1人1人の持ち物になってしまった。
こんな時代がくるとは予想していなかった。
そういえば高校3年の物理教師の言葉も思い出した。
1964年に入って「鉄腕アトム」の漫画がテレビで放映されるようになった。
当時は「漫画」ということに親も教師も毛嫌いをしていた。
白黒の画面だったが年の離れた弟が「鉄腕アトム」を見ていた。
こんな小さな弟とテレビのチャンネルをとりあいをした。
弟が見せてくれと泣いていたのが「鉄腕アトム」だった。
物理の教師は授業中に話した。
「鉄腕アトムの漫画は素晴らしい。あの漫画は見るように。未来の日本は必ずああなる。高速道路もできる。未来の日本だから漫画を見るように」と話した。
私は心の中で「えっ。漫画をみるように」と言う。どういうことと思った。
そして家に帰っても「鉄腕アトム」の漫画を褒めた。
「漫画は未来を見通している。漫画から現実になっている」と話す。
大人たちは「鉄腕アトム」の漫画をほめた。
日本の科学技術の憧れだったのだろうか。
まさかビルとビルとの間に道路ができるとは思っても見なかった。空中の道路に車が走るとは考えられなかった。まだまだそんなことを想像する映像ができなかった。
それが「鉄腕アトム」を生み出した作者が驚くほど日本は漫画の世界が現実になり文明国家になった。
高校生のころの私は「鉄腕アトム」の漫画は空想の世界だと思っていた。けっしてかなえられない夢の世界の漫画だと思っていた。
それが彼岸花に感動するほど時代は猛スピードで変わった。
こんなことが頭の中で走馬灯に走っていた。
伊勢田をすぎるころまで線路沿いの彼岸花の色を楽しんでいた。
そして桃山御陵前にくると線路沿いは雑草の生えないコンクリートで造形されていた。自然破壊がされて彼岸花もさかない都市の景色になっていた。
竹田駅の一角に田んぼがあった。ここにわずかばかりの彼岸花をみた。
自然に心が安らぐ。
精華町にも高校時代の同級生がたくさんいる。
わずかだが田んぼの間にみえる彼岸花にどんな思いをしているだろうとふと思った。
車窓の日差しはまだ強かったが彼岸花を見たくてカーテンをしないで車窓の景色を見ていた。晩夏の景色は初秋になっている。
そろそろ稲刈りの時がくる。稲刈りの時期になると晩秋の前になる。
稲刈りの時期になると田んぼの稲刈りを手伝い脱穀機を手伝った中学生のころを思い出す。少しでも生活のために父は2反の田んぼで米を作っていた。会社員をしながらの田んぼ作り。日曜日になると子どもも手伝いをしなければならなかった。
脱穀した米をリヤカーに積んで父は自転車の前をひっぱった。子どもたちの私たちは坂道を押したり引いたりしながら日暮れの道を帰った。
西の空遠くに太陽が沈んでいく。西の空の太陽を見ながら家路に向った。あの夕焼けの景色はなんともいえないぐらいに美しかった。
自然に「夕焼け小焼けで日が暮れて-----」と歌ったものだ。
そんな家族も私と弟だけになった。
父も母も妹もあの世に行ってしまった。
みんな何を考えてあの夕焼けをみていたのだろう。
夕焼けの色にも似た彼岸花、何もなかった時代の郷愁にひたってしまう。
生きていることのありがたさをしみじみに思う。
ことしも田んぼの中から咲いていた彼岸花が見ることができてよかった。
明日も大事に生きなければならない。生かされていることに感謝を
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます