そういえば彼女は何年か前に私に「私の人生はいろいろあったので、いっぺん私の半世紀を書いて」と冗談か本気かともつかず私に話したことがあった。
もし彼女がとびきりの美人に生まれていなかったら人生は変わっただろうか。
彼女の運命が変わったのが戦後まもない1953年(昭和28年)の8月の「山城水害」で2人の兄を失ってからだった。
兄たちも一緒に1度、洪水から逃げたのに自宅を見に行くといった2人の兄が山崩れにあって2人とも亡くなった。
家の跡取り息子をなくした親はその後、彼女を片時も話さず束縛した。
誰が見てもほれぼれする美人だった。
親の目からもそう見えただろう。
田舎だったが中学校に上がると下校の時間にも親は心配した。
というのは中学校に上がると多くのラブレターが家に舞い込み一切この手紙は親が隠し通した。
高校は私と同じ木津高で同じクラスだった。下駄箱には毎日ラブレターが入っているほど多くの男子生徒が憧れた。
結婚は親が決めた地元の人と結婚した。
その後、彼女は親の面倒を見るが1970年代ではまだまわりに知られていなかった認知症だった。徘徊に泣かされたという。
両親を見送って相楽郡の山奥から奈良市内に引越しをしてきて奈良にしばらく住んでいたがご主人の定年退職を機会にまた生まれ故郷に戻った。
定年退職前に冗談とも本気ともつかない言葉が耳に残っていた。
定年退職されて銀行にこなくなったのでもう3年近く見なくなったのだろうか。
なぜか気になる。
なぜだろう。
今日、思い切って電話をした。
最初は話中だった。しばらくしてかけると留守電になっていた。
どこかに出かけたのかのかなと思って電話を切った。
そしたら電話がかかってきた。
そうか。電話番号が表示されているのか。ご主人はNTTの前身、電信電話公社に勤務していた。
電話表示ぐらいすぐできる。
私もしょうかと考えるがまたややこしい手続きにうっとおしくなってしていない。
電話がかかってきた。
元気な声だった。
すごい美人なのに相楽弁を話すので美人の人はツンとしているイメージは吹っ飛んでしまう。あれもこれも話してしまう。本音で話している。
美人の顔から「ほんまえねん」「せやねんで」「せやさかい」と言う言葉がでてくる。
「そんなできひんて」とか------。
久しぶりに同級生と電話で話しをした。
そしてあれこれ話しをしていて言うのを忘れていた。
八木君の息子がサバンナ八木ということを忘れてしまった。
今度奈良に来る時、昼ごはん、一緒に食べようと約束したのでそのとき話そう。
久しぶりにあれやらこれやら話した。
話しをしなかったらあまりにも美人、年齢を重ねても美人、それで顔を見ただけで話しをしないおすましさんと思われがちだがそうじゃない。
気さくな人である。
1度、私の女友達に紹介したことがあった。
「美人やな」と言った。
あんな山奥にこんな美人がいたのかと思う。
昔、高校の古典の教師が授業中に言った。
「同じ木津川の産湯でも上流の産湯につかったものは美人ができる。木津のような下流の産湯はあかん」と言った。
それに激怒した何人かの同級生がいた。
私は自分で美人でないと納得していたので腹もたたなかったが何人か怒っていた。今だったらセクハラで訴えられそうな発言だった。
古典の教師も言うぐらいだったの美人だった。
またいつか会えること楽しみにしておこう。
まあ元気な声を聞いたので安心した。
もし彼女がとびきりの美人に生まれていなかったら人生は変わっただろうか。
彼女の運命が変わったのが戦後まもない1953年(昭和28年)の8月の「山城水害」で2人の兄を失ってからだった。
兄たちも一緒に1度、洪水から逃げたのに自宅を見に行くといった2人の兄が山崩れにあって2人とも亡くなった。
家の跡取り息子をなくした親はその後、彼女を片時も話さず束縛した。
誰が見てもほれぼれする美人だった。
親の目からもそう見えただろう。
田舎だったが中学校に上がると下校の時間にも親は心配した。
というのは中学校に上がると多くのラブレターが家に舞い込み一切この手紙は親が隠し通した。
高校は私と同じ木津高で同じクラスだった。下駄箱には毎日ラブレターが入っているほど多くの男子生徒が憧れた。
結婚は親が決めた地元の人と結婚した。
その後、彼女は親の面倒を見るが1970年代ではまだまわりに知られていなかった認知症だった。徘徊に泣かされたという。
両親を見送って相楽郡の山奥から奈良市内に引越しをしてきて奈良にしばらく住んでいたがご主人の定年退職を機会にまた生まれ故郷に戻った。
定年退職前に冗談とも本気ともつかない言葉が耳に残っていた。
定年退職されて銀行にこなくなったのでもう3年近く見なくなったのだろうか。
なぜか気になる。
なぜだろう。
今日、思い切って電話をした。
最初は話中だった。しばらくしてかけると留守電になっていた。
どこかに出かけたのかのかなと思って電話を切った。
そしたら電話がかかってきた。
そうか。電話番号が表示されているのか。ご主人はNTTの前身、電信電話公社に勤務していた。
電話表示ぐらいすぐできる。
私もしょうかと考えるがまたややこしい手続きにうっとおしくなってしていない。
電話がかかってきた。
元気な声だった。
すごい美人なのに相楽弁を話すので美人の人はツンとしているイメージは吹っ飛んでしまう。あれもこれも話してしまう。本音で話している。
美人の顔から「ほんまえねん」「せやねんで」「せやさかい」と言う言葉がでてくる。
「そんなできひんて」とか------。
久しぶりに同級生と電話で話しをした。
そしてあれこれ話しをしていて言うのを忘れていた。
八木君の息子がサバンナ八木ということを忘れてしまった。
今度奈良に来る時、昼ごはん、一緒に食べようと約束したのでそのとき話そう。
久しぶりにあれやらこれやら話した。
話しをしなかったらあまりにも美人、年齢を重ねても美人、それで顔を見ただけで話しをしないおすましさんと思われがちだがそうじゃない。
気さくな人である。
1度、私の女友達に紹介したことがあった。
「美人やな」と言った。
あんな山奥にこんな美人がいたのかと思う。
昔、高校の古典の教師が授業中に言った。
「同じ木津川の産湯でも上流の産湯につかったものは美人ができる。木津のような下流の産湯はあかん」と言った。
それに激怒した何人かの同級生がいた。
私は自分で美人でないと納得していたので腹もたたなかったが何人か怒っていた。今だったらセクハラで訴えられそうな発言だった。
古典の教師も言うぐらいだったの美人だった。
またいつか会えること楽しみにしておこう。
まあ元気な声を聞いたので安心した。
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