鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

夕方の4時21分、もう夕食の支度をしないといけない。

2010-02-26 16:58:17 | 直言!
ライフワークをしないといけないが1日、ゆっくりフトンの中で寝て休養したい。
ずっと腰痛と足の痛いことに悩んできてゆっくりと休んでいない。
痛み止めの薬で腰痛は3日で治ったが後、足にきた。これがまた屈んでも痛い。座っても痛い。寝てもあたると痛い。やっと足も一昨日あたりから痛みがなくなってきた。そんなことでゆっくり1日は休養したいがそうはいかないことばかりだった。
今日はまた簡易書留が持ってこられるのでゆっくりと休養ができない。
昨日配達されていたが不在だった。インターネットで再発行のメールをしたができた。さきほど配達してこられた。よかった。これからインターネットでできる。
電話をかけると話中もあって何度もかけなおさないといけない。
それに今日は気になって新聞は途中で読むのをやめてテレビを見た。
1時21分から安藤美姫選手から始まってキムヨナ選手、そして浅田真央選手と続く。
どうしてもキムヨナ選手の演技が見たい。トリプルで失敗しないかとハラハラして見ていた。
やり遂げた。それまでの選手の中で最高点だった。
そして浅田真央選手、少し躓いた。スケート靴が氷にひっかかった。
さっそく韓国の中央日報ではこの差は何かを記事にしていた。
スケート靴の刃に差があったという。
各選手の得意分野に合わせての刃という。
中央日報を検索してみて下さい。詳細に書かれています。

表彰台に上ると韓国の国歌が流れてきた。
キムヨナが口をあけて歌っている様子がテレビから見える。
私も声に出して歌うが歌えない。こみ上げてくるものがあった。
やっと韓国は国力がついて先進国になった。
道程は長かったが皆努力して努力してここまできた。
南北分断国家という悲劇に直面しながらここまできた。こみ上げてくるものがある。
私は42歳まで民族は親戚と親だけだった。
日本の学校教育を受けて日本の企業で働き結婚しても日本文化に親しみ日本国籍をとろうとしていた。それが血がそうさせたのか。42歳で韓国語を習うことになった。
最初は韓国の歌に違和感をもった。日本で住んでいるのにと思った。
42歳の4月、ハングルも読めなかった。
1年かかってやっと読めるようになった。
そして42歳の終わり、在日韓国人の新聞社に転職した。民団の取材現場に入ると必ず
韓国の国歌が歌った。私はもちろん最初は歌えなかった。歌えないので胸に手を当てていただけだった。1年もすると歌えるようになった。韓国の国歌もメロデイーがいい。
今は歌えるので何かがあると皆と一緒に歌っている。
私は学校で習った君が代も歌える。韓国の国歌も歌える。
両方のことを知っていることの良さがやっと分かるようになった。
そしてテレビの表彰台から降りた3人をテレビ画面から撮影していた。
韓国の国家としての役割を果たし自己表現をやり遂げたキムヨナ選手の快挙に心から拍手を送っていた。海外同胞の励みになった。
そんなことを思っているとテレビ放映が終ると文章を作った。
そしてジャーナリスト・ネツトの画面にセットアップした。
ついでに韓国の新聞を検索するともう韓国の新聞、朝鮮日報と中央日報はキムヨナ選手の金メダル獲得を画面に掲載していた。キムヨナ選手のインタビューは日本のテレビでは見られない。しかし韓国の中央日報ではさっそく掲載されていた。早い。やはり自国の選手のニユースは早い。
そしてふと思った。練習に明け暮れたキムヨナ選手、ソウルの町をゆっくり散策したことがあるだろうか。私が歩いたソウル市庁前に清渓川、そしてロッテ百貨店に新世界百貨店、そんなことを思っていた。清楚で芯のあるキムヨナ選手、スケートも大事だがこれからは大学に入って専門分野を学んでスケート以外に生涯につながる何かを見つけてもらいたい。タレント活動もできるだろう。しかし韓国は学歴社会、何か専門職を学んでもらいたいと年を重ねた私、老婆心でそう思う。
徳寿宮の故宮の庭を散策しながら将来を見つめてもらいたい。そう願わずにいられない。
さて夕食の支度です。
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